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Vol.0195 「生活編」 〜王国と私〜

このメルマガが配信される頃、西蘭一家はタイにいます。子供のラグビーの大会(と言っても親善試合のようです)がバンコクで開かれるので、香港生活の記念の一つに家族で参加することにしました。

タイ王国は素晴らしい国です。長い歴史と中国やインドの影響を受けた独特のインドシナ文化の一角をなし、見て、歩いて、食べて飽きない場所です。南下すれば、見事なビーチや島がそこここに。北上したらしたで、タイ人のルーツを感じさせる幾重にもなった文化や宗教が息づいています。何度訪ねても飽きのこない、懐深い国と言えるでしょう。約20年前に初めて訪れた時の、「なんでもっと早く来なかったんだろう?」という地団太踏むような悔しさを、今でもありありと思い起こすことができます。

しかし、私は飽きのこないはずのこの国を積極的に訪れようとはしていません。今まで十数回は訪ねていますがそのうち4、5回は出張でした。20年前に感じた熱い思いはずい分熱を失ってしまいました。あんなに心を動かされた温かい雨の降る夕刻のアユタヤも、エサをねだる熱帯魚にお尻をつつかれつつかれ苦笑しながら潜っていたプーケットの海も、とんと昔の話です。興味を失ったわけでは断じてないのですが、訪れるたびに胸がつかえ、脱力感に見舞われ、めまいさえ感じるようになったため、とても休暇を楽しめる場所ではなくなってしまいました。

始めはこれをバンコクの大気汚染のせいだと思っていました。名うてのショッピング天国と言われても私には長時間外を歩き回ることなど考えられず、そこまでして欲しいものもありませんでした。前回訪れた3年前には旅行前からの疲れもあり、病院に駆け込む事態になってしまいました。「どうしてなんだろう?アジアの他の国ではどこでも楽しくリラックスできるのに、どうしてタイはだめなんだろう?」と、ずっと思っていました。

何年か前に王室の避暑地でもあるリゾート、ホアヒンに出かけた時、その答えの片鱗を見つけました。バンコクからクルマで3〜4時間の道すがら、海に面した高速道路左手には昔ながらの塩田が広がっていました。そのところどころに建つ残骸。どこも造りかけのまま錆びついています。当時は未曾有の好景気。ネコも杓子もがリゾート開発に乗り出した時期でしたが、見るからに資本力のなさそうな安普請、資金繰りでつまずけば独楽のようにひとりでに倒れていくばかり。そんな引っくり返ったような幽霊屋敷をいくつも見かけました。そのせいで本来の美しい塩田は痛々しい風景に変わり、地道に塩を作ることも、手っ取り早く不動産を転がして儲けようとすることも、ともに空しく見えました。

もう一つの片鱗。夜の繁華街では全裸に近い女性たちが、通りから数メートルの薄暗い店内でバーにつかまって踊っています。少女と呼びたいような若さです。彼女たちは例外なく貧しい家の出身で、家族を支えるためにその年齢から身を売っているのです。こんな非日常が手の届くところに転がっていて日常生活と共存していることなど、タイでは常識なのでしょう。しかし、私には到底受け入れがたいことでした。たくさんの少女が自分を封じ込め、最も忌まわしい生業をほぼ無期限で続けていかなくてはならない現実。彼女たちはとても信心深く、輪廻転生した後に今よりいい暮らしができるよう布施を弾んで熱心に祈るそうです。そんな姿を実際に目にしたこともあります。

これらは悠久の歴史を持つ誇り高い王国のダークサイドです。個人的にはそのかなりが貧富の差に端を発したもので、歴代の短命政権、すべてを受容しようとする宗教観、子供が親を助ける家族観が問題を一層悪化させているのではないかと思っています。確固とした現実であっても胸が痛みます。現地の人にしてみれば、厳しい生活を前に外国人旅行者の甘い感傷など何の役にも立たず、それよりもカネを落としていって欲しいというのが本音でしょう。買う人がいなければ身を売る少女たちは現金を手にすることもできません。

外国人にとってタイの物価の安さは大きな魅力です。しかし、その割安感が富の再分配に失敗した結果の、極端な貧富の差の上に成り立ったものであると考えた時、96年以降の金融バブル崩壊で傷が更に深まっていると感じた時、たかが十代ですべての希望を来世に託さなくてはいけない少女が無数にいると知った時、タイは私にとって踏み絵になりました。ビーチでまどろむことにも、料理に舌鼓を打つことにも、何かを踏みにじるような罪悪感を覚え、愉しみの背後に割安感があるとすれば、それはタイの貧しい人たちの犠牲の上に得ているものなのだと考えるようになったのです。それは頭での理解というよりも、魂レベルでの知覚でした。身体の不調は正直な気持ちの反映だったのかもしれません。

しかし、私はいつまでもタイを遠巻きにしているつもりもありません。諦めるにはあまりにも惜しい、素晴らしい国です。最近、タイ北部で活動しているとても心惹かれるNGOの存在を知ったのも何かの縁かもしれません。もしも活動を手伝うことができれば少しは胸のつかえも軽くなり、再び自分の意思で訪れるようになるかもしれません。20年を経て再びあの王国に出会うかもしれないというほのかな期待を感じながら、雨の中で穏やかに目を閉じていたアユタヤの仏頭を思い浮かべています。

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「マヨネーズ」 かなり多いであろうタイ・フリークのみなさま、水を差すようなことを言ってすいません。まったく個人的な感慨ですが、ずっと思ってきたことをありのままに書いてみました。少女たちの値段が10倍になっても買春する人が、いったい何人いるでしょう? どうか経済というバケモノに魂まで売り渡さないように。

西蘭みこと