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Vol.0081 「NZ編」 〜父たるもの泰然と湯を沸かそう〜

男は腕を組んでじっと座っていました。頭を挙げ、背筋を伸ばし、誰もいない大きなテーブルに一人で座っています。スキンヘッドに袖をちぎった黒のTシャツ。逞しい二の腕には程よい筋肉と刺青も載っています。大きめのピアス。裾が編み上げブーツにねじ込まれた黒の戦闘服パンツ。顔に細く張り付いたサングラスは真っ黒で、男の視線がどこに向かっているかはわかりませんが、この姿勢からすると真正面を凝視しているようです。

こんないでたちの人に、夜の繁華街で会ったら思わず視線を反らし、なるべく目を合わせないようにしてやり過ごしたいところですが、私は隣のテーブルで彼から目が離せずにいました。今は燦々と陽が降り注ぐうららかな午後。しかも、渡っていく風が気持ちのいい外の芝生の上です。私がチラチラ見ていることなどバレバレだったかもしれませんが、男はその姿勢のままじっと待っていました。彼は湯が沸くのを待っていたのです。テーブルの上には鍋物をする時に使う見慣れた卓上コンロが置いてあり、その上に小振りのガラスポットが載っています。ガラス越しにガスの青い火も、水の中の空気が一つまた一つと上がってきては爆ぜ、沸点に近づいていくのもはっきりと見て取れます。

グラグラと湯が沸いてきましたが、男は身じろぎもせずに腕を組んだままです。しまいにはポットが揺れ出すのではないかと思われるくらいに煮えたぎり、思わず立っていって火を止めてしまいたくなるのをジッと堪えていると、やっと火が消されました。でもガラスの中の狂乱はそう簡単には収まらない様子で、なおも派手に泡立っています。男はゆっくり立ち上がると足元からやおら何かを持ち上げ、テーブルの上に置きました。それはかなり大振りのピクニック用バスケットでした。取っ手を左右に開き、その下の蓋も左右に開くと、中が布張りになっているようなタイプです。

まるで儀式を執り行うように、男は慣れた手つきで事を運んでいきます。きびきびとしていながらどこか優雅で、形式美さえ感じさせる動きです。私が盗み見している以外、誰一人見ていない中で、無駄のない流れるようなしぐさが続いていきます。バスケットから取り出した缶から茶葉を出してポットに入れ、次に重ねたケーキ皿を出し、底の方から更にティーカップを一客ずつ取り出しています。全部で六客出たところで、テーブルの上にカップとソーサー、ケーキ皿と、セットで並べ始めました。

並べ終わった後、テーブルの周りを回ってセッティングを確かめている姿は、有能な執事が大事な客人をもてなすために入念なチェックを入れているかのようです。蝶ネクタイの燕尾服ではなく、ブーツを履いたスキンヘッドという外見ながら、大切な人に仕えることを誇りとし、自分の使命をまっとうしているような忠実な姿は優美でした。点検が終わると男はポットの中で美しい琥珀色に変わったお茶を一客ずつに注いでいき、バスケットから出したクッキーをお皿に並べ始めました。

用意が整ったその瞬間、どこからともなく長いワンピースの裾を翻しながら髪の長い女の子が現れました。テーブルにつくと、胸から上しか見えないような小さな女の子です。パッとお皿のクッキーをつかむといきなり食べ始めました。その時もう一人同じような、けれど少し大きい女の子がやってきて席に着きました。そしてまた一人、また一人。似たような顔つきの長い髪。四姉妹のようです。

子供たちが着席したところで、向こうから小花柄のローラ・アシュレイそのままのワンピースを着た、背の高い細身の女性がゆっくりと近づいてきました。長い金髪を無造作に結んだ裾が風に揺れています。手には麦藁帽子を持っています。娘たちの世話を焼いていた男は妻に気付くとすぐに身を起こし、抱き寄せて軽くキスをするとテーブルに招き入れ、自分もその横に座りました。こうして一家の夏の日の午後のお茶が、美しい緑の芝生の上で始まったのです。

私達はオークランドから車を飛ばし、日曜しか走っていないというグレンブルックの蒸気機関車に乗りに来ていたところでした。線路脇のピクニック用の木のテーブルの上には、どこも同じようなピクニックバスケットが口を広げて置いてあります。お茶かコーヒーが入っているらしい魔法瓶のポットは随分見ましたが、コンロまで持ち込んで湯を沸かしていたのはこの一家だけでした。彼の服装、立ち居振る舞い、家族への想い、そのすべてが強烈な美意識で貫かれていました。さんざめく明るい日差しの下、家族にお茶を淹れるという行為がこんなにも美しいことであると、誰が想像し得たでしょう。人生で五指に入る衝撃的な人でした。それと同時に、彼はキウイハズバンドの類まれなる原型として、私の脳裏に深く深く刷り込まれていきました。

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「マヨネーズ」  "男気"とか"ダンディズム"とか、日本語でも英語でも古風な形容詞でしか彼の人となりを説明できない感じです。同じことをお母さんがしていても、それなりにステキだったかもしれませんが、彼が一家の父としてやっていてこその、忘れられない光景です。もしも世の中のお父さんの価値が「金持ちとうさん貧乏とうさん」のように財力、もしくは職業や肩書きで測られるのだとしたら、彼はそれとは全く無縁のところにいます。ましてや過去に属する学歴など、彼の圧倒的な存在感を前に何の意味もなさないことでしょう。

「男が男らしく、女が女らしく」。これが私にとってのキウイたちです。夫もキレイなキウイのおねえさんとすれ違ってはため息。夫婦でお互い、「今度ケッコンする時はキウイにしよう♪」と、つぶやきながら旅を続ける西蘭家でした。

西蘭みこと