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Vol.0141 「生活編」 〜真夜中の一番風呂〜

「あら、お義母さん、ご精が出ますね。」「まあ、みことさんこそ。」と、言いながら嫁と姑はそれぞれ手を止めてなごやかに立ち話を始めます。なんということはない光景ですが、これが真夜中の1時半を回った時刻となると、そうありふれた眺めでもなくなることでしょう。私と息子たちは新型肺炎(SARS)回避のために日本に帰国していた際、夫の実家に身を寄せていました。私の実家には受け入れを断られていたので、身を寄せることができたのはそこだけでした。静かな一人暮らしを満喫していた姑にとって、いくら孫がかわいいとはいえ、私たちを受け入れることは大変な決断だったと想像しますが、最初から状況を理解してくれ、期限のない受け入れに協力してくれました。

子供たちにとっては初めてのおばあちゃんとの暮らし。いつもクラシック音楽が流れる、自宅とは全然違う環境に、多少緊張しながらも興味津々でした。小学校まで子供の足でも徒歩5分、駅まで7分、近くに古い神社もあって、遊ぶ場所には事欠かない素晴らしい環境でもありました。香港では治安の問題や習慣の違いから子供が一人で出歩くことはまれだったので、スクールバスではなく子供同士で歩いて登下校し、学校が終わってから近所に遊びに出られることは、心から楽しかったようです。

私にとっても初のヨメ暮らし。自分の実家さえ22年前に出たきりなので、親との暮らしというもの自体が遠い記憶の彼方でした。日本での落ち着き場所を友人や関係諸方に連絡すると、真っ先に言われたことが「ご主人の実家?大丈夫?」でした。結婚している女友だちからは「あなたの専業主婦っていうのもビックリだけど、ヨメというのはもっと見ものね」、「勇気あるなぁ。私にはできない」、「国際結婚だからそれだけは免除されててラッキー♪」と言った内容のコメントがジャンジャン寄せられ、まるで鬼退治に行く桃太郎気分。

ここへ来て初めて、姑との同居がそんなに特別なことなのかと思い当たりましたが、コメントを寄せてくれた友人自体、誰一人として同居を経験したことがなく、彼女らの危惧がどこまで本当かはわかりませんでした。同居にまったく不安がなかったと言えば嘘になるかもしれませんが、私はかなり楽観していました。まず、受け入れられたこと自体が大きな自信であり、感謝の気持ちでいっぱいでした。その上、お互いに限られた貴重な時間を楽しもうという意思がありました。結婚して13年、帰国するたび夫の実家には3泊はしているので母の性格や好み、家の勝手もそれなりにわかっているつもりでした。彼女は一も二もなくクラシックが好きで、コンサートやオペラに頻繁に出かけていました。友人も多く、毎日のように遠方の友人に手紙をしたためてもいました。

それに加え、私は人と暮らすことをあまり苦にする性格ではないようで、日本で下宿していた3年間を除き、ほとんど一人暮らしをしたことがありません。台湾では留学生寮の相部屋に1年近くいましたし、留学生仲間4人とマンションの一室を借りてのフラットシェア(=共同生活)もやり、パリでは学校近くのアパルトマンに居候していました。香港では友達のところに転がり込んだ後、仕事が見つかってからは同僚と会社が用意してくれたマンションで暮らし、シンガポールでは夫と出会ってすぐに結婚し、今に至っています。

1ヶ月ぐらいの短期間の人も含めれば、一つ屋根の下で寝起きをともにし、同じ釜の飯を食べた人はなんだかんだと延べ50人は下らないでしょう。ここ10年は子供とお手伝いさんとの暮らしも経て、相手は生まれたばかりの新生児から80代、国籍も20ヶ国近くに上っています。「彼らは所詮、他人」と言う意見もあるでしょうが、私は親類縁者だから特別という風にはあまり考えたことがなく(例え親兄弟といえども努力の末にかけがえのない関係になるものと思っています)、経験は姑との暮らしに必ず役立つと思っていました。

同居を始めるに当たって自分の中での基本方針を固め、最後までそれを守ることにしました。それは、@姑の生活習慣をできるだけ尊重する、A問題が生じた時は我慢も逃げもせずに率直に話し合う、B子供に対しての母親としての役割を貫く、C家賃を払うなど金銭関係を明確にする、D亡き舅への仏花を欠かさないの5点です。@に関しては言うまでもなく、居候としては当然でした。ただし、そうするに当たり何らかの不都合が生じることも想像に難くなく、AやBの必要性もまたしかりでした。Cは私らしい合理的な考え方、Dは常に敬愛する舅への私にできる精一杯のことでした。

一方、姑からの要望は、@午前中に洗濯をするので朝の洗濯は遠慮して欲しい、Aお風呂は私がしまい湯に入った後、お湯を張りなおして一番風呂を用意して欲しい、という2点でした。Aに関しては、旅行でお邪魔している時からそうだったので私には既知のことでした。幸い風呂洗いは嫌いな方ではなく、それが毎日であっても構いませんでした。その結果、超夜型人間である姑のために夜中の12時近くになってから一番風呂を用意するのが日課となりました。ところが、姑はそれから延々と掃除を続け、私はパソコンの前に座りこみ、たまたま廊下ですれ違う時に、冒頭のようなシーンとなったわけです。 (つづく)

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「マヨネーズ」 香港に帰ってきて何がウレシかったかと言うと、家でコーヒーが飲めることです。コーヒーぐらい日本でだって飲めるのですが、私はエスプレッソマシーンで淹れたイタリアンローストのカフェラテやカプチーノなど濃い系にミルクたっぷりというのが好みなので、日本ではマシーンがない以上、家で飲むことを諦めていました。そこで毎日、近所の「モスバーガー」で味は薄目ながらも、一杯やるのを楽しみにしていました。外出した時はすかさずカフェに入り、トールを頼んで飲みだめしてました。「タリーズ」行きたさに、隣の駅まで歩いたりもしてましたっけ?今や懐かしい思い出です。

西蘭みこと