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Vol.0136 「生活編」 〜107days〜

4月5日以来、107日ぶりに香港に戻りました。これで西蘭家の新型肺炎(SARS)回避のための日本滞在は、無事終了しました。「お百度を踏もう。それが終る頃には問題が収束しているかもしれない。」 私は夫の実家である千葉の松戸に身を寄せることを決めた4月中旬、そう決心しました。幸い徒歩2分圏内にかなり由緒あるお寺があり、歳月を重ねた境内や植え込みなど心が落ち着く場所で、私は進んで毎朝のお参りに行くようになりました。そして幸運にも、願い通りの結果になりました。

今回の日本滞在は3月中旬までは夢にも思わなかったことでしたが、私は数日間で急速に認識を改め、日本に帰ることを視野に入れました。そして26日、事態は私にとって決定的なものとなり、子供たちを連れて日本に帰った方がいいと夫に切り出し、4月5日にはそれが実現しました。「果たしてここまでやる必要があったのか?」という疑問は今でも残りますが、別居を余儀なくされながらも日本滞在を強行したことは、良かったと思うようにしています。香港を出る前の緊張は今でも忘れられません。備えというものは問題が起きなければ、大げさで、滑稽にも馬鹿げたものにも見えるでしょうが、私たちは自分たちにできる範囲で、子供たちの安全を最優先することを選択したのです。子供がいなかったら確実に香港に残っていたはずです。

今回の日本滞在を経て「失ったもの」は、@約3ヶ月間の家族水入らずの生活、A子供たちの実質3学期(6月末で終業)くらいなもので、私個人では、B仕事、C1年契約だった顔の脱毛の最後の数回分、D天安門事件14周年追悼大会や国家安全条例反対への50万人デモへの参加の機会といったところです。Bは大きな変化といえますが、もともと在宅の仕事を希望して4月から勤務体系を変え、仕事を半分以下に削っていたところだったので、職場、私自身への実質的な影響はごく限られたものだったのは幸いでした。

その一方で「得たもの」は、枚挙にいとまがありません。まず筆頭は、@子供たちの生まれて初めての日本での生活と日本の学校への編入経験、Aたくさんの新しい友だち、B子供にとってはおばあちゃん、私にとっては姑との生活、C家族が離れ離れになってでも問題を乗り越えていく経験、D母子ともに新しい環境で人や地域に溶け込んでいく経験など、香港暮らしを続けていたら絶対に得ることのなかった貴重な体験をしました。

私個人に限れば、なんと言っても、E運転免許、F専業主婦になったことによる時間、Gボランティア経験、Hご無沙汰していた友人との再会の機会(それでもまだかなりの方に会えませんでしたが)、I初の本格的な親戚付き合い、J夫がいない状態で家庭を切り盛りしていく経験、K押し花アートとの出会い・・・と、言ったところでしょうか?「失った」仕事と、「得た」時間は表裏一体ですが、私は収入をなくしたことを考慮しても、この決定はプラスだったと確信しています。

一方の夫からは、「降りそうな空模様。今から掃除をしてその後はスーパーへ」とか、「刺身フェアがあるので、久し振りに中落ちでも買おうと思ってる」というメールが頻繁に来るようになり、彼は今回の別居で生まれて初めて家事に取り組みました。ニュージーランドに行ったら二人とも在宅ですので、私だけが家事をする大義名分はありません。それでも習慣上、ほとんどを私がせざるを得なくなるところでしたが、夫が天気を見ながら洗濯したり、食材を無駄にしないよう献立を決めていくことを経験したことで、家事への理解を飛躍的に深めてくれたものと期待しています。この辺は百聞は一見にしかずで、濡れた洗濯物を取り入れたり、ダメにしてしまった食材を捨ててこそ覚えていくもの。移住後の家事分担、ひいては夫婦の絆の一層の改善という面で、これは夫婦にとって大きな前進でした。

子供にとっては、日本の総合点は相当高く、同じ顔つきの日本人に混じって、日本語だけで暮らすということだけでも、とても新鮮だったようです。おかげで二人とも日本語が格段に上手になりました。特に善は、来た時は「あいうえお」の「あ」の字さえ読めない、書けないだったので、カタカナまで書けるようになり親子ともども感無量です。温も実験をやったり、掃除をしたり、クラブ活動に参加したりと、日本の教育ならではのきめ細かさを十分堪能したようです。二人とも毎日、友だちと外で遊び、帰ってきてからは夕ご飯までたっぷりマンガという、香港では望みようもない環境を心からエンジョイしていました。

更に、予想外の三世代の暮らしも実現しました。子供たちはおばあちゃんの昔話やパパが子供の頃の話、生前のおじいちゃんの話に興味深げに耳を傾けていました。親以上の世代が家にいることで、それまでは絶対に見えた親とて、絶対的な存在ではないということを本人たちに自覚があったかどうかにかかわらず、見聞できたことは意義あることでした。

私たち家族は直面した問題を話し合うちに、「家族とは?」「将来とは?」「自分とは?」と、全員が各人の考えを多少なりとも掘り下げざるを得ず、その過程こそが大きな収穫でした。私自身、20年ぶりの日本は思った以上に暮らしやすかったにもかかわらず、むしろNZ移住への決意と意義を再認識する結果となり、「必ず行こう」という思いを新たにしました。私たちは少し遠回りをしてSARSを乗り越えた分、一回り成長したようです。

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「マヨネーズ」 西蘭家のSARS回避生活は無事終了しました。幸い家族や身近な人に感染者が出ることもなく、香港を出た時には遠い話に思えた、「夏までの収束」という希望的観測通りの結果に終りました。この場を借りて、この間いろいろ気にかけてくださり、メールや書き込みををしてくださった方々を始め、読者の皆様にお礼を申し上げます。

西蘭みこと