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「西蘭花通信」 Vol.0151  生活編  〜残されし者〜        2003年9月13日

今年もまた、この日が巡ってきました。アメリカ国民だけでなく、世界中が長きにわたって記憶していくであろう、「9・11」。あれから2年たったのです。信じがたいほどたくさんの尊い命が失われたにもかかわらず、世の中はこれを教訓に良くなるどころか、ますます悪い方向に進んでいます。6歳の次男ですら、テレビのニュースでクルマやビルが爆破された映像を見ながら、
「ママ、これってテロ?」
と、まるで交通事故か何かを見るように、軽く言ってしまう状況になっているのです。

「9・11」以降も、どれだけ多くのテロ行為があったことか。その間にアメリカはイギリスとともにアフガニスタンに派兵し、あの大惨事への報復に出ました。イラクに対しても開戦し、再びたくさんの命が失われたのです。こうした報道に日々接しながら、やるせない思いは都会のスモッグのように、決して晴れることなく心の天井に厚く垂れ込めています。尋常ならざる人殺しがどんどん普通の生活に入り込み、それを家族揃ってテレビで見たり、朝食を取りながら新聞で読んだりする異常さ。しかし、これが21世紀初頭を生きる私たちの日常となってしまったのです。

ずっと思っていたことがあります。愛する人を失った犠牲者家族が、更なるテロ行為の撲滅を謳いながらも、同時に更なる人殺しを正当化している現状についてどう感じているのかと・・・。どこかで本当の気持ちを聞いてみたいと思っていました。もしも、彼らが報復を望んでいないとしたら、報復の名を借りた戦争の中で、命を落としていく双方の犠牲者たちは二重に浮かばれず、何をしてもそうした行為を止めなくてはならないからです。

その答えの一つとなるであろう本を、日本で読みました。それは、
「天に昇った命、地に舞い降りた命」〜「9・11テロ」で逝った夫へ、残された子供達へ〜」(杉山晴美著、マガジンハウス)
です。著者の杉山氏は旧富士銀行勤務だったご主人を「9・11」で亡くし、想像を絶する体験の果てに、
「わたしには、事件を消化せずして、子供たちを育てることはできない」
と、自らの経験を一冊の本にまとめられたのです。愛す者がいる1人の人間として、子どもを育てる親として、この本を手にした多くの人が涙を流したことでしょう。

イタリアにぞっこんだったスポーツマンのご主人・陽一氏は、当日もいつも通りにあわただしく家を出、その数時間後に帰らぬ人となりました。額面通り受け入れるには、あまりにも突然で、あまりにもむごく、あまりにも無念な現実。まるでこの世に取り残されたように一瞬にして夫を失った杉山氏は、当時3歳と1歳の息子さんと妊娠4ヶ月めだったお腹の赤ちゃんとともに、切迫流産の危機を乗り越えながら必死でその現実の中を進んでいったのです。本当にどのページを繰っても胸が押しつぶされるようで、その痛みが涙となってからだから溢れてきました。

彼女の2002年2月16日の日記から。
「今回のテロ事件が起きてしまった背景にあるものがわかってくればくるほど、どこに焦点をしぼって考えていけばいいのかわからなくなってしまう。いまやそのテロを引き起こした原因が、解決の糸口さえ見えてこない中東問題だったり、そのナイーブなところに、世界のリーダーという奢りをもって無神経に首を突っ込んだ当のアメリカ自身なのかもしれないなど・・・そう考え始めるときりがない。」

「戦争をおこしてまでオサマ・ビンラディンを引きずり出し、世界中の人々の前で裁き、正当と思われる刑に処せたとしても・・・そう、何も解決しないであろうことは容易に想像がつく。それで被害者たちの霊が鎮魂されるとも思えないし、我々家族も納得のいくものではない。現に戦争が起きてしまったという時点で、さらなる犠牲者、犠牲者家族が多数発生してしまっているのだから、納得しろと言われても無理なわけだ。(中略)これからの時代を生きていく子供たちがしなければならないことは、単純に自分たちの父親の命を奪った"個人=テロ"のみに恨みを抱くことではなく、テロリストを生み出さない世界、真の世界平和を模索するということなのであろう。」

「無力なわれわれであってもきっと"考える"ことはやめてはいけないのだ。少なくとも"考える"ことだけはできる。それまであきらめてしまってはいけない。そして子供たちにも"考えることの重要性"を教えていかねばならない。そんな小さな小さな塵が積もって山となり、地球を救うパワーになってほしい。ごめんなさい。いま、お母さんにはそんなことしか言ってあげられない。そして、ここでまたふと思う。彼と話し合ってみたかったな。」

今を生きる私たちは、犠牲者家族と同じく、テロで命を失った人たちからすれば"残されし者"なのです。無差別殺人である以上、彼らがたまたま命を落としたように、私たちもたまたま生きながらえているのではないでしょうか?その意味で、私は自分が事件と無関係であるとは到底思えず、考え続け、いつまでも忘れずにいることで、少しでも現実を変えたいと本気で思っています。途方もない前途ゆえ無力感にさいなまれたり、諦めたりしてしまえばテロがはびこる現実を受け入れてしまうことになります。次世代を育む者として、「それだけはできない」と事件から2年たった今、改めて思いを新たにしています。

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「マヨネーズ」 
偶然ですが、杉山さんご夫婦は大学の後輩でした。もちろん面識はありませんが、奥様とは同じ時期にキャンパスを行き来していたようです。以前、勤めていた銀行の同僚も、あの日に九死に一生を得ています。そうしたことから、なおさら他人事に思えないのかもしれません。陽一さんのご冥福と、晴美さんと3人のお子様が悲しみの果てに、たくさんの喜びに出会えるよう、心からお祈り申し上げます。

西蘭みこと