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「西蘭花通信」 Vol.0205  生活編 〜ペットプロジェクト〜     2004年3月24日

"ペットプロジェクト"という言葉が、「長年暖めてきた計画・企画、持論」を意味することを知ったのは、お恥ずかしながらメルマガを始めてからでした。形容詞の"ペット"は「お気に入りの」だから、考えればすぐわかりそうなものですが、名詞の"ペット"に引っ張られ、ついつい動物のペットのことを思い浮かべてしまいました。すぐに、
「いい言葉だなぁ。このタイトルでいつかメルマガを書こう。」
と思ったものです。その時は、「移住とペット」というテーマで、かわいがっている二匹のネコについての話でも・・・と軽く考えていました。
(←発病後、化学療法前のピッピとアニキのチャッチャ)

今の私のペットプロジェクトは紛れもなく、2月末にリンパ腫というガンにかかっていることが発覚したニ匹のうちの一匹、白猫ピッピのガン克服です。事の顛末はピッピのホームページの「シロ白猫ピッピの闘病日記」に譲るとして、家族に"ガン患者"を抱えるという予期せぬ展開に、可能な限り真摯に取り組んでいるところです。猫との付き合いは子供達とより長く、どんなにかけがえのない存在か。何をおいてしてもピッピを救うことが最大課題なのです。

「治療しなかったら余命3ヶ月、しても6ヶ月もつかどうか。」
と、行きつけの獣医にそう宣告され、足もすくむ思いでした。こんなに元気そうで、昨日とまったく変わらないピッピがそんなに早く逝くなど到底信じられず、受け入れがたいことでした。話を聞きながら、なぜか私は、
「大丈夫。あと10年、せめて20歳までは生きるよ。」
と思っていました。
「ニュージーランドに連れて行き、もう一度土の上を、草の中を歩かせてあげるよ、ピッピ。」
と心の中で話しかけてもいました。どこからそんな自信が湧いてきたのか、単なる現実逃避なのかわからないまま、私は獣医の話に耳を傾けていました。

数回の検査の結果、最終的に「悪性リンパ腫」と診断され、抗がん剤を飲む化学療法か何もしないでその時を待つかの二者択一を迫られました。今時の日本や諸外国なら、自然療法の道もあるでしょうが、合理性一点張りの香港ではそんな選択肢はないに等しく、腫瘍の大きさからかなり進行していると思われることもあって、私達は消去法で化学療法を選びました。副作用に関しては繰り返し細かい説明があり、その手厚い対応ゆえに、いかに差し迫った問題であるかを覚悟しました。

何度もインフォームド・コンセントにサインをさせられ、3月9日、化学療法が始まりました。その即効性たるや、信じがたいほどです。うずらの玉子大だった腫瘍は2日後に3分の1にまで縮小し、平行して恐ろしい副作用も始まりました。ピッピは苦しそうに吐くようになり、唾液が粘着質なものに変わり、食事を一切摂らなくなった後、水も飲まなくなってしまいました。その間、わずか4、5日。同時に腫瘍も目で確認できるものは、まったくなくなってしまいました。本当に魔法のように消えたのです!

「これは悪魔との取引なのだ。」
と、悟りました。ガンに克つという願いをかなえるために、ピッピの命を引き換えにしつつあるのです。長い爪の尖った耳の悪魔が、真っ白で痩せてもまだなおふっくらと肉付きのいいピッピを、てぐすね引いて待ち構えているような気がしてきました。すぐに流動食が始まり、水さえもスポイトで口の脇から差し入れなくてはなりません。化学療法前は日課だった窓の外での日向ぼっこにも決して出なくなりました。

その後も日に日に衰弱していき、とうとう化学療法二週間目で点滴を受ける羽目に。それ以降もほぼ連日点滴を続けたものの、体力の衰えには追いつきませんでした。治療を始めて10日目の19日夜には、気が触れたかのように鳴きながら家の中をグルグル歩き回り、普段行かないような物置や、家の中で唯一床から天井まで全面窓になっている洗濯物干し場に何度も何度も足を運びました。窓越しに真っ暗な外を見下ろしながら、いかにも外に出たそうに足で土をかくしぐさを繰り返し、足元のタイルをカリカリと掻いていました。

「死に場所を探してるんだ。」 
心配でピッピの後をついて歩いていた私は、何周目かでそのことに気づきました。もう窓まで飛び上がる体力もなく、唯一外が見えるこの場所から何とか外に出られないか試しているのです。物置には身を隠すようなこまごました物がたくさんありますが、私がドアを閉めてしまったので、ピッピには外に出るしか、探している場所を見つけることはできなかったのです。悪魔はドアのところまで来ていました。

私は思わずピッピを抱きしめました。抱くといつも、特に病気が発覚してからは、じっと私の目をのぞき込むのが常だったのに、ピッピは弱々しいながらも身をよじり、腕から逃れようとしています。
「だめ、行ってはだめ、ピッピ。逝ってはだめだよ。」 
ピッピがこの手からこの世から行ってしまわないよう、私は腕に力を込めました。「20歳まで生きる」という根拠のない思い入れなど、土台から瓦解しそうでした。でも、それが崩れてもなぜかその瓦礫の中に希望の芽が残っている気がしてなりませんでした。
「理由なんかどうでもいい、思い込みでいい。ピッピは絶対助かって長生きする。」 
私は自分にピッピに、そう言い聞かせていました。(つづく)

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「マヨネーズ」 
ピッピに明け、ピッピに暮れる毎日です。生活のペースがすっかり狂い、ほとんど外出もせず、「さいらん日和」もUPできないまま付き添っています。影響は子供の弁当のメニューにまで反映していますが(おにぎりとお寿司が増えました〜。でも彼らは喜んでいるよう)、もうひとがんばりじゃないかと期待してます。

軽く小さなネコでさえこれだけの負担を背負い込むのですから、在宅看護をしている方のご苦労が改めて偲ばれました。医療ヘルパーの普及は不可欠ですね。あとペットの保険も?

西蘭みこと