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Vol.0157 「NZ編」 〜珊瑚と嵐と白いリボン その2〜

ニュージーランド北島最南端のフェザーストンに住む6才の女の子、コーラル・エレン・バロウズが行方不明となり、10日後に遺体となって発見された事件は、人口2000人の町にとり大きな衝撃でした。9月26日の葬儀には家族や友人、警察や学校関係者の他に町の人々も多数駆けつけ、参列者は600人に上りました。単純計算で町の全人口の約3分の1が参列したことになります。おびただしい数のメッセージや詩、花も贈られ、この世に6年しか留まれなかったコーラルに対し、惜しみない哀悼が注がれました。

人生を普通にまっとうできたとしても、仕事などのしがらみなくして葬儀に600人もの参列者を集められる人は稀でしょう。「同じ学校に通う子供がいる」、「捜索に加わった」、「同年輩の子供や孫がいる」、「同じ町で暮らしている」・・・、参列の理由など、何でも構わないのです。人々は「一目でもいいからコーラルに会いたい」、「さよならを言いたい」という思いから、居ても立ってもいられずに参列の輪に加わったのでしょう。

報道で知りうる限り、町の人々の反応は驚くほど迅速でした。行方がわからなくなった当日は500ミリを超える大雨でしたが、各牧場主は自分の敷地内にコーラルがいないことを確認し、警察に報告しています。その後も連日、仕事を終えた酪農家、非番の警官、一般の人と、あらゆる人たちが悪天候も顧みず、必死の捜索を続けたのです。

記事を読みながら、次々に差し出される支援の手に私は舌を巻きました。日本や香港で同様の事件が起きた場合、果たして同じように惜しみない協力が期待できるでしょうか?その可能性は限りなく低いはずです。それは、なぜなのか?人の痛みを分かちあう気持ちに欠けるのか?時間がないのか?多分、その両方が答えであり、比率で言えば3:7くらいでしょうか?「かわいそうだけれど、とてもじゃないが手伝いに行く時間などない」という本音を前に、事件に対する第三者という立場から踏み出すことはほとんどないのです。

フェザーストンでは多くの人が牧場で働いているため、経営者であればなおさらのこと、都会のサラリーマンとは比較にならないほど時間的な余裕があるのかもしれません。その上、顔見知りでなくても自然に親近感を覚えるほどの小さな町ということもあり、事件が発覚するや否や、大勢の人が第三者から第二者へと迷うことなく踏み込んでいきました。このゆとり、この機動力、この良識を心の底から羨ましいと思いつつ、都会の生活が失ってしまったものの大きさを知りました。時間的なゆとりのなさは精神的なゆとりを食いつぶし、良識にさえも爪をかけんばかりになっているのです。もはや、時間に余裕ができたとしても、あえて第二者となろうとする人はごく稀でしょう。(香港の警察は交通量がかなりあった道路での交通事故の目撃者を、頻繁に探しています)

それとともに、記事の中に登場する人々の言葉の端々に、「子供は家族のものであり、社会のものでもある」という精神を垣間見ました。特に今回の事件は家族の中から容疑者が出ていることから、町の人たちがしっかりと手をつなぎ、コーラルばかりでなく奈落の底に突き落とされた家族をも懸命に救い上げようとしていたように感じます。報道もたびたび、この町を"close-knit community"と形容し、人々の結束の強さをにじませていました。子供が社会のものであるならば、その一員である人々が進んで事件にかかわっていくこともよく理解できます。まさに他人事ではないのです。

それを象徴するように、事件後にコーラルの家族が支援の手を差し伸べてくれた国民に対し謝辞を述べ、"I felt like the whole of New Zealand was my family."と語り、事件が家族や地域を越え、国全体で痛みを分かち合うまでになっていたことを示しています。両親はまた、「私たちがこの地獄の苦しみを味わう最後の家族であるよう、また"ミッキー・モー"(コーラルのニックネーム)が私たちの美しい国において、暴力の果てに家族から引き離されてしまう最後の子供となるよう祈っております」と呼びかけ、失われた娘が家族という枠組みを越えた、社会の一員であったことを当然のこととして受け入れています。

子供への視線が自分の子供に限定され、その上、「お受験だ」、「イジメだ」とその視野さえもが狭まっている昨今、この巨視的な視野に社会の厚み、その懐深い場所で育つ子供の姿を見たように思います。両親以外の他人が子供の成長を温かく見守り、必要であれば手を貸すことにやぶさかでなく、不意の不幸に対してはためらうことなく手を差し伸べる社会。隣に誰が住んでいるのかも知らないような都会のマンションで、密室育児を余儀なくされている母親の孤独と不安に比べたら、どんなに恵まれた環境であることか!

コーラルはこんな町で生まれ、愛され、永遠に忘れられない存在となって姿を消してしまいました。事件の解決で、みんなが捜索中につけていた白いリボンは外されたことでしょうが、私は心の中にいつまでも白いリボンをつけ続け、あまりにもいたいけなかった小さなコーラルの冥福を祈ることにします。"Coral-Ellen Burrows, 10th March 1997 -- 9th September 2003, aged six years. Forever in our hearts, forever in our memories."(遺影から)。.

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「マヨネーズ」 コーラルちゃんと次男・善は、誕生日がたった17日違うだけの6才同士でした。今回の事件で、息子たちがインターナショナル幼稚園で、「ABC」を習うよりも早くから叩き込まれていた"share and care"の精神は、単なる教育上のスローガンなのではなく生きたものであることを思い知りました。同時に、自分がそれを実践できることも、実践しない大義名分はないこともよくわかりました。ためらう理由はないのです。

西蘭みこと