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Vol.0186 「生活編」 〜神に出逢う時〜

年末に子供たちに話して聞かせたことをお話ししましょう。私は高校時代のある出来事をきっかけに神の存在を信じるようになりました。神と言っても宗教的な意味合いはなく、人間の姿もしていません。ただ宇宙全体を司る、計り知れない偉大な力が存在しているということを自覚しているだけです。

それは一本の傘から始まりました。ある日、デパートへ買い物に行った時、傘売り場にあった一本の傘を一目で気に入ってしまいました。白地に細かい模様をあしらった、私には似つかわしくない繊細なデザインでした。しかし、どういう訳かとても気に入ってしまったのです。ひとまずその日は買わずに帰りましたが、その後も傘のことが頭から離れませんでした。当時の限られたお小遣いから考えるとかなり高価な傘でしたが、後日再びデパートに出向き、けっきょく買い求めました。

そんなある日、雨が降り、私は傘を持って出かけました。帰りにたたんだ状態で手に持ち、乗換駅の横浜駅でトイレに立ち寄りました。髪をとかすために洗面台に傘をかけようとすると、すでにピンクの傘がかけてあるのに気付きました。「誰のだろう?」と思って、鏡に写るトイレの個室を見ると、どれもドアが開いています。つまりそこには私一人しかいませんでした。「忘れ物かぁ。すぐに気がついて戻ってくるだろうな」と思って髪をとかし始めましたが、誰も来ません。色こそ鮮やかなピンクながら、無地で何ということはない傘でした。私の新しい傘とともに、2本の傘は兄弟のように並んでぶら下がっていました。

誰もいないはずなのに、そこに強く人の気配を感じました。鏡に写っている無人の光景が信じがたくなり、思わず振り返って人がいないのを確認してしまったほどです。もちろん誰もいません。私は普段になく丁寧に髪をとかし終えると、ブラシをポーチに入れ、ポーチをバッグにしまうと、傘を持って外に出ました。手にはしっかりと2本の傘が握られていました。なぜそんなことをしてしまったのか、当時も今もわかりません。どうしても欲しかった訳ではなかったことだけは事実です。出来心というほど大袈裟なものでもなく、「ただなんとなく・・・」というところでしょうか。

しばらくしてまた雨が降り、私はお気に入りの白い傘を持って出かけました。好きでもないピンクの傘を、あえて使う気にはなりませんでした。そしてその日、私は白い傘をなくしたのです。いつどこでなくしたのかまったく思い当るものがないまま、気がついたら消えるようになくなっていました。私は探しませんでした。なくなったのに気付いた瞬間、「やっぱり!」と思った自分がそこにいたからです。どうでもいいものに欲を出したあまり、本当に大切なものを失うとは、イソップに出てくる犬そのものです。肉をくわえた自分の姿が水に写っているだけとも知らず、水の中の犬の肉も欲しくなって、「ワン!」と吠えたとたん、自分の大切な肉を水に落としてしまったあの犬です。

トイレで感じた強い人の気配が蘇ってきました。「こんなものいらないじゃない」、「でも持ってちゃってもいいんじゃない?たかが傘一本」と自問自答する私を、じっと見つめている視線。錯覚だったかもしれませんが、私の中のさまざまな意識が混然一体となり、外側から冷静に自分を見つめていたのかもしれません。因果応酬。自業自得。がっかりするでも、悔しがるわけでもなく、かといって反省したり罪悪感にさいなまれたりもしませんでした。私は力が抜けた状態のまま、ただただ偉大な力の存在に感嘆していました。「神はいる」。その日を境に私はその存在を疑わなくなりました。より正確に言えば、その存在を自分の中で認めることに決めてしまったのです。

以来、人目があろうがなかろうが、良心がとがめることはほとんどしなくなりました。こう書くと、いかにも善人ぶった胡散臭い人間のように思われるかもしれませんが、あの日以来、私の中での基準が「人の目」から「自身の良心」に大きく転換したのは間違いありません。そのため、良心に照らして気に染まないことには、例え周囲の全員が「YES」と言っても、私は平気で「NO」を唱え、与しなくなりました。逆もまたしかりです。そのため周りと摩擦が起き、気まずい思いをすることもありましたが、逆境に流されなかったことへのご褒美のように、後でささやかな陽の目を見ることも少なからずありました。

「へぇ〜、ママってむかしドロボーだったんだ〜。」と、驚いた表情ながら二ヤつく次男。神妙な顔の長男。これから何十年、もしかしたら百年近く生きていく彼らが、1日でも早く偉大な力の存在を信じるようになってくれればと思い、この話をしました。ただし、これは本来、人から教わるものではなく、ある日出逢うものなのだと思っています。人や本を通じてでも、私のようにある体験を通じてでも、どんな方法であってもそれを自覚することで、自分の中心にしっかりと軸足を打ち込むことができます。その日は早ければ早いほどいいと思っています。そんな折、長男にチャンスがやってきました。(つづく)

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「マヨネーズ」 サラリーママをしていた頃のこと。すでに香港を離れ他拠点に移った元同僚にオフィスで会いました。「彼の仕事は香港と関係なくなったはずでは?」と思いながらも、「お客さん回りですか?」と声をけると、「ちゃんとメンテしとかないと忘れられちゃうからね〜」とニヤニヤ。そばにいた別の同僚が小指を立てて「こっちこっち。」 彼は私の夫でも、友達と言えるほど親しい人でもなく、何をしようが知ったことではありません。しかし、この手の人ほど出世欲が人一倍強いのは不思議な偶然です。年頃の娘さんがいる人もいます。家族やひいては自分自身を無自覚のままにないがしろにし、運の無駄遣いをしては機会を逸しているのに気付かない姿は、気の毒を越え物悲しくさえ見えます。

<写真は神々しかった南島・カイコウラの日の出>

西蘭みこと