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Vol.0050 「NZ編」 〜ワンツリーヒルの住人〜

ワンツリーヒルに住んでいたことがあります。と、言ってもオークランドのではなく、シンガポールの話です。メインストリートのオーチャード・ロードから少し入ったグレンジュ・ロード沿いに、隠れ家のようにこぢんまりとした古いアパートを見つけ、一目で気に入ってしまいました。散歩がてらに近所を歩いては、「どの木が"The"ワンツリーヒルなんだろう」と探してみましたが、とっくに切り倒されてしまっていたのか、名前の由来となりそうな大木はありませんでした。そのうち夫と知り合い、彼がよく遊びに来るようになり、90年のクリスマスには隠れ家に引っ越してきました。ですから翌年の4月に結婚して引越すまで、私達は約3ヶ月間、"ワンツリーヒルの住人"だったのです。

オークランドのワンツリーヒルは霧雨でした。降ってくるというより水分を含んだ空気が辺りを包んでいるかのようでした。当時3歳だった次男でも難なく歩けるなだらかな坂を、傍らで黙々と草を食む羊たちを眺めながら上って行きました。標高200bもない小高い丘は周りを睥睨するでも威圧するでもなく、ただただ穏やかでした。みんな愉しみのためにゆるゆると歩いていくようです。それが先住民のマオリの人々にとって聖なる「パ(Pas)」と呼ばれる自然の要塞であり、また生活の拠点であったことは、その時点では知りませんでした。しかし、"地の利"というものが初めて訪れる者にもわかるほど、人々を惹きつける強い"気"を持った場所のように思えました。

頂上に立つと、その見晴らしは想像を超えたものでした。まるで市内を見守るような目線で360度が眺望できるのです。そこから見るオークランドの街は掌から零れ出たように広がり、海に注ぎ込む際までゆるやかに続いています。「どんなにシャッターを切っても収め切れない」と、早々に諦め、ほとんどファインダーをのぞくことなく、ただただその眺めに身を任せていました。ひとしきりして、「で、"その木"はどこにあるのかしら?」と辺りを見回し、石造りの階段を上って本当の突先まで上ってみました。

ワンツリーヒルにはその名の通り有名な木があるとガイドブックにあり、左右に枝を張った大木の写真が小さいながらも載っていました。しかし、目の前に聳えるのは巨大なモニュメントのオベリスクばかりで、目指す木はありません。ただ切り跡の生々しい大きな切り株が風景の中に差し出されるように横たわっているばかりでした。私達は木が既に切り倒されていたことを知りませんでした。事情がわからぬ者にとっても、その切り株には少なからぬ衝撃を覚えました。

"その木"は松の木で、樹齢125年でした。2000年の10月26日、嵐の接近を前に倒壊の危険からオークランド市議会の決定で切り倒されたのです、私達が訪れるちょうど3ヵ月前のことでした。他に樹木らしい木がほとんどない、草に覆われた丘の上にたった一本立っていた木は、入植してきた西洋人たちに植林されたものでした。松という、従来ニュージーランドにはなかった"西洋の"木が、 "聖なる"パに街のシンボルとして植えられていることは、長らく一部のマオリの人たちの反感を買ってきました。94年と99年にはマオリの活動家によってチェーンソーで切り倒されそうになり、最後はワイヤーで支えられながらも、かなり傾きが激しくなっていたそうです。

たかが1本の木。でも生まれた時からその木を見て育った人が何千、何万人といたはずで、それがある日忽然と視界から消えてしまうということは、失ってみなくてはわからない大きな喪失感だったのではないでしょうか。それが生きていた木であったからこそ、古い建物が取り壊される以上の愛惜があったのではないかと思います。現に切り株にはたくさんの名前が刻み込まれ、市民の愛着のほどが偲ばれました。「木があるうちに来てみたかった」。それが正直な想いでした。在りし日の姿をこの目に留めておきたかった。でも所詮は手遅れでした。

いつかワンツリーヒルに住もう。
もう木はないけれど、新しい木が植えられたらそれを眺めながら、慈しみながら暮らしていこう。
眼にすることのできなかった最初の木を偲びながら。
その木が天寿をまっとうすることなく、逝った事を心に留めながら。
自らの命と引き換えに木が残していってくれたものを抱いて、ワンツリーヒルで暮らしていこう。

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「マヨネーズ」 メルマガ「西蘭花通信」50号完成!パチパチパチ(一人パソコンに向かって拍手)。「不定期でも週イチ平均で出せたらいいなぁ」と思ってゆる〜くスタートしたので、50号といえば予定の1年分ではないですか!なぜか4月以降、週2回配信となり、その頃始まった「ミニ西蘭花通信」のほぼ週イチ連載もすっかり定着してしまったのには、自分でもビックリです。ニュージーランド滞在は3回全部合わせても1ヶ月にもならないので、途中香港の話などでつないだとしても「どこまでもつだろう?」と最初は半信半疑でした。しかし、書き進むうちにいろいろなことを思い出し、NZヘラルドを開けば眼からウロコの記事がざくざくで、何だかんだと常に6〜7本のファイルを用意している有様です。

しかし、語りつくせないNZの魅力もさることながら、一番最初に連絡を下さったレディーDやめでたくキウイとゴールインのMさん他、「実は私も・・・」とNZ行きを目指す多数の方々からのメールがどんなに励みになったことか。ホームページの掲示板に書き込みをして下さった方、香港のよしみやビーズつながりでご連絡くださった方、NZに興味はなくても義理で読んでくれている友人など、メルマガとホームページの開始以降、何らかのかたちで私達に関わって下さったすべての方々に、この場を借りてお礼を申し上げます。たった一人でも何十人でも、読んでくださる方があっての「西蘭花通信」です。これからも試行錯誤、縦横無尽、支離滅裂、自由奔放、奇妙奇天烈を繰り返しながら、あの手この手でアオテアロアに向かっていきますので、どうかたどり着ける「その日」まで、お付き合い下さい。

西蘭みこと