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「西蘭花通信」Vol.0107 「生活編」 〜タイムレバレッジ 借り物のツケ〜 2003年3月22日

金融業界ではよく"レバレッジ"という言葉を使います。辞書には"てこの作用"と無愛想に書いてあるだけで、訳語を読む限り「なんのことやら?」と今ひとつピンとこない言葉です。つまりてこのように、一方に小さな力をかけるともう一方が大きく跳ね上がる作用を利用して、元手は小さいのにその何倍もの資金を動かして利益の拡大を図ろうとすることです。日本語ではぴったりする言葉がないので、「レバレッジ効かせた資金運用」といった具合に、カタカナでそのまま使うことが多いのもその説明の難しさを表しています。

これはジョージ・ソロスで名を馳せ、一時は世界中の金融市場を縦横無尽に駆け巡っては巨額の資金力で相場をねじ伏せていたヘッジファンドの十八番でもあります。彼らの恐るべき資金力はかなりを"てこの作用"に頼り、彼らはその作用を極限化する方法に秀で、お互いにしのぎを削りあっていました。こうした特別な人たちだけでなく、身近なところでは株を信用取引で買ったり、住宅ローンを組むこともレバレッジを効かせていることに変わりありません。手元資金や頭金という自己資金を越える資金を運用しているのですから、金額の大小の違いはあるにしても原理は一緒なのです。

私はレバレッジをかけてまで金儲けをすることに興味がなく、マンションを2回ほど住宅ローンで買ったことがありますが、いずれもとっくに手放しており他に借金をしたことはありません。商売柄、レバレッジの維持費(往々にして金利になりますが)の高さと怖さを熟知しているせいかも知れませんが、根本的に一銭でも多く儲けようという欲がないのです。その代わり時間には貪欲です。住み込みの家政婦という自分の分身を得たことで、私は1日を24時間から実質40時間(彼女の睡眠時間を除いて)にまで引き延ばしてしまったのです。

それにより子育てをしながらフルタイムの仕事も続けるという今の生活が可能になりました。仕事をして収入を得ている以上、お手伝いさんに支払う月5万5,000円の給与にレバレッジを効かせ、「自分はその何倍かの収入を得る」ということにもなるのでしょうが、私が本当に欲しかったものは収入そのものではなく、自分がしたいことを限りなくすべて続けていく自由な裁量であり、それをかなえていくための時間でした。

私の収入はあくまでその結果であって、目的であったことはなかったはずです。 しかし、レバレッジは高いリスクを伴う宿命にあります。本来なかったものを借りてきて背伸びしている状態なので、代償は決して少なくありません。ただし、代価を支払ってでも得るものがあると思うからこそ、人はそうするのです。しかし、その状態が長く続くとだんだん背伸びしていることを忘れ、すべてが自分のものであるかのような錯覚に陥り、罠に落ちます。まさにそんな時にこそ思惑が外れ、金利やツケが化け物のように膨らんで、重く、重くのしかかってくるのです。

私のタイムレバレッジも例外ではありませんでした。良いお手伝いさんに恵まれ、子どもが小さかった頃は、
「こんなに上手くいくなんて♪」
とホクホクでした。なんの問題もなく子どもはスクスク育ち、お手伝いさんも気立てのいい気の利く人で一緒に暮らしていることに、何の不満も我慢もありませんでした。そして、私は知らず知らずのうちにその快適さにハマってしまいました。

いつしか子どもは寝てばかりいる年齢をとっくに超え、話し相手も遊び相手も気まぐれに付き合っているだけでは追いつかない年にさしかかっていました。学校からの宿題も日本の学校のものとは違って、相手と一緒にゲームのように進めていくものがたくさんありました。狭い家の中のちょっとした物がお手伝いさんに聞かないとどこにしまってあるのかわからなくなり、
「子どもの髪を切りに連れて行った方がいい」
「体育の靴が小さくなってる」
「柔道でこんな技ができるようになった」
と、私にはわからなかったり、気がつかなかったりすることがジワジワと増え、それは床下から床上へと水面を上げてきていました。

レバレッジを効かせた1日40時間体制の生活がだんだん手に余るようになってきたのです。毎日の中で自分の知らないことがどんどん増え、特に日に日に成長していく子どもたちのことが分からなくなっていくようで不安が募ってきました。そんな中で9歳になった長男とのコミュニケーションが決定的に難しくなり、私はレバレッジの恐さを身にしみて感じ始めました。ちょっとしたことを注意しているつもりでも本人が涙ぐむほどショックを受けたり、私には信じられないような事を本人はまったく意に介していなかったりと、にわかには理解しがたいことが集中豪雨のように降りかかってきたのです。

人任せ、またある時は、
「最近しっかりしてきた。」
などと言って、手を抜く代わりに本人任せにしてきたことのツケが大きくのしかかってきました。
「なぜわかってもらえないのだろう?」
「どうして同じ事が何度も起きるのだろう?」

なぜ?どうして?と、思い悩む中で、自分が問題に対して四つに組んでおらず、及び腰であることを認めざるを得なくなりました。レバレッジで膨らんだ時間を巻き戻さなくてはいけない時期に来たのです。その中でできないことは諦めよう。そう思って自分の生活に優先順位をつけた時、仕事が最下位に来ました。

4月から私の1日は9年ぶりに24時間に戻ります。

(このメルマガを書いてから1年後。ニュージーランド移住が決まった夜にシャンペンを開けてお祝いしました。初めてのシャンペンに子どもたちはちょっと緊張。温10歳、善7歳→)

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「マヨネーズ」 
先日、ある店でレジに並んでいると足元に何かを感じ、見ると小さな女の子が私のふくらはぎを触っています。1才ちょっとでしょうか?クリクリした目のチベット人の子でした。しかし、赤ちゃんらしからぬ表情で、目が合ったら二ッカ!と笑っています。網タイツが珍しかったのでしょう。

「あなたも大きくなったら履くかもよ・・・」

西蘭みこと