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Vol.0185 「NZ・生活編」 〜ジョギングはダニーデンで〜

重厚長大。一夜明けたダニーデンはそんな印象でした。10年前の初めてのニュージーランド旅行は南島のクライストチャーチから始まり、レンタカーで一路南へ。初日はダニーデンに投宿しました。着いてすぐに日没となり、辺りの様子もよくわからないまま夜になりました。ガイドブックには「NZ第4の都市」とあったものの、「これが?」と思わず周りを見回し、間違いなく自分が街の中心にいることを再確認してしまうほど小ぶりな街でした。

通りには教会、学校を始めグレイッシュで重厚な石造りの建物が並び、石畳の坂道が幾重にも連なっていました。低めの木造建築が多いNZにあってこの荘厳さはかなり特異ですが、当時の私達がそんなことを知る由もありません。「ずい分イギリス的だなぁ」と思いつつ、歴史の長さを色濃く残す街を歩きました。その日は雨でした。本降りではなかったものの夏という季節の割には冷たい、緯度の高さを思い知らされる雨でした。

カフェやアンティーク・ショップに立ち寄ってクルマに戻ろうとした時、雨の中をひらひらと横切っていくものに気付きました。遠目には傷ついた白い蝶のようですが、実際にはそんなはかないものではなく、白いランニングにゼッケンをつけたマラソン・ランナーたちでした。一人また一人と石造りの見上げるような建物の脇からふと現れたかと思うと、すぐに次の角を曲がって視界から消えていきます。それが遠くからは危なげに飛ぶ蝶に見えたのです。その日はちょうど、街のマラソン大会の日でした。

近づいてみると、華奢に見えたランナーたちはみごとな筋肉をまとったたくましい人たちで、雨で額に張り付いた髪を振り払いもせず、身体からほのかな湯気を立ち上らせ、かなりのスピードで過ぎて行きます。坂ばかりの街を走り抜けていきながら、彼らは力強さを誇るわけでも、苦しそうに喘ぐわけでもなく、ただただ寡黙でストイックでした。それが色味のない、観客もほとんどいない雨の街に良く似合い、今でも記憶に残っています。

きっかけは子供たちでした。「冬休みになったらジョギングしたい。」という長男の一言を私は人質に取りました。初日こそみんな楽しく走ったものの、その後は「どうしても行かなきゃいけない〜?」という子供たちに「約束したよね」とにべもなく言い、彼らの尻をたたきたたき毎日1キロ走らせました。私はその脇で、1キロ、3キロ、5キロ・・・と、徐々に走行距離を上げていったのです。仕事を辞めたら絶対やってみたかったことの、かなり上位に入っていたはずのジョギングとジム通い。どちらもまったく実現しないまま2003年が終わろうとしていました。私は子供の提案を鷲づかみにし、自分一人では果たせなかったことを、彼らを道連れになんとか実現させようとしていたのです。

新学期が始まり一人になっても、私は走っています。かなりのアップダウンがある道を毎朝5キロ走るのが日課です。真っ白なYシャツにいかしたスポーツカーの典型的なエグゼクティブたちが、通勤時間帯の片側一車線の山道でのろのろ運転になっているのをよく見かけますが、ほんの10ヶ月前までは私もアチラ側の人間でした。狭いタクシーの中で新聞に目を通しつつその日の仕事の段取りに当りをつけ、携帯電話でお手伝いさんに指示を飛ばす日々でした。そう思うと今の自由度は足に羽が生えたかのようです。

今では朝目覚めると、「あぁ、走りたいな」と思います。睡眠時間が4時間台の寝不足気味な日でもそれは変わりません。身体の奥の方からそんな声が上ってくるのです。何も使わずに自分の身体と精神力だけを頼りに遠くまで行って帰ってくるという単純なことが、今の気分にとても合っており、生活全体が基本形に立ち返っていく中でこれこそ個としての原点回帰のように思えます。早朝の爽やかな時間に、香港では貴重な緑の近くに身を置けるだけでも気分がいいものです。

走り始めてから、@身軽で行動的になり、A姿勢が良くなり、B肩や腰の凝りが消え、Cストレスがなくなり気分爽快で、D我慢強く、粘り強くなり、E他のトレーニングも始め、F食事がシンプルになり、Gコーヒーの量が減り、H薄着になり、I多少足腰が引き締まり、J前向きになり、K家事の手際が良くなり、L自信が出て、M子供に優しくなったような気がして、N多少なりとも気持ちにゆとりが出てきたように思います。

こう書くと良いこと尽くめのようですが、たった30分といえども走りながら自分とだけ対峙することは非常に意味があるようです。心を無にして走っている時もあれば、何かを考えながら走っている時もあり、他のことをしている時よりも思考が研ぎ澄まされるようです。また、否が応でも自分の体力を知るところとなります。ないならないなりに、努力すればスピード、距離、フォームと少しずつでも改善していけるという手応えはささやかな自信となりました。これは他のことにも活かされるでしょう。そして、身体の声に耳を傾けつつ無理なく過ごすことで、ストレスが入り込む隙ができなくなりました。

いつかはダニーデンの坂道を走りましょう。できたら霧雨の中を。10年前は呆然と見ているだけだった私ですが、今ならゆっくりながらも、白い蝶になってあの石造りの建物の間をすり抜けていくことができるかもしれません。やっぱり夢は一つでも多い方がいい。

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「マヨネーズ」 「洗濯はダニーデンで」(2002年11月配信)以来、1年以上も経っていました。ダニーデンは私にとってNZで最初に訪れた街となるせいか思い出深いです。気軽な一言のために、冬休み中ずっと走らされた子供たちにはいい迷惑だったでしょうが、新年早々、目からウロコの思いです。今年の目標は10キロ。夢の実現に坂を攻めます。

<写真はダニーデンに似てなくもない近所の一角。付近はこの通り、坂ばかり>

西蘭みこと