>"
  


Vol.0223 「NZ・生活編」 〜同床同夢〜

「面白い話を聞いてきたよ。」 2年ほど前のある夜、元同僚と飲みに行ってきた夫がこう言いながら帰ってきました。彼がその日に会ったのは大学卒業後最初に就職した会社の同期で、約十年ぶりの再会でした。「入社後の研修が終わった時、新入社員全員が抱負と希望勤務地を言わされたんだけど、その時オレってさ、"ニュージーランド勤務になって、みんなのためにカンタベリーのラグビージャージを買いたい"って言ったんだって。全然覚えてないんだけどね」と、言うではないですか!今から16年前、夫は曲がりなりにもNZに住むことを考えていたのです。(←北端の町、カイタイアにて)

「すごいじゃない!」と感動する私に、彼は言い訳するかのように、「まったく記憶にないんだよ」と、盛んに言っていました。私にとってこの一言はどれほど嬉しかったことでしょう。少なくともお互いが知り合うずっと前に、彼はNZに惹かれていたことがあり、駐在員としてであっても住みたいと思っていたと知っただけで、大きな励みになりました。裏を返せば、それだけ私は彼に対し後ろめたい想いがあったことになります。

「移住しよう!」と言い出したのは紛れもなくこの私で、夫はその後1年半、私の突然の思いつきに距離を置いていました。私ははやる気持ちを抑えながら、彼を始め家族の気持ちが一つになるのを待ち続けました。しかし、時には気持ちが抑えられず、「今はその話(移住の話)はしたくないんだ」と、いつも穏やかな夫に憮然とした表情で言われたことも何度かありました。彼の意向を尊重したいのと、移住条件が月を追うごとに厳しくなっていくのとの板挟みになりながら、ただただNZを遠くに感じていたものです。

そんな折り夫の思いつきで、ほとんどの移住希望者が目指す一般技能部門ではなく、「ロングターム・ビジネス・ビザ(LTBV)で申請してはどうだろう?」ということになり、話が急転しました。「起業?私達が?二人とも勤め人しかしたことがないのに?」 私の頭の中は「???」だらけでした。しかし、今でこそ外資系多国籍企業に勤める夫ですが、以前は日系の中小企業やベンチャー企業にいたため、20代の頃からシンガポールや香港で支店長や現法社長を勤めていました。ですから、彼にとって起業はそれほど突拍子もない話ではなく、急に乗り気になってきました。

元同僚と会い、社会人になったばかりの頃の自分の夢を知らされたのは、まさにそんな時でした。「高校からラグビーやってきたからNZは確かに特別な国だった。その国の一大ブランド、カンタベリーと言えば、もう憧れのジャージで直視できない感じ。日本にいたら自分が袖を通すなんて考えられなかっただろうな。でも就職した会社はNZにもオフィスがあって比較的暇そうだったから、オークランド勤務にでもなってラグビーしながら、憧れのジャージをみんなへの土産にでもしようとでも思ってたんだろうね。いや、本当に覚えてないんだよ」と、彼は首を傾げつつも、すでにLTBVでの申請を決めていた時だっただけに、まんざらでもなさそうでした。

私は彼の表情に自分主導で進めてきた計画が、今や紛れもなく二人で進めているものであることを実感しました。「もう後戻りはないだろう。いつになるかわからないけど、絶対行こう。そうしたら、ずっと昔の夫の夢もかなう」、私はそう思いつつ、安堵の気持ちに包まれていました。あれから再び月日は流れ、とうとう夢は実現しました。今や息子二人もいっぱしのラガーとなり、日曜の夜は大中小3枚の泥だらけのジャージを洗濯機をジャリジャリ言わせながら洗うまでになりました。

海外移住ともなれば人生を左右しかねない一大計画ですから、家族持ちとしては一人でできることなどほとんどないと言ってもいいでしょう。すべてにおいて、みんなに意向を伝え、計画を示し、賛同を仰ぎ・・と、仕事で新規プロジェクトを立ち上げるのと大差ない手順が必要となります。親や配偶者として強権を発令したところで前に進むものではありません。民主的な方法で、一つ一つ外堀を埋めていくしかないのです。

今までも何度か触れてきましたが、夫が同意してくれた後の進展には目を見張るものがありました。計画が私一人のものではなくなったことを悟った時の嬉しさと心強さは、その後の紆余曲折の大きな糧となりました。いつの間にか計画具体化のエンジン役は夫にとって代わり、企画、営業、外渉、総務、経理とブルドーザーが地ならしをしていくように、一気に話が進みました。私は旗振り役の広報担当に退き、「ここにサインして」と夫が持ってくるたくさんの書類にめくらサインをするばかりでした。

「この人と結婚して良かった。」 日々の暮らしの中でそう感じることはままありましたが、移住計画が本格化してからは特に想いが深まりました。彼は最初の頃こそ迷っていたものの、徹頭徹尾私の夢を尊重してくれ、世の常識が「同床異夢」だとしたら「同床同夢」にまで踏み込んでくれたのです。どんなに感謝してもし足りません。ところが気持ちの上ではそんな風に神妙に思っていても、なかなか態度では示せないもの。何かと言えばおんぶに抱っことなってしまう私に、たいして怒りも失望もせず(多分?)、「まっ、キミがいいならいいけど」と言いつつ、淡々と事を進めてくれる姿にはますます頭が下がります。

不可能を可能にしてくれた夫へ。これからも末永くよろしく。愚妻より。

******************************************************************************************

「マヨネーズ」 移住準備を通じて、夫婦で同じ夢を見られると1+1が3にも4にも、時には10にもなることを実感しました。ここで学んだことは一生の宝です。「夫婦とは長い対話」と言ったのは、確かサルトル。これからもとことん語り合う夫婦でありたいものです。

西蘭みこと