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Vol.0173 「生活編」 〜真夜中の一番風呂 完結編〜

電話に出てみると義母でした。「みことさん、受け取ったわよ。あなた、どうもありがとうね。」 明るく弾んだ声でした。彼女が受け取ったものは、私がメールマガジンで8回にわたって連載した嫁姑物語「真夜中の一番風呂」のコピーでした。彼女のクラシック音楽の趣味や潔癖症など、話の展開に必要と思われることは、良きにつけ悪しきにつけ包み隠さず書きました。個人の生活をここまで暴露されることは、心よく思われない方が普通です。しかし、私はあえてそのタブーに挑戦し、それに対する義母の答えは「ありがとう」でした。

タブーに挑んでまで私が日本滞在生活を総括することにしたのは、どうしても義母との関係を自分なりに整理してみたかったからです。「義母とはとても仲良く、毎日楽しく暮らしました」と書いても、そこに至るまでの経緯をつぶさに表わしていかなければ、世間一般の認識から言って、嘘っぽさが先に立ちにわかに信じてはもらえなかったことでしょう。そのため、私は一から書くことにしたのです。と言っても、話はゆるゆると始まり、どういう結末になるのかは自分でも決めていませんでした。

「あなた、ごめんなさいね。いろいろ言ってしまって。」電話の義母は拍子抜けするほど率直でした。嫌味の一つも言われてしかるべきところでしたが、あくまでも謙虚で前向きでした。私の語ることに真摯に耳を傾けてくれ、茶化したりする意志がまったくないことが見て取れました。これは想定していた最良の反応をも遥かにしのぐ、想像を越えた好反応でした。これこそが義母の偉大なところで、根っからの「お姫様気質」は、素直な「お嬢様気質」に根ざしたものでもあるのです。昔から君子が豹変するのは、率直だったからでしょう。

「どうかお義母さん、謝らないでください。あの中にも書きましたが、これは謝っていただくような話ではないのです。わかりにくいかもしれませんが、私にはお義母さんを批判する意図はまったくないんです。これはあくまで私個人の問題で、自分と違う考え方をどうやって受け入れていったらいいのかを試行錯誤した記録なのです。ご気分を害されることもあったでしょうに、謝るとしたら私の方です。断りもなくあそこまであけすけに書いてしまって。ご理解いただけて本当に嬉しいです。読んでくださってありがとうございました。」 

私たちはこの瞬間、夫という媒介を通して左右に対峙していた立場を越えました。これほどの手応えは日本での生活を終えた時にすらなかったもので、感動と達成感に胸が震える思いでした。嫁と姑という偶発的にできた、自分たちが選択した関係ではなかった私たちが、本当の意味で母娘として出会ったのです。「書いてよかった」、心からそう思いました。書くことで言葉や態度では足りない、もっと深い思考を手に入れ、それをそのまま義母に見せることができたのです。タブーへの挑戦は報われました。

今度は義母が言いました。「あそこには書いてなかったけれど私が一番嬉しかったのはね、あなたたちがゴールデンウィークの休みを終えて横浜から帰って来た時、玄関に入るやいなや、あなたが"あ〜、ここが一番ホッとする"と言ってくれたことなの。あれは嬉しかったわ。」 確かに、そういうことがあり、私も良く覚えています。その一言はヨメとしてのリップサービスなどではなく、本心でした。新型肺炎(SARS)回避での日本への一時帰国の受け入れ先として、私の実家ははっきり「NO」と言ってきたのですから、帰っても軽い緊張を強いられるのは無理からぬことでした。そこから「YES」と言ってくれた義母のところに戻り、思わずホッとして本音が口をついたのです。

これは私の持論ですが、夫婦、親子、ひいていえば家族は、お互いが努力してこそかけがえのない関係になるのであって、婚姻届という役所仕事や血縁といった偶然の結びつきに頼り切っていると、「こんなはずでは・・」という、思わぬ落とし穴があるものではないかと思っています。家族とは例え相手が子供であってもお互いに耳を傾け、いつくしみあいながら長い時とささやかな勇気を持って培っていくものだと信じています。そうでないと、恋愛の結実だったはずの結婚生活は惰性となり、親子関係は上下関係に転落しかねません。

義母と私は嫁姑というお仕着せな役回りから、悲喜こもごもの想いを乗り越え、手に手を取り合って大脱走したのです。血がつながっていなくたって、世間が眉をひそめる間柄だって、気持ちが固く結ばれてしまえばこっちのものです。私たちに後戻りはありません。「みことさん、あなたの方が一枚上手だったわね」という義母の言葉は、そっくりそのままお返しします。すべてを受け入れてくれたのは、徹頭徹尾、お義母さんの方でした。その懐の深さなくして、この結実はあり得なかったわけですから。心からの感謝を込めて、「ありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします。」

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「マヨネーズ」 11月26日は義父の3年目の命日でした。3年前の冬の入り口のこの日、義父母はクリスマスにちなんだクラシック音楽のコンサートに出かけたのです。義父はとても元気で普段通りだったのですが、家に帰ってから「胸が苦しい」と言い出し、自分のベッドに横になりながら夜7時のニュースを観ていました。義母はその間、湯豆腐を用意し、できたところで彼を呼びに行くと、すでに遠いところへ旅立った後だったそうです。

誰からも敬愛されていた知的で物静かな義父は、最愛の妻に見取られるよりも彼女に何ら心配をかけないことを選んで、静かに一人で逝ってしまいました。彼らしいダンディズムに貫かれた見事な最期でした。私たち家族の義父への想いは、今でも深く深く一家をつなぎとめています。心からの感謝を捧げつつ、冥福を祈って合掌。

西蘭みこと