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Vol.0162 「生活編」 〜真夜中の一番風呂 最終回〜

「わぁ〜、サテのいい匂〜い♪」と私が言うと、一緒に歩いていた長男・温が驚いたように、「ママ!わかるの?」と言いました。「あら、そうね。本当だわ!」と答えると、「ねぇ〜、ママがにおいわかるようになったよ〜。焼き鳥の匂いしたってぇ〜〜」と、なかり後ろを歩いていた夫と次男・善に大きな声で報告しました。すぐに善が「ホント〜?」と言いながら走ってきて、「よかったね〜、ママ!」と言いながら私の腰に抱きつき、夫も微笑みながらゆっくりと近づいてきました。

7月21日に日本から香港に戻った私たちは、数日を置いてすぐにインドネシアのバリ島に飛び、家族水入らずの夏休みに入りました。山間の村ウブドの常宿にしているホテルにチェックインした後、これまた毎回同じみのレストランに行くために私たちは街に出ました。その途中で目抜き通りを歩いていると、どこからともなく香ばしい香りが漂ってきたのです。インドネシア式焼き鳥・サテの匂いです。まるで漫画の一コマのように、たなびく雲のような匂いがこちらに向かって伸びてきたかのようでした。私は嬉しさとともに、日本での生活がとうとう終わったことを噛み締めていました。

実は子供たちは知らなかったものの、私の嗅覚は香港に帰るやいなや、かなり戻っていました。真夜中に帰り着き、疲れ切った状態だったのにもかかわらず、私はラベンダーのエッセンシャル・オイルを焚きながら、荷解きに取りかかりました。片付けに没頭していると、バスルームの方からラベンダーの香りがしてくるではありませんか!驚いて手を止め、香りに手招きされるようにアロマポットに近づくと、はっきりと匂いがわかったのです。

嗅覚がなくなったことに気づいてからの2ヶ月近い無色透明な風景が、急に鮮やかな色彩を伴って戻ってきたようでした。においが戻ったことで、視覚や味覚まで研ぎ澄まされてきたようで、眠っていた感覚がいっぺんに目を覚ましました。しかもここはバリ。普段よりも濃い色合いと深い匂いが、周りに強く立ち込めています。「もう大丈夫。何もかも元に戻ったんだ」とホッとしつつ、キャンドル代わりの小さな灯油ランプが導くレストランの石段を、足取りも軽く上っていきました。

嗅覚を失うハプニングはあったものの、私にとって、日本での姑との生活は楽しく、充実したものでした。期間が限定された特殊な状況であったがゆえ、姑にも私にも、多分子供たちにも、限られた時間をとことん楽しもうという強い意志があり、それが大きく貢献したと思います。「異なるものを受け入れてこそ自分も認められる」という信念を実際に試してみる場でもありました。いくら親族とはいえ、それまでは夫を介在とした付き合いしかなかったので、彼の不在は双方にとり大きな挑戦でした。しかし、結論から言えば、試みは成功でした。私は姑をできる限り受け入れ、私たちも十分に受け入れてもらえました。お互いが自分の価値観に合わないことの存在を認め、それへの対処の仕方を学んだ経緯は本当に尊く、姑にとっても私にとっても大きな自信と安堵につながったと信じています。

姑は静かな一人の生活を棒に振ってでも、上手くいく保証のない試みに乗ってくれたのです。「理由が新型肺炎(SARS)じゃ、当然でしょう?」と、一般的には思われるかもしれませんが、私は自分の実家からは受け入れを断られました。香港を発つ前に、深刻な香港の状況を説明し、「できたら一時的に日本に避難したいので、そちらに身を寄せさせてもらえないだろうか?」と電話で相談した際、両親は「そんなに大げさな話でもないだろう」、「香港の病気なんだから、万が一かかってもそちらで治療するのが一番いいんじゃないか?」と、実にあっさりと言ってのけました。

耳を疑うような反応でしたが、次の会話で疑いの余地がないことが決定的になりました。「肺炎になったら困るからね〜」という母の一言に、「それは私たちのこと?それとも、そちらがなったら困るということ?」と尋ねると、「こちらがよ!知ってるでしょう?私が昔、軽い肺炎をやってるってこと」と言われたのです。彼女が再び肺炎にかかる可能性とは、私たちがそれより先にSARSになることを前提にしたものです。ここへ来て、私は実家への期待を一切捨てました。同時期に、姑は複雑な思いを乗り越え、私たちを受け入れることを決心してくれたのです。彼女に対しどれほどの感謝と恩義を感じたかは、想像に難くないことでしょう。ですから、その中で私が嗅覚を失うことなどほんの些細なことでした。

バリ旅行から更に2ヶ月経った現在、完全ではないものの嗅覚はかなり戻っています。カレーを作ればカレーの匂いが、手を洗えば石けんの匂いが、バスが通り過ぎれば排ガスの臭いがちゃんとするようになりました。先日、マハラジャ風のインド音楽を大音響でかけた清掃車が目の前を通り過ぎる時、すえたゴミ特有の臭いがし思わず嬉しくなってニッコリすると、インド人運転手と目が合いました。彼は嬉しそうに窓から褐色の細い腕を振りながら遠ざかっていきました。お義母さん、ありがとう。そして、さようなら、日本。

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「マヨネーズ」 「日本での生活の締めくくりに・・」と書き始めたこのテーマ、まさか「西蘭花通信」始まって以来の8回連載になるとは夢にも思っていませんでした。8月から約3ヶ月の長きにわたってお付き合いくださいまして、ありがとうございました。"ヨメと姑"というテーマはあまりに重いのか、長い連載の割には反響がまったくありませんでした(笑)。非常に私的な話で、ニュージーランド行きとは何の関連もなさそうですが、私は当初から「これが生涯最後の日本暮らし」と心して臨んでいたので、やり終えたことで移住への心積もりが完全に整った気がします。激怒されるか苦笑いされるか皆目わかりませんが、連載を姑に贈り、私なりの感謝を捧げたいと思います。

西蘭みこと