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Vol.0188 「香港編」 〜世界最大のテーマパーク〜

97年の香港の中国返還直前に、母校の大学で教鞭を取っている友人がフィールドワークのためにやってきました。「返還後の香港はどうなると思う?」と聞かれた時、とっさに「今度は中国の植民地になると思う。」と答えると、彼は「そりゃ面白いね。」と言いつつ、熱心にメモを取っていました。そんな考えがどこから湧いてきたのか、口にするまで思ってみたこともありませんでした。しかし、中国人に対する香港人のよそよそしさを日々間近に見ていた身には、返還が中国語で言うところの「回帰」などという状況になるとはとても想像できませんでした。

香港人にとって相手がイギリス人であれ中国人であれ、"政治的支配"を許す代わりに彼らを"飯の種"にすることにおいて、何ら変わりはないのです。過去にも未来にも国ではない香港にとって、頼れるものは個人だけ。個々の人々が"喰ってける"ことがまず先決で、政治は二の次なのです。景気は直接、個人の日々の生活に降りかかってきますが、政治はここまで自由が保障されている以上、多少のことには目をつぶる覚悟のものでした。

しかし、返還を迎えるや否や、香港は長い長い景気低迷に陥り、昨年は新型肺炎(SARS)蔓延で一段と痛手を受けました。それもここへ来て、やや勢いを盛り返してきています。景気回復の主役はなんと言っても中国からの観光客です。国民12億人のほんのごく一部が人口700万人の香港に遊びに来たとしても大変なことで、ホテルや運輸など観光関連業界以外でも、ブランド・ショップを始めとする小売店、レストラン・カラオケ、エステやヘアサロンなどのサービス業、不動産、銀行と、その"特需"は各界に浸透しています。

なぜ中国からの観光客がこれほどの"特需"を巻き起こしているかと言うと、人数の多さもさることながら、「世界の工場」として爪楊枝からクルマまでありとあらゆるモノを輸出している製造関連業種の人々の懐の暖かさと言ったら、今や並大抵ではありません。ですから他国から来る観光客の落とすカネとは桁違いのカネを落としていきます。「毎月上海から泊りがけで有名サロンに散髪に来る一家」だの、「香港の五つ星ホテルと北京の自宅を行ったり来たりしている有閑マダム」だの、「節税(脱税?)用の香港のトンネル会社社長に妾を据え、彼女用の社宅に豪邸を買った」だのという話は、掃いて捨てるほどあります。

そこまで行かない"小金持ち"たちもなかなかの羽振りの良さで、ブランド品やシャレた輸入品、最新の家電製品を買い尽くした後は、とうとうマンションを買い始めました。そのため不動産業や銀行にも"特需"が起きている訳です。住宅街にある拙宅付近でも、「ここは○○ロードで、あの物件は築○年の比較的新しいものです」などと、説明しながら歩くビジネススーツの不動産エージェントの後を10人前後の中国語(=北京語)を話す一群がゾロゾロ歩いている姿をよく見かけます。彼らが購入を決め、ローンを組む段になれば銀行がすっ飛んで来ます。しかし、中国国内での資金運用機会が限られていることもあり、かなりが現金で購入されてもいるようです。

以前、あるブランド・ショップで、中央のソファに上海人らしい若い中国人女性が店員をはべらせながら座っていました。店員の一人が買ったばかりのドレスの寸法直しの確認をしているかと思えば、もう一人がハンドバッグの在庫を調べに行き、もう一人はひざまずいてブーツを履かせています。客である彼女は「ブーツのもう片方はどこなの?早く持って来てちょうだい。」と北京語でまくし立てています。それに対し店員たちは、嫌な顔も愛想笑いもせず淡々と対応していました。私はその姿勢に見上げたプロ根性を見ました。横柄でも何でもカネを落とす客は"飯の種"ということを彼女たちは知り尽くしているのです。

一方の中国人にとって、香港はなかなか遊び倒せない「西洋・近代・自由」というテーマを掲げた世界最大のテーマパークです。大金を突然手にした彼らは、ここへ来て洗練、消費、物質的豊かさ、カネで買えるサービスやホスピタリティーを手っ取り早く学習し、自由の息吹を肺の奥深く吸い込んでは、成金に見えないよう、生まれた時から中流だったかのように振舞う練習をしているかのようです。香港人はその姿を心中冷ややかに見ているのかもしれませんが、表面的には無表情でいてくれます。この都会的な冷たさはあまり人に知られたくないレッスンの真っ最中の中国人にとり、むしろ慰めとなっていることでしょう。

しかし、テーマパークというものは飽きられた時には廃れてしまうものです。その日を少しでも先延ばしするためにアトラクションを入れ替え続けても、気まぐれな客はもっと楽しい、もっと新しい場所へと簡単に流れてしまいます。中国人たちがテーマをしっかりとものにした時、香港の役目は終わり、中国のほんの小さな一部分として吸収されていってしまうのかもしれません。その時こそ香港の2世紀に渡った植民地としての歴史が幕を閉じ、代々主に仕えてきた人々は一中国人として新たな海に漕ぎ出していくのでしょう。

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「マヨネーズ」 上海人が探していた「グッチ」のブーツの片方は、ソファで背中合わせに座っていた台湾人が握り締めていました。二人とも相手が片方を持っていることを十分承知しつつ、店員にもう片方を持ってくるよう迫っていました。どうもそのデザインでのそのサイズは最後の一足だったらしく、どちらも譲らないのです。最終的に誰が勝ったのか興味深いところですが、私は見届けずに店を出てしまいました。店員さんも大変です(笑)。

明日は旧暦の元旦です。中華系の人にとっていよいよ2004年が始まります。新年はとうとう本番に。世界のすみずみまで平和で幸せな、誰にとっても満ち足りた1年でありますよう、そして西蘭家にとっては、記念すべき「移住元年」となりますように(祈)。

<写真はいかにも中国人が食指を動かしそうな、近所の新築マンション>

西蘭みこと