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Vol.0199 「NZ・生活編」 〜Where We Were6〜

みんなに「どうして?」と首をかしげられながらも、まだまだ続く映画「ラスト・サムライ」をテーマにしたこの連載。3回観た夫にさえ、「確かにいい映画だったけど、よくまぁ、そんなに書くことあるよね。」と呆れられています。どうしてかはわかりませんが、あるんですよ〜、それが。しばらく精神論が続いたので、今回は映画制作の話にしましょう。

この映画は3ヶ所で撮影されています。日本でのロケは古い街並みが残る姫路で行われました。横浜に着いたばかりのオールグレン大尉(トム・クルーズ)がさっそく天皇を訪ねるシーン。皇居にたどり着くまでには何百段もの石段があり、日本人であれば、「ん?皇居が山の上?」と、首を傾げるところでしょう。それが違和感なく受け入れられるのは、軍服と燕尾服で正装した彼ら3人連れが、期待と不安をにじませつつ一段、一段上っていく姿に、妙に説得力があったからかもしれません。謁見までの長い長い導入部分として勿体をつけ、否が応にも天皇の存在感を際立たせた石段は正解だったと思います。

映画ではいくら史実や実際の通りに再現しても、確実に観客を説得できるとは限りません。これこそが映画の妙であり、現実とは違うものに限りなくリアリティーを持たせることで製作者の芸術性や技量が示されるのです。ズウィック監督が姫路を撮影場所に選んだ最大の理由は、「圓教寺」へのこだわりでした。彼は966年に僧侶の修行場として建立された古刹に心底ほれ込み、最後の侍、勝元盛次(渡辺謙)の屋敷としました。高い天井、奥行きのある空間で独り経を読む勝元の姿など、とても印象的でした。

日本での撮影を終えると、ニュージーランド北島ニュープリマス近くの町タラナキ、カリフォルニアの撮影所と2ヶ所に移動して撮影が続けられました。タラナキがロケ地に選ばれたのは富士山に似たタラナキ山(エグモント山)があるためと言われていますが、富士山のシーンはいずれも浮世絵チックで、かなり山裾まで見える「空に浮いてる?」と思われるほど大きくCG処理されたものばかりでした。その雄大さと言ったらまるでエベレスト!

NZでは侍の村、合戦シーンが撮影されました。周りを山で囲まれたなだらかな丘陵に点在する茅葺屋根の家々は、完璧な時代考証を経たもので、必要とあらば本物の骨董品を惜しげもなく使い、間取りや調度品、光の落とし方、引き戸の厚みや重みまで、屋内の作りは特に秀逸でした。日本人として違和感がないどころか、質実剛健の侍文化の成熟と洗練を見る思いです。日本人スタッフの手助けがあったにしても、美術監督のリリー・キルバートを始めとするアメリカ側製作者の、侍文化への深い洞察とこだわりを感じました。
<ニュージーランドに作られたサムライの村のセット。公式ホームページより>

同時にNZを知る者には思わずクスッとさせられる光景も多々あります。まず、その筆頭が侍の村や合戦場のあちこちで散見された、シダやヤシの木!NZと無関係な人にもかなり目に付いたようで、インターネット上での書き込みでも「なぜヤシ?シダ?」というのをずい分見ました。日本にもシダはありますが、ジメジメした暗い湿地帯で陰気に葉を広げてはひっそり息づいているイメージでしょう。ところがNZでは国花に匹敵する国を代表する植物として、下にも置かれぬ存在です。ラグビーの「オールブラックス」始め、国代表の選手の胸には常にシルバーファーン(銀シダ。葉の裏側が銀色に光る)が輝いています。

ですから国のどこにでも、「コレって木?」と見上げたくなるような太くて大きなシダが繁っており、陰湿な場所どころか日当たりのいい山肌でもひときわ大きく葉を広げては、その存在を周囲に知らしめています。アメリカ人スタッフがシダの明暗の差まで知っていたとも思えず、いろいろなシーンで登場しますが、一番ツボだったのが"サムライの捕虜"だったオールグレンが官軍に戻って来た場面です。神妙な彼の後ろで思いっきり葉を広げた瑞々しいシダが、「ここはNZですよ〜(^。^)/~~」と手招きするように葉を繁らせているのです。名場面の誉れ高い霧の杉林での戦いでも、逆光の中のシダがしっかりカメラに!

侍の村がなだらかな丘陵地であっても不自然ではないものの、山深い日本には少なそうな地形です。空撮だとその広々とした、いかにも「土地が余ってま〜す♪」という感じが、良く見て取れます。ハイライトとなる最後の合戦が行われた場所は妙に縦長の美しい草地で、整然と居並ぶ官軍の兵士がいなければ、牧場であることがバレバレだったことでしょう。迎え打つ侍たちは生きて帰れぬ最後の合戦を前に、緊張の度合いが極限のはずながら、天気はすこぶるよろしく、草はあくまでも青く美しく・・・。甲冑を着込んだ彼らの後ろを、片付け忘れた羊がのこのこ出てきたりしないか、気が気ではありませんでした。

これ以外にもネット上で盛んに取りざたされていたのが、Q「なぜ村の入り口に鳥居?」、A「こういう村もあったらしい」、Q「桜の花がもうちょっと白かったら良かったのに」、A「150本も手作りしたんだし、花びらの落ち具合も申し分なく、私的にはOK!」(←同感)、Q「この時代にアヒル?せめてニワトリにして欲しかった」、A「鴨南蛮は江戸時代から。村にアヒルがいても問題なし」・・・などなどで、絶妙なQ&Aが続きます。私としては、アヒルを"抱いて"通り過ぎた村人が気になって仕方ありません。彼はワーキングホリデーでエキストラのバイトをゲットした一人だったのかもしれませんが、なぜ"抱いて"歩かなくてはいけなかったのか、教えて下さ〜い<<< (つづく)

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「マヨネーズ」 溺愛するネコのピッピが悪性リンパ腫にかかっていることが発覚しました。平たく言えばガンで、ネコのガンの中では一番多いものだそうです。今年12歳、人間で言えば60歳と若くはありませんが、何としても家族揃ってNZに渡り、もう一度草の上を歩かせてやりたいと思っています。何か有用な情報をお持ちの方、ぜひご連絡下さい。

西蘭みこと