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Vol.0064 「香港・生活編」 〜哀しみの予感〜

「哀しみの予感がします…」。97年に送った、親しい友人への手紙をこんな書き出しで始めた記憶があります。その頃の香港は中国への返還ブームに沸きに沸き、「不動産を午前中に買ったら、午後には誰かが150万円以上上乗せした金額で"売って欲しい"と言ってきた」などという、今では信じられないような話がゴロゴロしていました。当時の私はある邦銀で今と同様に、金融業界の上澄みを取りにいくような株の仕事をしていたので、おカネ、株価、人々の心までもが、魔法でもかけられたかのようにその辺に漂い出す、不思議な浮遊感を味わっていました。

でも私は傍観者でした。仕事柄一日中眺めている株価の情報端末の上で、「今日はコレが来るかな?」と思う銘柄がスルスルと面白いように上がっていっても、個人で株を買おうとは思いませんでした。私はそれを自分が日本人だからだと考えていました。既に海外にいたので自身が経験した訳ではありませんが、日本のバブル崩壊を知っているために、回りの香港人と一緒に浮足立つような気にはとてもなれないのだろう、と思っていたのです。

しかし、どうもそうではなかったようで、業界の日本人と話すと、かなりの人が「中国の成長神話が始まる」と、せっせと中国関連株の投資残高を積み上げているところでした。私の知る限りでは、私と同じくらい行く末を案じていた人はたった一人でした。個人では一株も持っていなくても、仕事では手控えつつもまだ株のポジションを持っていたので、相場動向は気がきではありません。しかし、それ以外は自宅のマンションまで売りに出し、来るべき日に備えていました。

7月の返還を経てもお祭りムードが続き、指標指数であるハンセン指数は8月に入って1万7000を目前にしたところでやっと反落しました。その年の始めは1万3000だったので約3割の値上がりです。中国関連株は2倍以上に跳ね上がっていました。相場の反転は始めのうちこそ微調整のようでしたが、下げが加速するとパニック売りになり、1ヵ月であっさり1万3000台に戻ってしまいました。約2割の急調整。これに肝を冷やすと同時に、"終わりの始まり"を直感しました。

すぐに日本人上司に「全部売らせて下さい」と言いに行くと、いつもは穏やかな彼に目をむいて怒られました。「"初押しは買い"っていう言葉を知らないのか!自信がないんだろう?売りじゃないよ、今は買いだよ!」、という彼の言葉を今でもはっきりと覚えています。でも株価が大きく値下りすれば私のポジションですから損は私のものになります。もちろん 、しがないサラリーマンなのでそれでどうなるという訳ではなく、最悪でもクビで済みます。

しかし、損失は銀行を直撃します。私のポジションなどどうでもいい大きさでしたが、債券、為替、デリバティブ、金利と、銀行としては他の金融商品でも大きなポジションを持っているのですから、「相場がもっと崩れたら?」と思うと、オフィスに座っていても一瞬膝頭が震えるほどの恐怖を感じました。しかし、直後には白夜のような暮れることも開けることもない、白々とした哀しみに包まれていました。「とても哀しいことが起きる」。それは予感というよりも確信でした。

上司に怒られた数日後、私達は腰を抜かすような発注を受けました。東京の本店が本体勘定として持っているアジア株全ての売り注文を出してきたのです。多分、十年近くかけて積み上げたポジションです。「こんなに持っていたのか〜!」。見たこともないような大口注文の伝票を見ながらため息が出ました。「売り終るまで何日かかるだろう。それまで相場がもってくれればいいが…」と思いながら、手当たり次第に成り行き注文を出し、優良株の山を切り崩し、相場の海に投げ捨てて行きました。この時に上司が私のポジション整理をOKしたのは言うまでもありません。約1週間でほとんどを売り切りましたが、相場は1万4000台で小康状態でした。「間に合ってよかった…」。そう思った私はすぐに休暇届けを出しました。(必ず、つづく)

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「マヨネーズ」  日本に帰るので、長袖を引っ張り出しながら額に汗で荷造りしていると、見知らぬ子が家の中を走って来るではないですか!!!!「なに、なに???」とびっくりして顔を上げると、リビングにはニコニコした小柄な白人女性も!!!!そこでやっと、長男の温が遊びに行っていたお家のお母さんが送ってきてくれたのだと分かりました。普通は近くまで来たところで電話がかかってくるのですが、初めてお招きに預かったこのお家のやり方はなんともダイレクト!玄関の鍵をかけていないウチもウチなんですが・・・。

お互い学校では何度か顔を合わせていたので、やっと親子が判明してジグゾーパズルがピタッとはまったようで妙にウレシイ気分。握手をすると指が折れそうに大きなダイヤの指輪。「ミッソーニ?」という感じの上品なセーターといい、全身これ金持ちっ!というのが余すところなく出ているお母さんでしたが、経験でいくとこのクラスまでイッちゃってる人は全くムリというものがなく、すごくいい人が多いのです。

鼻から抜けるクイーンズイングリッシュを滝のようにしゃべりつつ、夏服、冬服、おもちゃが散乱した最悪の状態の家を、靴履きのままコツコツと興味深げに歩く姿はまるで「ローマの休日」。「こういう生活もあるのね♪」と、王女サマ(本当にそんな雰囲気の人)は興味津々で、はばかることなく見ていかれました。温によればお屋敷にお住まいで、お手伝いさんは3人!すれ違いだった夫も「下にすげ〜ベンツが停まってたぞ〜」とご帰宅。こういう同級生がいる香港ってやっぱり面白い!

西蘭みこと