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Vol.0194 「生活編」 〜Where We Were その3〜

日本で満員電車に座っていると、どっと乗り込んできた人に押されて赤ちゃんを抱いた若い女性が目の前に押し出されてきました。私はとっさに席を譲ろうとしましたが、立錐の余地もないほどの混み方で、立ち上がることさえできませんでした。「次の駅で代わりますから」と私は目が合った彼女に告げ、駅に着くやいなや立ち上がりました。

彼女が「すいません。」と恐縮しながら座ろうとした瞬間、信じられないことが起きました。右側に向かって立ち上がった私の後に、左前に立っていた中年の男性がさっと割り込み、座ってしまったのです。「すいません、こちらの方に譲ったんですが。」 あろうことか週刊誌まで出して読み始めた男性に向かって、私ははっきりと声をかけました。しかし、彼は雑誌に視線を落としたまま頑なに聞こえない振りで押し通しました。

まったく別の機会でのこと。私は1歳になったばかりの善を抱き一人で帰国しました。右肩に15キロを越える大振りなリュック、左肩にはたたんだベビーカーを下げ、「つんのめったら終わりだな。」と思いながら、成田空港に着いた飛行機のタラップをよろよろと降りていました。下にはトランシーバーを持った航空会社の地上職員の姿。「あそこまで行けばなんとかなる。」 ところが、下に着いても、彼らは目の前のバスに乗客を誘導するばかりで、30キロ以上のものを身体にくっつけた私も、ただの一乗客でしかありませんでした。

しかもそのバスは空港専用バスではなく、市内を走っているような普通のバスでした。弁慶のように体中にものをくっつけた私には、入り口の段差がきつ過ぎる上、狭いドアから荷物とともに入ることすらできませんでした。仕方なくベビーカーを外に立てかけ、いったんバスに乗りました。荷物を置いて取りに戻るつもりだったのです。職員ですらああなのですから、他の乗客の助けなどあてにしようもありません。タラップを降りる時も誰一人、声をかけてくれる人はいませんでした。

他の国では考えられないことです。「だけど、ここは日本・・」と気を取り直して戻ろうとすると、すぐ後ろからやってきた香港人グループの一群がベビーカーを持ってガヤガヤと乗り込んできてくれ、私の代わりに空港ターミナルまで持ってくれました。「ワタシハ 反町サンガスキデス。」「ワタシハ 木村サンガスキデス。ぎゃー、通じた〜(ここは広東語)」と、若い彼女たちはあくまでも屈託なく、善をあやしたり、どこに住んでいるのかとガンガン質問が飛んできたりで話が弾みました。おかげであっという間に着いてしまいました。

「日本人はいつからこんな人たちになってしまったんだろう?」 年に1、2回の帰国の際に、ささやかな出来事を通じてこんな風に感じることが少なくありません。もちろん、「やっぱり日本人ってすごい!」と感激することもたくさんあるのですが、これらプラス印象が名所旧跡で昔作られた精緻な手工芸品を見た時やNHKのテレビ番組「プロジェクトX」の後など、日常生活とかけ離れた場所にいる人たちに対して感じるものだとすれば、マイナス印象はごく身の回りの人たちに対して持つことが多いのです。目の前の人だからこそ、感じる失望もリアルで、一般的な日本人への印象をプラスマイナスで差し引くとややマイナスが勝っている感さえあります。

私は心から尊敬できる素晴らしい日本人をたくさん、たくさん知っているので、一括りに語ることの危険と矛盾は重々承知しているつもりです。しかし、社会全体で見た時、残念に思うことが多々あるのも正直なところです。日本人は本来、まじめで、親切で、勤勉で、公平で、情けがあり、我慢強く、信頼でき、きれい好きで、平和を好み、思慮分別があり、努力家で、柔軟で、探究心のある、無私な人たちではなかったでしょうか?個人的にはユーモアのセンスと優しさの面では、文化的な背景や習慣の違いもあり、他民族に一日の長を見ますが、それ以外においては世界的にも非常に秀でた人たちだと思っています。

しかし、現実にはイメージと実際が大きくかけ離れてしまっているようです。海外暮らしの中で、「あなたは日本人らしくないね。」と現地の人に言われる時、それは往々にして褒め言葉です。一日本人としては心中、複雑です。彼らがどこに「日本人らしくないところ」を見出しているかと言うと、「明確に自分の意見を述べる」、「一人で行動する」、「責任をとる」、「年齢性別に捉われない」、「外国語で意思の疎通が図れる」、などです。裏を返せば、彼らの目に映る日本人というのは、「はっきりと意見を言わず、常に群れて行動し、その結果、責任の所在があいまいで、男女・年齢・国籍で対応を分け、相手に日本語を理解することを求める傾向にある」ということでしょう。

映画「ラスト・サムライ」に出てくる名誉に命を張るサムライたちは、虚構の世界の理想の人々かもしれませんが、彼らこそが日本人に対するイメージの原型ではないでしょうか? あの役柄すべてを外国人が設定したという点を、見落としてはいけないと思います。かつて私達は彼らが信奉する、「義」「礼」「勇」「名誉」「仁」「誠」「忠」を呼吸する誇り高い民族だったのです。あえて説くまでもなく、こうしたものは人々の暮らしの中にあり、それを体現する人々に囲まれ、自身もそれを具現しながら生きていたのではなかったでしょうか? 「帰ろう。Where we were、かつて私達がいた場所に。」 映画が終わった後、延々と続くテロップを見ながら、想いは走馬灯のように心の中を駆け巡っていました。(つづく)

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「マヨネーズ」 温が10歳になりました。気がつくと、最近めっきり兄弟げんかの仲裁に入ることがなくなりました。もちろん、小さな言い争いはしょっちゅうやってますが、自分たちでケリをつけることが多いのです。仲良きことは麗しきかな、です。


(←連日聴いてるサントラ版。いくら映画好きでもこんなことは初めてです。本当にこの映画を吸い尽くし消化してしまうまで、この状態が続きそうです。)


西蘭みこと