2002年12月28日(土) 何でも今年最後 今日は友人のSさんご夫婦の結婚式でした。本当に素晴らしい式で、今までのいろいろなことも思い出され感無量でした。どうか末永くお幸せに(写真はギャラリーに掲載してます)。 今年も残すところ100時間を切り、何をやっても今年最後となってきました。今年最後のメルマガは今朝、配信してしまいましたし、結婚式への参列ももちろん最後。式の後には今年最後の買い出しに出かけ、ホームデリバリー分も含めカート2台分山盛りで、ど〜〜んと買い込んできました。これで年の瀬、新年を乗り切る算段です。明日は今年最後のBBQへ。二家族、子供計六人で、海の見えるとっておきのBBQサイトへ出かけます。朝から今年最後のおにぎり作りです。 昨夜は今年最後の夫との外出で、最近ずっと気に入っているイタリア料理レストラン「DALUCA」へ。美味しいワインと美味しいお食事で久し振りにのんびり食事してきましたが、明日は結婚式を挙げたS夫妻を囲むインド料理の夕べで、これも今年最後の友人との会食。 香港は1月1日の新年をほとんど祝わないので、なんと31日までバッチリ出勤(涙)。ですから31日が今年最後の出勤日となり御用納め。しかも月末なので今年最後のレポート書きなどして、家にトンボで帰り、夜は友人3家族を招いての年越しパーティー。う〜ん、今年も大掃除は省略ですかね? by みこと 2002年12月26日(木) ボクシングデー 今日はボクシングデー。香港では中国返還以前から、この日はクリスマスとともに休日でした。返還後はエリザベス女王の誕生日同様、真っ先になくなる休日かと思ったら、意外や意外、今でも残っています。何をする日かというとクリスマスでもらったプレゼントを開ける日だそうです。でも西蘭家の子供たちのプレゼントは24日まではクリスマスツリーの下に溜めてありましたが、その日を最後に全開状態で、今日開ける物は何も残っていませんでした。 さて、今年の子供たちのクリスマスは?イブの夜は毎年のことながら目がギンギン。熱めのお風呂に入れてやっと寝かせ、こちらもホッと一息ついて本など読んでついつい夜更かししてしまい2時頃に寝ました。そうしたら、朝5時にはタタタタタッと廊下を走る誰かの足音。リビングへ行ってどうやらプレゼント発見!すぐにタタタタタッと部屋に戻る足音。今度はタカタカタカタカと足音が二人分になってリビングへ走っていきました。一人が起きてもう一人を起こしに行ったようです。ゴソゴソ話す声が聞こえ、電気がつき、どうやらどのプレゼントがどっち用なのかを二人で話し合っている様子。 分け前が決まって本格的にラッピングを解き始め、箱を開けて・・・ガサゴソガソゴソ・・いきなり私達の寝室のドアがバ〜〜〜ンと開いて、「ママ〜!サンタさん来たよ〜♪」と善。こちらは眠くて目が開かないまま、「そう、良かったね〜(あぁ、眠い)」。その後も、「ねぇ、これってどうするの?」「ここが動かない・・」と、外は真っ暗でかなり寒いのに二人が代わる代わる部屋に入ってきます。とうとう夫の堪忍袋の緒が切れ、「まだ、寝てなさいっ!」と怒られ、二人はプレゼントをもっていったん撤収。でも6時にはまたワイワイガヤガヤ。 有名な話ですが、あるアメリカの新聞が「サンタクロースは本当にいるの?」という8歳の女の子からの投書に「あなたがいると思えばいるのです」と、社説で答えたという逸話がありますが、今までサンタクロースを信じきっていた今年8歳の温は、初めてその存在を疑い出しました。「プレゼントは本当にサンタが届けるの?一晩に世界中の子供のところに行くなんてできないよ」と、なかなか理詰めできました。「でも、もしもサンタが一人じゃなかったら?」と私が言うと、考え込んでいました。子供たちを夢の中に閉じ込めて置くことはできないけれど、そんなクリスマスがあと何回かあって欲しいと思いながら、もしかしたら香港で最後になるかもしれないクリスマスが終わりました。 by みこと 2002年12月21日(土) 街は一気にクリスマスモードへ 昨日はクリスマス直前の花金。香港島一番の繁華街である銅鑼灣(コーズウェイベイ)は小雨交じりの天気にもかかわらず、歩道には人・人・人・・・。ちょうど一昨日から「ハリーポッター2」の映画が封切られたこともあり、映画館の前は入場券を買う人の長蛇の列。デパートの中のおもちゃ売場も人の嵐。真っ直ぐ歩けないような人ごみが苦手な私には、この時期は疲れます。 昨日は社内クリスマスパーティーが夕方から行われ、年に一度だけオフィスでアルコールを飲む機会です。この週末から年明けまで休暇に入るスタッフも多く、来週からオフィス内は静かになります。1月末には中国正月(旧正月)があり、中国関連の仕事に従事しているスタッフ(私もその一人)はこの時期に大型休暇を取ることから、来週から2月中旬までの1ヵ月半ほどは社内全体に休暇モードが漂っていることでしょう。 そうそう、12月7日に行われた私の所属する香港フットボールクラブと香港ラグビー協会共催の「バリ島爆弾テロの犠牲者のための募金パーティー」は一晩で500万香港ドル(約8000万円)以上集めるパーティーになりました。公開オークションでは多くのスポンサーから提供された寄付商品が大いに盛り上がる中落札されていきました。高値がついた商品は、@ローリング・ストーンズのコンサート+NYビジネスクラス往復航空券(2名分)がナント22万香港ドル(約350万円)、A来年のラグビーワールドカップ決勝戦観戦+メルボルン間のビジネスクラス往復航空券+ホテル3泊が20万香港ドル(約320万円)、B来年1月にオークランドで行われるヨットのアメリカズ・カップ決勝を伴走船に乗りながら観戦+往復航空券+ホテルのパッケージが15万香港ドル(約240万円)・・・。 夫婦でパーティーに参加していた私達はただただ傍観するだけのオークションでした。その他、NZラグビー協会、オーストラリアラグビー協会、イングランドラグビー協会などラグビー強豪国から提供された代表選手のサイン入りジャージなどもそれぞれ100万円以上の金額で落札されていました。とりあえず、私達が貢献できたのは一人2万5千円ほどのパーティー代とラッフルズチケットの購入くらいでしょうか・・・。 ちなみに、香港の英字紙、サウス・チャイナ・モーニング・ポストが毎年12月1日から行うサンタクロース募金(日本でいうNHK歳末助け合い運動)が企業、個人から集めた募金は、一昨日現在で200万香港ドル(約3200万円)に僅かに届かない程。一晩で500万香港ドル(約8000万円)以上を集めたパーティーの凄さを今実感しています。 by タカ 2002年12月14日(土) クリスマスまで指折り 今週は温が学校のクリスマスキャロルでクラスの何人かと縦笛を吹くことになり、夜7時からのショーを見に行きました。日本の学芸会などから比べたら遥かにユルユルの催し物で、クリスマスソングの歌詞もみんながみんな覚えているわけではなさそうで、横にスライドで映し出されるのを読みながら歌ったりしてました。息子によると演奏した曲は単に音楽の授業で習った曲だったそうです。もちろん全体の予行演習などない、ぶっつけ本番。でも、みんなワイワイガヤガヤ、親も子供もおしゃべりしながら、ビデオや写真を撮ったり、一緒に歌ったり手拍子が入ったりで、なんともアットホームな雰囲気でした。 今日は久し振りに中国出張から帰って来た夫と善と3人で、郊外の日系スーパーに週末恒例の買い出しへ。水槽に入った生きたエビを買う事になり、量ってビニールに入れてもらったのを息子と一緒に「まだ生きてるんだよ〜」とのぞき込んでいると、カウンターの中から白い調理服(って言うのか?)を着た香港人の魚屋さんが飛び出してきて、「ディス・イズ・フロム・シー」と言います。確か中国語で"海中蝦"とい書いてあったので、なるほど"from sea"ね・・・。そして、「Quiet movement!」と来た!これは"大人しい"くらいの意味?きっと二人で袋をのぞきこんでいたので、本当に生きているのかと疑われたとでも思ったのでしょう。 香港人は飲茶の生命線とも言えるエビの鮮度にはことのほか五月蝿く、マーケットでも生きているのと死んでいるのとでは値段が3倍くらい違います。死んでいるのとて、さっきまで泳ぎ回っていたのが下に沈んでいったものなので相当鮮度はいいはず。日本人の私は「どうせ持ち帰って冷蔵庫に入れてしまえば一緒」と、つい、死んだ方を買ってしまいますが、香港人から見れば「わかってない!」、ということらしいのです。ですから魚屋さんも片言の英語で、一生懸命弁明に来てくれたのでしょう。なるほど、海から来たのはquietか・・・確かにタイなどで工場裏の遊休地でエビの養殖をしているという日系企業の話を聞くけれど、そういうところのエビは"from sea"ではないものね。息子と一つ勉強。 さすがに香港も10度台まで気温が下がる日もありかなり冷え込んで来ました。相変わらず日中は窓を開けっ放しにしてますが、気をつけないと風邪を引きかねません。でも所属する会員制クラブの屋外プールが大工事の末、温水プールになったので結構行って見たいナ♪と思ってます。しかし、屋外・・・水(お湯?)から出たら寒いだろうな〜。しかし、夫のチームメイトのキウイは、親子でガンガン泳いでいるそう!やっぱりデキが違う? 今夜の献立は具沢山の豚汁(NZでも具が揃うんだろうか?)、野菜炒め(モヤシを用意しておきながら入れるの忘れた!)、蒸しエビ。子供と夫は日本の卵かけご飯!私はパス。 (写真はHP初登場のお手伝いさんと善) by みこと 2002年12月13日(金) 氷点下は辛い・・・ 5日間の北京、天津出張から戻ってきました。日中でも気温がほとんど0度前後で、夜間は氷点下。香港との気温差が20度ちかくあり、さすがに辛かったです。冬の中国出張の時ぐらいしか着用しないダウンジャケット、ズボン下(モモヒキではなく登山用のインナー)、手袋の完全防備で行きましたが、それでも十分に寒さを感じるほどでした。次回の北京出張は1月中旬を予定しています。 実は3年前の1月中旬に北京へ行ったときは氷点下15度でした。その時は北京から戻るや旧正月旅行でインド洋にあるモーリシャスへ行き、気温差45度以上を体験しました。あれは辛かったですね。 1月中旬まで出張予定がないので、しばらく香港でのんびりします。そして1月24日からは3年連続のニュージーランド旅行へ。まだオークランド往復の航空券しか手配しておらず、そろそろレンタカーの手配だけでもしておこうと思っています。そうそう、今回も今年同様ニュージーランド滞在中にカミさんと長男はバースデー。今年はカイコーラにあったアイリッシュ・パブで誕生祝いをしましたが、今回はどこで祝うことになるのかな・・・。 by タカ 2002年12月8日(日) 怒涛の1週間 覚悟はしてたものの今年屈指の忙しさとなった1週間。すべては5日にホテルのクリスマス・フェアでビーズ・アクセのブースを出したためで、包装用に袋を買いに行ったり、値札付け、商品の点検など、毎晩毎晩細かい作業が続き、その傍らでイヤリングを山のように作ったりもしてました。4日はとうとう完徹。値段をつけたり、箱に詰めたりしているうちに一番鳥が鳴き始めふと時計を見ると4時ぴったり。6時前にはいつも起きてしまうので、「ここから寝たら起きられない〜」とそのまま夜明けを迎えました。 7時に出勤して仕事を始めたはいいけれど、瞬きするたびに眠りの世界にいざなわれるような猛烈な眠気・・・。コーヒーを飲んでも何をしてもベタ〜とまとわり付いてくるような眠さで半分目が閉まったまま。でも、なぜか指だけは起きていてキーボードの上を行ったり来たり。長年のルーティーンワークって恐ろしい。でも大部分は心優しい同じチームの同僚二人の見て見ぬ振りのフォーローで何とか切り抜け(多謝)、午後からは半休をとって会場へ。8時まで友人、知人、一見のお客さんとワイワイ、ガヤガヤ、楽しい半日でした! 翌日は仕事の後、会社のクリスマスパーティーへ。ドレスコードは"Red"。何かを用意する暇もなく、約10年前の真っ赤なロリータ・レンピカのスーツで行くことに。超ボディコンのミニという恐ろしいほどのイケイケ調。「こんなの着て会社行ってたのか〜」と思うと、小っ恥ずかしいけれど、そんなことを覚えている人もなし。どうせだからとその上から真っ赤な羽のスカーフをグルグル巻きにして行きました。本当は黒のピタピタのパンツスーツに真っ赤なウィグ(あ、カツラです。念のため)で行きたかったけど、日系の会社では限界を超えるかも・・と自粛しました。 そして昨日はバリ爆破テロ犠牲者のためのチャリティーパーティー。約700人を集めての壮大なもので、一晩で5,000万円近く集めてしまってもう仰天!私のちっぽけな想像力など完全に超えた素晴らしいパーティーで、「人間って意思があればここまでできるんだ!」と、感動の連続でした。この辺は近々メルマガにするかもしれません。私は直前に美容院でアップしてもらったヘアスタイルが気に入って気に入って(午前2時まで崩れることなく完璧でした、髪だけは・・)、解くのが惜しかった。オットはこれまでのレンタルに別れを告げ、誰も知らないながら、とうとう自前タキシード・デビュー♪「しかし、こんなもの買ってニュージーランドで着る機会あるのか?」と、本人はやや不安気。息子たちには、「パパ、どうしてホテルの人の服着てるの?」と、痛いところをつかれてました。 今日の夕食は、昼の友人ファミリーとの飲茶が結構な量だったので、五目炊き込みご飯、家族全員大好物の高野豆腐、大根とイワシのキムチ風味のさっと煮(大人用)、ツナとポテトのチーズ風味のお焼き(子供用のはずが夫も「このメニューなら移住しても作れるね」と、パクパク)。これで明日のお弁当は炊き込みご飯+高野豆腐で決まり! by みこと 遂に見ました、次男"善"のミニラグビーでの初トライ。ところが初トライだけでは物足りなかったのか、もう一つおまけにトライ。どちらもボールを持って前へ走る、という単純そうで実は5歳の子供たちには難しいことを一日に2回も見せてくれ、「あ〜、昨年から毎週日曜日ラグビーに付き合って良かった」と親バカさながら興奮しました。 実は長男"温"も格段足が速いわけでもないのでなかなかトライすることもなかったのですが、本当のタックルが始まった今シーズンからメキメキ台頭してきて、今ではチーム内の練習試合でトライを連発するようになりました。やはり柔道のおかげか、8歳でタックルもボールを持って突っこむことも全く恐れないのには、ラグビー歴十数年の私も「すごいなー」と感心します。(これも親バカ。) トライ後の善の笑顔は何ともいえない嬉しさで満ち溢れていました。いやー、お父さんも本当に嬉しい。善の初トライを見そこなったカミさんは、ただ残念がることしきり・・・。 明日から金曜日まで北京と天津へ5日間の出張です。どちらも冷凍庫並みの寒さで、今年初めてダウンジャケットを持って行くことになります。予定では年内最後の泊まり出張で、その後は1月の正月明けまで香港でのんびりと過ごす予定です。 by タカ 2002年12月1日(日) 10年振りの再会 日曜日の今日はいつものように子供のミニラグビーにコーチとして付き合い、練習後にロッカールームで着替えていると、「タカさんですか?」という日本人の声。「ええ、そうですけど」と答えると、「私、Aです。」と日本人。「???」の私に「シンガポールにいたAです。」とその日本人。「もしかして、○○社のAさん?」と私。10年振りに香港で、それも会員制クラブのロッカールームで私に声をかけてきた主は、10年振りに会うシンガポールの旅行会社勤務だった時のお客さんでした。今日はお子さんのミニラグビーの付き添いで来られ、私はAさんの奥さんとミニラグビーで、また息子達が通う学校で何度か言葉を交わしていたそうです・・・「えっ?」。そして思い出しました、あの方が奥さんだったのか・・・。 また、なんとAさんの次女は長男と同じ学校の同じ学年(クラスは違う)で、長男に聞くと「知ってるよ。○○ちゃんでしょ。パパ達のホームページを見たことがあるって言っていたよ」。そう言えば、奥さんにも「ホームページ拝見しました。」と言われていました。10年振りにお会いしたAさん夫妻は、私達のことにだいぶ以前から気付いていたようです。こんな身近なところにシンガポール時代にお客さんとしてお世話になった方がいたなんて、これは何かの縁なのでしょう。早速、今度家族みなさんで食事しましょう、ということで今日は軽くお茶を飲んで終わりました。 私がAさんの顔を見て直ぐに判らなかったのは、恐らくAさんが「ええ、20キロ痩せました」という答えにあったように、頭に浮かんだ名前と顔が一致しなかったからです。帰ってからカミさんに、「Aさんは約3ヶ月で20キロも痩せたんだって」と伝えたところ、「えっ、病気したの?」と私がAさんに聞いたのと同じ質問。Aさん、あまりにも変わっていた判りませんでした。失礼しました 明日から3日間上海へ行ってきます。天気予報によると、思ったより暖かいそうです。 by タカ 12月に入ってなんだかお尻に火がついてきました。いろいろあった11月が終わり、主な学校行事をほぼこなし、金融関係のライセンス更新のためのセミナーを乗り越え、IELTS6.5の衝撃も踏み越えてたどり着いた師走。でも今週は5日のクリスマス向けビーズ・アクセ販売、6日の会社のクリスマスパーティー、7日のバリ爆破テロ犠牲者のためのチャリティー・ボール(舞踏会)とまたバタバタ過ぎて行きそうです。去年買いそびれたアドベント・カレンダー(子供向けの12月だけのカレンダーで、日付のところを開けると中からキャンディーやチョコレートが出てきます)を買い、子供と一緒に指折り数えて今年一年のしめくくりにかかりたいと思います。 今夜は久し振りのブイヤベース(夫の大好物)にマカロニサラダ。明日以降のために豚の角煮と大根の煮物(私の大好物)を作ったものの、夫は明日から出張で、ちょっと作りすぎてしまったか? by みこと 2002年11月30日(土) 夫のクビも借りたい? 昨晩は結局、夫が珍しく接待に出かけてしまった上、私は月末恒例の残業で、帰ったのは8時近く。簡単に夕食を済ますと子供のネットサーフィンに少し付き合い、9時からは最近3人でハマりまくっている「オズの魔法使い」の本を持ってベッドへ。ドロシーたちが約束通り悪い魔女を退治して再びオズに会いに行くところで、今日のところはおしまい。さて、続きはどうなるか? 12月5日のコンラッド・ホテルでのクリスマス・フェアで、ビーズ・アクセのブースを出すことになり、最近は夜な夜な作品作り。お客さんのほとんどが西洋人なので、いつもより大きめの大振りなデザインも用意しなければならず、ビーズの粒も大きめで何もかもが大きい!ところが試作品のネックレスを自分に合わせてみても長いばかりで、どうも感じがつかめず難儀していると、すぐ傍で夫が静かに新聞を読んでいます。 「コレだ!」と思って、「ちょっと首貸して〜」と言いながら彼にかけてみると、なかなかイイ感じ♪。胸から肩を越え背中へと続く厚みがちょうど良く、家の中では手っ取り早い最高のモデル!どうせパソコンか新聞かピアノかDVDか、いずれでもジ―――ッとしててくれるので、「ちょっとゴメン」と、言ってはアレをかけ、コレをかけして、様子を見させてもらってます。あと一週間弱。ネコの手ならぬ、夫のクビ借りてガンバリます! by みこと 2002年11月26日(火) 私の日曜日は? 月曜の会社の昼休み。前の晩に夫がUPした彼の日記を読みながら、"朝日新聞、日経新聞、英字紙にじっくり目を通し、何となく体を休めたくベッドへ。子供たちに起こされた時は既に夕食の時間。(中略) 平和な日曜日です"とあり、唖然!とても同じ日曜を一緒に過ごしていたとは思えない・・・。 本当はあの日、別の日本人ファミリーと一緒にランチをとり3時過ぎまでご一緒して楽しいひと時でした。その後、帰国のための帰国セールをしていたお宅にお邪魔して、ローラーブレードと机を譲っていただいて帰宅。夫が新聞&お昼寝三昧の頃、こちらは温の宿題を見てやりながら善が最近ハマっている「足し算」に付き合い、その片手間にもう2週間後に迫ったフェアのためにビーズ・アクセを作っていたという状態で、とてもとても"平和な日曜日"とは程遠かったのですが・・・。夕食がカンタンに済んだのがせめてもの救い? 今週は持っている金融関係のライセンス更新のために講習を受けなくてはならず、夜6:30〜9:30などというコースを2晩とってます。その間に善の柔道の練習に2日付き合い、バリ爆破テロ犠牲者への1,500人規模となるらしい壮大な追悼式典にも行くつもりです。金曜ぐらい夫と食事に行って、移住大作戦の計画でも練れるといいのですが? by みこと 2002年11月24日(日) フレンチ・コネクション 毎週日曜は朝9時から1時間が善のラグビーで、それが終わると10時から11時半まで温のラグビーがあります。兄弟で時間が違うので一家総出です。夫はこの2時間半、両方に付き切りでコーチをしているので、私は10時以降、他の子に混じってその辺をウロチョロしている善を見ていることになります。 待っている父兄の中には日本人のお母さんも数人いるのでそこに混ぜてもらって話し込んでいると、働く主婦には新鮮な会話がボンボン耳に入ってきて、1時間半などすぐ経ってしまいます。しかし、今年はそれを改め「とにかく知り合いに会ったら挨拶だけでなく、必ず言葉を交わそう」と決めました。その結果、子供の学校の友達のお母さんや先生、コーチなどと二言三言話し、ミツバチのようにその辺を一周してきた後、最後の30分から小一時間をやたらに気さくなフランス人パパと話すことが多くなりました。 この二人組、一人はちょっと太目のアメリカ系ワイン販売会社の経理、もう一人はひょろっとしたフレンチ・インターナショナル・スクールの先生です。二人ともあまりスポーティーな感じではなく、いつもコーヒー片手に端っこの方にちんまりと座っています。私に気が付くと二人で手を上げて"ボンジュール"と居場所を教えてくれます。しばらくしてそこへ行くと、だいたい朝から一発かまされます。 「アジア人女性は日焼けを好まずに色白な肌を尊ぶんだろう?どうしたんだい、最近の日本人女性は?革命かい?」と言って視線を投げるので、そっちの方を見るとスタンド席の燦々と陽を浴びたところで、いずれもいい色に焼き込んだ日本人のお母さん二人(どちらも友人)がノースリーブでくつろぎながら話しています。「彼女達はご主人が西洋人だから感化されてるんじゃない?」と言い、「そういうあなた方はなんだからってこんな端っこに潜んでるの?西洋人でしょう?」と、つっこみを入れると、「いやぁ、ボク達はそのぅ、家内が中国人だから、アジアに感化されてんのさ」と逆つっこみ。朝からいいなぁ、このノリ♪ 二人がクロワッサンを食べていたので、「香港で一番美味しいクロワッサンってどこで買える?」と言うと、ひょろっとした先生が身を乗り出して、「そごうのDONQだよ!あそこのは素晴らしい。フランスにいるのと一緒だ」と言い出しました。西蘭家もパンは100%DONQに頼っているので、「家もよ♪」と言って二人で盛り上がりました。そう言えばホームページを見て連絡を下さり、すっかり意気投合してしまった読者の方のキウイのご主人が、「日本や香港のような美味しいパンをニュージーランドで作りたい!」という夢を語ってくれたことがありましたが、日系ブランジェリーの実力見たり? 今夜のメニューは子供向けに伊麺(イーミンという広東風フライ麺。カップヌードルの麺を5倍くらいに太らせた柔らかい麺で、子供には人気ながらカロリー高そう)とベトナム・サラミ。昨晩鍋いっぱい作った煮物。大人は昼のイタリアン・ビュッフェがいまだに胃に重く(瓶詰め物だったけれどアーティチョーク食べまくり)、今のところ夕食はパス。 by みこと 私の日曜日。 朝9時〜12時頃まで長男、次男のミニラグビーのコーチで軽く運動。そのままクラブ内でビール(最低ジョッキ2杯)を飲みながら家族でランチ。家に帰って掃除機をかけ、その後朝日新聞、日経新聞、英字紙にじっくり目を通し、何となく体を休めたくベッドへ。子供たちに起こされた時は既に夕食の時間。子供たちを寝かした後はカミさんとあれこれ話しながらホームページのアップをして、あっという間にもう0時。あ〜これでに日曜日が終わる・・・。今日は夕食をスキップしてそのまま寝てしまい、起きたときには子供たちは既にベッドへ・・・。平和な日曜日です。ちなみに私の今夜の夕食は、バナナとヨーグルトでした。昼のイタリアン・ビュッフェがいまだに胃に重たく残っています。 9月末のシーズン開幕戦で腰を強打し、2週間ほど通院した後に復帰。騙し騙し練習と試合に出ていましたが、練習の翌日のひどい腰痛と途中交替を余儀なくされる試合中の腰痛にピリオドを打つため、しばらく治療に専念すべく、ラグビーを控えることにしました。もともと12月中旬から1月中旬まではクリスマス・ブレイク、1月末から2週間は旧正月ブレイクがあるので、旧正月明けまではリハビリに専念し、シーズン終盤の復帰を目指すことに。やはり年のせいか回復に昔以上に時間がかかることを認めざるを得ないかもしれないようです。 by タカ 2002年11月23日(土) 良き市民 先週末にIETLSの結果が出たのに続いて、今週は無犯罪証明書の請求のために警察へ指紋を取りに行きました。今まで何の進展もなかった西蘭家としてはかなり大胆な動き!警察というのでどんなところかちょっと期待して行ったのですが、ごく普通の政府機関のオフィスで移民局などと比べたらうら寂しいほど。他に誰の姿もなく、すぐに私達の番に。 係の人に指と腕を押さえられながら、親指→小指→薬指→中指→人差し指・・という順で両手の指すべての指紋を取っていきます。特殊なインクなのでしょうが感心するほどくっきり、キレイにとれます。前に香港人の友人が「指紋の中心が完全な円形だったら金持ちへの道、渦を巻いていても左右どちらかに流れていたらお金も流れて行ってしまう」と、教えてくれたのを思い出しました。それで行くと私の場合、閉じているのは3本だけ。教えてくれた彼女は確か7本だかあって、思いっきり哀れまれたものです。 この指紋が日本の住民票を除籍した地方行政区に送られ、過去の無犯罪が証明されるのですが、その一方で自分の指紋が警察庁に永遠に保管されるのかと思うとあまりいい気持ちはしませんでした。「日本に居留する外国人の指紋押捺拒否の気持ちがよくわかるなぁ」、と思いました。香港ではIDカード取得のために親指だけは指紋採取されますが、これは香港人、外国人の違いはなくIDを持つすべての市民に義務付けられていることで、抵抗を感じたことはありませんでした。だから、この感慨には自分でもちょっと意外でした。まぁ、どこに在っても良き市民を目指します。 by みこと 2002年11月17日(日) 温の宿題 普段は外出してしまうことが多い日曜日。今日もビクトリア・ピークのセダンチェア(車がない頃の輿)レースか、フリーマーケットにでも行こうかと思っていたのですが、夫がラグビー疲れらしい腰痛でいずれも中止に。子供たちも午前中のミニラグビーに続いてプレールームでも遊びまくっていたのでけっこうクタクタ。「これはお昼寝モードかな?」と帰宅しました。 昼食の後、しげしげと温の宿題の課題を見てみると、「新聞を読んで興味のある内容をポスターにしてくること」とあり、慌てて英語紙を引っ張り出し二人でのぞきこみました。いきなり8歳に新聞を読ませるっていう荒っぽい宿題ながら、出てしまったものはやるっきゃありません。最後のスポーツ欄まで目を通し、温が選んだのは一面トップのイスラエルが銃乱射テロで12人の犠牲者を出したことに関し、パレスチナへの報復に出るかどうかという硬〜〜い内容のもの。 本人は新聞記事を斜め読みにして軍人の絵でも描いて終わりにしようとしていたようですが、「ちょっと待った〜!それでは課題の意味がない」と、イスラエル建国の歴史からアラファト議長、パレスチナ、自爆テロ、シャロン首相、ユダヤ人とユダヤ教、イスラム教、アラブ諸国、イラク、アメリカ、国連、アナン事務総長etcと、新聞記事に出て来るキーワードを基に、現況を延々と説明し始めました。挙句は二人で子供用のアトラスの地図を持ち出し、パレスチナが載ってないだの、何だのとワイワイ、ガヤガヤ・・・。 相手をしてもらえない善はしばらくウロウロしていたものの、気がついたら一人でソファでお昼寝。夫もしかり。途中、私が夕飯の支度に取りかかりながらも約4時間近くかけて温はポスターを描き上げました。途中何度もアラビア半島を描き直し、親バカながらもなかなかの労作となりました。手書きなのでアラブ諸国の位置関係と英語のスペルが頭に叩き込まれたようで、「ママ、英語ではヨルダンじゃなくてジョーダンだよ!」とご指摘が出るほど。 夕食後、善も交えて家族総出で色塗り!みんなマイ・カラーペンシルを握り締め、マイ・カントリーを四方からせっせと攻めました。5歳の善もなかなか役に立つものです。クウェート、オマーンを落とした後は、温と二人でとうとうサウジ全土を攻略しました。荒っぽい宿題でも終えてみれば、自分が子供の頃にやっていたプリントの宿題よりもよほど有意義なもので、この年の子供達を新聞という窓を通して外の世界に導く学校の計らいに改めて脱帽でした。 今夜のメニューはおでん、缶詰のサンマの蒲焼とシメジの煮付け(子供向け)、明太子イワシ(大人向け)、インゲンとわかめのおひたし、お吸い物。 by みこと 2002年11月16日(土) 着実に、一歩ずつ 2週間前に受験したIELTS(NZ移民のための必需英語テスト)の試験結果が届きました。結果は夫婦一緒に合格ラインを超え、とりあえずホッ。カミさんのミニ西蘭花通信27号にもありましたが、お互いスピーキング(会話テスト)で点数を稼ぎました。が、それなりの得点を予定(期待)していたライティング(筆記試験)では結構厳しい採点で、思ったほどは筆記力と文章構成力がないことを痛感させられました。まあ「勝てば官軍」ということで、IELTSはこれにてお終い。但し、試験結果の有効期間は2年間なので、2年以内に移民できなければ再度お受験・・・。 今日は3週間振りのラグビーの試合でした。普段は3部リーグに所属するチーム(クラブの4本目)でプレーしていますが、上のレベルのチームにけが人続出のため、約2年振りに2部リーグに所属するチーム(クラブの3本目)でプレーしました。パワー、スピードともに3部とは全く違い、非常に緊張感のある中でプレーしました。「ミスしないように気をつけよう」という気持ちで試合に臨もうとしていましたが、試合前の円陣で言われたのは「自分のやるべきことをしっかりやろう」ということ。非常に当たり前のことですが、その当たり前のことだけを頭に叩き込んでプレーした、久し振りに充実感のあった試合でした。対戦相手は2部リーグ首位チームでしたが、3−5というラグビーらしからぬ試合結果で、負けはしたもののボーナスポイントを稼げ、2部リーグ3位を堅持。来週もこのチームで出場予定なので、来週は月曜日と木曜日の2回の練習に参加予定。 by タカ 2002年11月12日(火) 2003年 前々回のハロウィーン・パーティーの時の日記に、「これから忙しくなる」ということを書いてから早3週間。本当に目まぐるしい毎日が続いています。その間に子供二人の運動会(それぞれ別々に2学年ずつに分けてやります)と先生との個人面談(夕方なので夫と二人で参加)を終え、11月からは思いがけず善も柔道を習い始めたのでそのお迎え(=残業ができないので要時間調整)、ご招待のあったバースデーパーティーが計4回(うち1回は自分の友人)、日本からの来客や支援しているチャリティーの恒例カクテル、IELTSのお受験、子供のラグビーの大会なども入って、普段の小学校の時間割のような単調な生活からは随分趣が異りました。これからもまだまだいろいろな行事が続きそうです。頑張らなくては・・・。 そのうちクリスマスの飾りつけも始まって、街が一気に年末モードに入ってくることでしょう。ワーワーやっているうちに年が明け、そうしたらニュージーランド旅行はもう目の前!ガーン!なんと早い1年・・・。 ・・・と、思っていたら、今日の夕方に日本から帰ってきた夫が、ティファニーの来年の手帳を買ってきてくれました♪。長年愛用してますが、つい買いそびれてしまう年もあるので、これはラッキー(香港のティファニーではここ数年売らなくなってしまったし)。黒地にシルバーの「2003」という数字を見たとたん、「きっといい年になる!ニュージーランドに行けるかも!」と思いました。本当にそうあって欲しいです。 by みこと 昨日ポール・マッカートニーの東京公演を観に行ってきました。前回のワールドツアー(1993年)はカミさん(長男はお腹の中)と一緒でしたが、今回は私一人。とても還暦を迎えた60歳とは思えぬ声と動きで、ただただ感動するばかり。5万人の観客の前で、2時間半もの間休むことなく、30数曲を歌える60歳の人はそうそういないでしょう。ポール自身が言っていましたが、40年前のビートルズの時と同じコード(声の高さ)で今も歌っています。 もう二度と見ることができないか、またチャンスがあるか・・・本人は「90歳で車椅子に乗っていたとしても、またツアーをやるよ!」と嬉しいことを言ってくれています。 by タカ 2002年11月9日(土) あれからもう4週間 土曜日が来る度に、バリ島での爆弾テロから「あ〜もう○週間か・・・」と思います。一昨日には、やはりラグビー大会に参加して大火傷を負い、移送先のシンガポールで皮膚の移植手術を受けて闘病していたオーストラリア人の同僚が、家族と婚約者に見守られながら息を引き取りました。現場に居合わせたと思われるもう一人の同僚はいまだ行方不明です。どちらも昨年の大会で会い、一緒に飲んだことが昨日のように思い出されます。 今日はチームメイトだったPeter Record(享年32歳)のメモリアル・サービスが教会でありました。実は教会は私にとって初めてで、歌も歌詞を見ながら歌いましたが、意味は全くわからず、もちろん神父の話していたこともわかりませんでした。ただ、わからないことは最初からわかっていたことで、とにかくカミさんと一緒に行くはずだった友人の誕生パーティー舞踏会をスキップしてでも、心から「天国で安らかに」と伝えたかったのです。本当にいつも周囲に気配りをするジェントルマンでした。 明日から2泊3日で東京へ行きます。火曜日(12日)は午前成田発のフライトで香港に戻り、夜はEd Waller(享年26歳 今シーズンのキャプテン)のメモリアル・サービスに出席します。28日には香港フットボールクラブ主催のメモリアル・サービスが、12月7日は香港フットボールクラブと香港ラグビー協会共催のメモリアル・ディナーと続きます。本当に辛いセレモニーが続きます。 by タカ 2002年11月3日(日) とうとう、お受験 とうとう昨日2日に、移住に向けて避けては通れない英語テスト、IELTSを受けてきました。「果たしてこういう場合、海外暮らしのメリットってあるんだろうか?」と自問し、勝手に「ある!」ということにして、全く準備もせずにぶっつけ本番で臨みました。筆記にしろ、会話にしろ申し込んでからの1、2ヶ月でどうかなるものでもない・・と、ひたすら自分に甘く決めてかかってました。 テストは朝9時から12時過ぎまででヒアリング、読解、筆記をこなし、ポーンと飛んで午後4時から(夫はその後4時20分から)の会話テストを受け、何だかんだと1日がかりでした。大学を出てからというもの、一度シンガポールで自動車免許の筆記試験を受けた以外(そこで止まって結局、免許は取りませんでした)、テストらしいテストを受けたことがなく、新鮮でしたが疲れました。自分の子供も含め、学生って大変かも・・と思ったりして。 面接官はオージーの落ち着いた感じの優しい女性で、話が弾んだのはいいのですが与えられた課題からはあさっての方角に行ってしまい、戻ってこれないまま終わってしまいました。果たしてアレで良かったのか?その後すぐ、夫が同じ面接官に臨むことになっていたので「課題は好きな色とお祭りと、行ったことのない国で今一番行きたい国よ!」と耳打ちしたら、すべて外れで、彼はスポーツや好きな写真というテーマだったそうな。う〜ん、侮れない。 夜はそのすべてを忘れてV6のコンサートへ!「岡田くぅぅぅぅ〜〜〜ん♪」「剛ぉぉぉぉ♪」という絶叫の中、楽しい2時間ちょっとでした。ジャニーズは大ファンという訳ではないものの、子供の頃の大磯ロングビーチでの「フォーリーブス」に始まって(もしかしたら、叔母さんに連れられて葵輝彦も見ているかもしれない)、なんとなく見てました(デビュー当時の髪の毛モッコリの郷ひろみとか・・)。香港ではキンキとカミセン(カミングセンチュリー)に続くV6でした。いつも思うことは同じ。「ダンスができる男の子っていいな♪息子のどちらかには絶対バック転して欲しい。もう少しセンスあるステージ衣装着せてあげて!」 今日は朝7時半に家を出て子供のラグビー大会へ。なかなか中身の濃い週末でした。 by みこと 金曜の夜に北京から戻ってきた私には休む暇のない週末でした。昨日は英語のテスト、今日はミニラグビーの大会のため6時半起床、7時半自宅出発というハードなもの。今日の大会は長男、次男ともにそれぞれ試合が数試合組まれ、その試合時間のほとんどが重なっていたことから、かみさんと交互にそれぞれの試合を応援していました。長男はそれなりにラグビーを楽しんでいるようでなにより。次男はメダル(参加賞みたいなもの)欲しさにその場にいるような感じで、試合への貢献度は親が言うのもなんですがゼロでした・・・。(お願いだからプレー中に仮面ライダーの変身ポーズをしながら走るのは止めて欲しい・・・。) 試合自体は午前中に終わり、家に戻ってからカミさんと長男はベッドへ直行して昼寝。寝不足でやや疲れ気味の私は、昨日英語のテストのために自分のラグビーの試合に出られなかった欲求不満から、そのままフィットネスへ。昼にビールを飲んだにもかかわらず、軽く競馬場の内側を走り、その後は久し振りにウエイトトレーニングをしてきました。体を動かすことは本当に大事です。 金曜日に北京から戻ったばかりですが、明日から水曜日まで上海へ行ってきます。そして木曜日の午前中は長男のスポーツデー(運動会のようなもの)を観に行き、夕方は子供たちそれぞれの保護者面談。金曜日の午前中は次男の遠足へお付き合い。土曜日は午前がピアノ、午後がラグビーの試合、夜は友人の誕生パーティー、そして日曜日は日本へ帰ります。珍しく予定がびっしりの一週間になりそうです。 by タカ 2002年10月27日(日) バリ爆弾テロから2週間 信じられない惨事となったバリ島での爆弾テロから早2週間。香港フットボールクラブ内にある"Sportsman's Bar"には、犠牲となったラグビー関係者(プレーヤー8名とサポーター2名)の名前の書かれたロウソクが追悼試合のあった一週間前の19日(土)から灯り続けています。このバーは、平日の練習の後や、土曜日の試合の後にビール片手に集う場所です。西蘭花通信最新号(10月26日配信)にもありますが、ラグビー関係者にとってのクラブハウスであり、私は仕事関係の人をアフター6に招待して軽く飲んだり、友人家族を日曜日のランチに招待するのにも使っています。 バリでのテロの衝撃から覚めないうちに、木曜日にはロシアで武装グループによる劇場襲撃があり、昨日事件は解決したものの、100名以上の民間人が犠牲となる結果になりました。バリ島の事件と違い、民族紛争が下地にあり、こうした事件が発生する可能性は十分あったのでしょうが、バリ島同様、たまたまそこに居合わせたがために犠牲となってしまうことにテロの恐さがあります。どこが安全なのか、まったくわからない世の中になってきました。 明日から天津と北京へ5日間の出張です。そして土曜日にはIELTSの試験が朝からあります。ということで、今回の出張中は試験前追い込み勉強を静かなホテルの部屋でゆっくりと、じっくりとやり、本番を迎える準備をします。でも何の準備をしたらいいんだろう? by タカ 2002年10月25日(金) ハロウィーン・パーティー 実は、いまだに何のための、何を祝うものなのかよく知らないハロウィーン。最近、街のあちこちで目と口をくり抜いたオレンジのカボチャのディスプレーを見かけるようになり、今日は所属する香港フットボール・クラブで子供達のパーティーがありました。せっかくなので、3家族、計5人の子供に声をかけ、温と善を合わせ7人で繰り出しました。200人近くの子供が集まり、魔女が何十人、バットマンがこれまた何十人という状態で、お面やマント、髑髏に骸骨と、小道具を持った子もたくさん。「自分の子供でも恐くて泣くんじゃないか?」と思われるほど、凝りまくった魔女メイクのママもいて、いつもながら、なかなかのノリ。 ハロウィーンを迎えると、これからクリスマスまで一気に身辺が慌しくなります。まさに年の瀬のようです。日本人の感覚だと意外かもしれませんが、子供の学校の関係でクリスマスに1年の節目を迎える白人社会に近いサイクルに組み込まれた結果、ここ数年は私達も師走並みの11月を送っています。この頃から遠足に当たるキャンプ、運動会、先生との個人面談、学園祭(息子の学校は隔年なので今年はお休み)、クリスマスのお芝居やその関連行事と、学校だけでもイベントが目白押し。 これにクリスマスに本国に帰る西洋人たちが繰り上げて開くクリスマス・パーティーだ、バースデー・パーティーだが混じり、11月後半からは年賀状さながらのクリスマス・カード書きが始まります。12月に入ったらクリスマス用のプレゼント集めや大人のパーティーも本格化します。 しかも、半年間夏が続く香港では、外に出ないのがもったいないくらい素晴らしいお天気が続く時期でもあり、週末はお約束のラグビーに加え、人に会ったりBBQをしたりと、これまたバタバタ過ぎていきます。今年の総仕上げ、充実した2ヶ月にしたいものです。 by みこと 2002年10月20日(日) THE MIGHTY SELECT 10月12日深夜にバリ島で起こった爆弾テロで、私の所属するHong Kong Football Club(以下クラブ)に所属する8名のラグビープレイヤーが犠牲になりました。8名の内の3名は2週間前まで同じチームで一緒にプレーしていたチームメイトで、別の2名(シンガポール在)は昨シーズンまで一緒にプレーしていたチームメイトです。また他の3名も何回も色々な試合で一緒にプレーした仲間です。 今回の事件を休暇帰省中の日曜日(13日)の朝のニュースで知り、その場所を聞いた瞬間に、10人制ラグビー大会のために遠征しているチームメイトのことが頭をよぎりました。何故なら、私は昨年の大会に参加し、試合後の行動パターンを知っていたからです。 しかしながら、あいにくインターネットで情報を得る環境になかったことと、日本の報道は日本人の安否のみに焦点が当てられていたことで、先に香港に戻ったカミさんからの悲しい知らせを聞くまで、ただ彼らが無事であることを祈っていただけでした。 16日にカミさんから聞いた内容は、私にとっては、いやクラブにとっては最悪のものでした。クラブから参加していたプレイヤー全員が犠牲となり、さらに応援で行っていたサポーター(プレイヤーのガールフレンド達)2名が行方不明、1名(プレイヤーの奥さん)が全身火傷でオーストラリアに緊急移送されたとのことでした。私はその報に全く言葉が出ませんでした・・・・。 昨日のリーグ戦の試合は急遽追悼試合になり、犠牲者を出した各チームはクラブのグラウンドで試合を行い、最も犠牲者の多かった私がプレーしているSELECT(クラブの4本目)はメイン試合として行われました。普段は20名前後しか集まらないチームですが、この日はかつてのチームメイトがアメリカ、オーストラリア、シンガポールなどから集まり、40数名が一丸となり、元1部リーグの香港ポリスを接戦の末破りました。試合前の練習中からみんなの気持ちは高揚し、緊張感が途切れることなく、全員で80分を戦いきりました。もう一緒にプレーできない彼らの魂が普段出すことができない力を引き出してくれた気がします。 犠牲者の名前 Mr. Clive Walton (死亡確認:Rugby Sectionのキャプテン 33歳) Mr. Edward Waller (行方不明:SELECTの今シーズンのキャプテン 26歳) Mr. Charles Vanrenen (行方不明:SELECTの昨シーズンのキャプテン 26歳) Mr. Peter Record (死亡確認:SELECTの2シーズン前のキャプテン 32歳) Mr. Nathaniel(Dan) Miller (行方不明:クラブ内屈指の俊足プレイヤー 31歳) Mr. Stephen Speirs (行方不明:今シーズンは2本目に昇格 35歳) Mr. Tom Holmes (行方不明:一日に何試合もこなす最もラグビーを愛していたプレイヤー 39歳) Mr. Jacob Young (行方不明:元プロのアメフト選手 34歳) Ms. Bettina Brandes (行方不明:Charlesのガールフレンド 28歳) Ms. Anika Linden (行方不明:初参加のサポーター 29歳) Mrs. Polly Miller (オーストラリアへ緊急移送:Danの奥さん(今夏に結婚) 29歳) Clive, Charles, Peter, Dan, Tomの5人とBettina, Pollyの計7名は昨年のバリツアーで一緒でした。本当に楽しい時間を一緒に過ごした仲間でした。 帰らぬ人となった10名に心から哀悼を捧げるとともに、オーストラリアで治療中のPollyの回復を祈っています。 最後に、彼らと共に楽しんだグラウンド内、グラウンド外の数々のシーンを私は一生忘れることはないでしょう。こんな形で大切な友人達を一瞬にして失ったことは悲しいことです。今生きている私達に何ができるのか、何をすべきなのか、真剣に考えたいと思います。 by タカ 2002年10月12日(土) 今日から日本へ 今日から家族で日本へ帰ります。(8時半に家を出ますが、今(1時半過ぎ)まさに荷造りをしているところです。)毎度のことですが、土曜出発の旅行はいつもドタバタです。今回は日曜日に次男(善)の七五三の写真撮影と月曜日に私の亡父の三回忌が目的です。有給休暇が底を突いているカミさんは火曜日の夕方便で香港へ戻りますが、私と子供たちはそのまま残り、金曜日の夕方便で香港に戻ります。 私以外の3人は4月の帰国以来半年振り、私は9月以来の1ヶ月振りの帰国で、さらに11月中旬にはポール・マッカートニーのコンサートを観に再び帰ります。ポールのコンサートに行けないカミさんは、11月2日に香港で催されるV6のコンサートへ。実はジャニーズが好きだそうです。 by タカ 2002年10月5日(土) エスニックな一日 今日は朝から、ニュージーランド移住が決まったばかりのまるよさんが、掲示板に書き込んでくれたキウイ・ラジオを聴きながら軽〜く衣替え。その後は長男の温が同級生の"誕生パーティ+キャンプのお泊り"という豪華企画にお呼ばれされていたので、そのお宅まで送り届け、元ジョッキーという白人ながら小柄で、人の良さそうなお父さんや外の父兄としばし歓談。息子たちの学校は組替えというものがないので、入学以来、親も子もお付き合いが4年目に入り、子供同士の仲がいいと親もかなり親しくなれるのはいいことです。 夫がラグビーの試合でいないため、ランチは次男の善とお手伝いさんのジーナと私だけ。「何かないかな〜」とごそごそやっていると、ニュージーランド旅行の時に買ったインスタント・ライスが!賞味期限ギリギリでしたがまだイケるので、冷蔵庫に残っていたべトナム・サラミを混ぜて作ってみました。フリーズドドライのご飯とインスタント・ラーメンについてくる粉末状のスープを水に入れ、沸騰3分、蒸らし3分でできあがり。味もまさにラーメンで、炊いたご飯でもチャーハンでも雑炊でもない不思議なもののできあがり。 善は大のゴハン党で、NZ旅行中は毎日パン食だったので、けっこう涙目でした。そこでスーパーで見つけたこのインスタント・ライスを非常食用に持ち歩き、「うんとゴネられたらこれにしよう・・」と思っていたのが3袋余り、そのままになっていたのです。フレーバーはチキン、タイ(トムヤムのつもり?)、カレーがあり、オーストラリア製。「ご飯ってこうやって食べてもいいんだ〜」と、なんとも新鮮なもの。 キッチンで見つけたもう一つのものは、シンガポール製の排骨茶の素(写真では肉骨茶になってますが)。この料理はマレー鉄道建設に携わった中国人、苦力(クーリー)の料理と言われ、一番安い豚の骨付きバラ肉を粒コショウ、丸のニンニク、ハーブを入れてグラグラに煮込んだものです。この素はハーブが一袋になっており、それ放り込んで肉、コショウ、ニンニクを入れて煮れば、かなり本場っぽくなります。味は思いっきりコショウがきいている濃いラーメンスープというところ。シンガポールではこれは朝ごはんの一つで、人気の店は昼過ぎには閉まってしまいます。この素はもらい物ですが、いろいろ試した中では絶品です。(どこで買えるかご存知の方、教えて下さ〜い) 結局、夜はこのスープにお手伝いさんが得意なフィリピン料理のアドボ(醤油と酢を半々で煮る料理)でチキン+ポテトとカンコン(水ほうれん草とも言われる中華野菜)の2種類を作ってもらい、結局エスニック料理で1日が終わりました。この手のエスニックはスパイスさえ手に入れば材料はけっこう一般的なものが多いので、移住後は今以上にお世話になるかもしれません。 夫は所属チームの女人禁制のパーティーのため蝶ネクタイ締めて出かけて行きましたが、要は百数十人のラガーたちの壮大な飲み会・・・。かなりご機嫌で戻ってきました。しかし、明日(実はもう今日) は朝9時から子供たちのミニラグビー。二日酔いのパパやコーチがたくさん集まることでしょう。 by みこと 2002年10月4日(金) パンダとIELTS とうとう受けます!IELTS。ニュージーランド移住条件の一つである英語のテストのことですが、読み書き、会話、ヒアリングというフルコースで、1日がかりだそうです。試験日は11月2日。頑張らなくては・・・。海外生活20年といってもホントの英語圏にいたことはないので、アドバンテージを感じません。どんなブロークン・イングリッシュでもOKの環境で、相手もこちらがホッとするくらいハチャメチャだったりしますからね〜。 さて、昨日はこの申し込みに行ったのですが証明写真がなかったので先に撮りに行きました。おなじみのインスタントフォトなんですが、日本製の機械ではなく、見るからに不親切な作り。「なんか不安〜」と思いながら中に入ると、目の前にスクリーンがあって、いっちょ前に5言語も選択できるじゃありませんか。一応「日本語」を押してみたけれど、スクリーン上の表示はなぜかフランス語で、英語で"or"となるべきところが"ou"となってて「ますます不安〜〜」。 「必要なコインを入れてください」と機械がしゃべるままに35ドル(約500円)を入れると、「○○フォトでいいですか?」と聞かれ、「えっ?」とまた不安。だって証明写真は「パスポート写真」のはず・・・「○○フォトって?」と思った瞬間、いきなりスクリーン上に表われたプリクラ状態のフレーム8種類!機械がまた「選んでください」としゃべるじゃないですか!! ここにきてコインが一枚返却されていて機械が35ドルと認識できなかったため、20ドルの「ファン・フォト」というのを自動的に選択してしまったことに気づいたものの、後の祭。返金とかキャンセルとかが一切できない作りで、前に進むしかないのです。「選べって言われても、そんな〜。欲しいのは証明写真(ブツブツ)」とグズグズしていると、ピカっといきなりフラッシュが・・・・ 3分後に受け取り口にポトンと出てきたのは、パンダの横に写ったどアップのマヌケ面・・・35ドル返せ〜! by みこと 確かにマヌケな写真です・・・。お見せできなくて残念。 by タカ 2002年9月28日(土) 夏の総仕上げ、温の水泳大会 今日は朝から、近所の友人親子と車で特売中の日系スーパーの買い出しに。期間中、1000香港ドル(約1万5000円)買えば100香港ドルのクーポン券がもらえるので、実質全商品10%引きです。この手の企画は、映画「スーパーの女」によれば普段動かない商品がどこまで売れるかで勝負が決まるらしく、西蘭家もいつもは買わないウォーター・フィルター2本を計1056香港ドルで買いました。大きな出費ですが安全への保険のようなものです。でもメーカーが「標準使用期間:1年」としているのに、3ヶ月しか持たないのはナゼ?メーカーの誇大表記か?香港の水質の問題なのか?限りなく後者でしょう。 その後、急いで家に帰って夫のお土産の韓国製冷麺に舌鼓を打ち、今度は温の水泳大会へ。昨年のちょうどこの日に今の家に引っ越してきたので「あれから1年か〜」と感慨に浸りながら、所属する香港フットボール・クラブの会場へ向かいました。プールはキレイに飾りつけされており、男女ともメチャメチャかっこいい、スピーカーから流れてくる英語のアクセントからして大半が南半球系と思われるスタッフが、テキパキと進行していきます。 すぐに温の最初の競技、「8才男子自由形」の番に。5人のエントリーがあったのに実際に現れたのは3人だけで、どう転んでも銅メダルというラッキーな展開。でも自由形にかけていた温は必死で泳いで2位。なんとか銀メダルをゲット。ところが、自信がなかった平泳ぎでも5人で泳いで2位と大健闘。いつもはシングル・スクープのアイスクリームを思わずダブルにしてお祝いしました。 by みこと 今日からラグビーのリーグ戦が開幕。満を持して?臨んだ開幕戦は27対0で圧勝。幸先良いスタートです。しかし、私にとっては最悪のスタートに。開始5分もたたないうちに、タックルされた際に腰を痛打し、あまりの痛みに耐えかねて退場。そのままアイシングで腫れだけは引かしたものの、ビールの酔いが醒めた後からじわじわと痛みが増してきました。 今年はケガの当たり年のようで、開幕前の3試合で2度退場(どちらも胸を痛打)、そして昨日が腰。次はなんで退場するのでしょうか? by タカ 2002年9月25日(水) 踏まれても蹴られても 今年の香港の秋は驚くほど雨が多く、一雨ごとに秋の気配が深まって、すっかり涼しくなってきました。こればかりは、かなり得した気分。お店のショーウィンドウのブーツが間抜けに見えず、つい最近までミュールばかりで靴すらはいていなかったのに、ついついそんなブーツを手にとって見ているんだからいい気なもんです。 しかし、今シーズの靴はパンプスもブーツも、どれもこれもピンヒールで、しかも指の先に更に3センチはあるようなとんがったトウで、踏まれても蹴られても痛そうなデザインばかり。フリンジがたてがみみたいにふくらはぎについていたり、レース編みのように柄に合わせてレザーに細かい穴が開いていたりと、凝ったデザインもたくさんあるのですが、どれもこれも先端が細いのです。 この安定感のなさ(=履き心地のワルさ)から見て「きっとワンシーズンで終わるだろうな」と、冷静な主婦の計算をしつつも、「こういう思いっきり華奢なデザインだからこそ、スタイリッシュなパンツやトレンチだよね〜。この冬はホントにスカートお休みかも・・・」と、もともと靴フェチだったこともあり(今は卒業しました)、あれこれ連想ゲームは広がるばかり。これも季節の変わり目の、ささやかなお楽しみの一つです。あっ、夫が帰ってきました。冷麺とキムチのお土産つき♪ by みこと 3日間のソウル出張は内容の濃いものでした。何が濃かったかと言うと、食べたかったものがすべて食べられたこと。豚の首部分の焼肉(3人前を平らげました)、ロッテデパート食堂街にある冷麺専門店での冷麺。また11月頃に行く予定なので楽しみ。もちろん、目的は仕事です。 1年半ぶりのソウルで驚いたのは、スターバックスが急展開されている反面、老舗のドトールコーヒー(日本のドトールコーヒーです)の店舗がほとんどなくなっていました。日本では禁煙のスターバックス、喫煙のドトールコーヒーとして共存共栄しているようですが、ソウルの事情は違っているようです。 by タカ 2002年9月22日(日) また楽しからずや 昨晩は十五夜のお月見でしたが雲が厚くかかってしまい、とうとう満月は拝めずじまい。でも子供たちはランターン(灯篭のことですが、ウルトラマンなどキャラ物などもあり十五夜には欠かせないお子様アイテム)を手に、ここぞとばかりに夜10時半まで外でベイブレード三昧。今朝は眠い目をこすりながら、初ラグビーで朝からグランドへ。明け方にかなり雨が降ったので、親は「また中止♪」と期待したのもつかの間、今日は決行でした。 昼はシンガポール時代の友人が日本から遊びに来て、約10年ぶりの再会。みんなで自宅近所の「誉満坊」という人気の飲茶レストランに繰り出しました。その後は彼女と二人でこれまた近所の足マッサージ屋さんで角質削り。上海式で本当にナイフでサッサと削るんですが、がっかりするぐらいカスが出ます。「いったい私の足って?」と、なんだかしょんぼり。削ってくれたおじさんが「こんなに取れて、持って返ってスープにしろよ。栄養満点だぞ〜」と、更に留めの一撃。そ、そんな〜。 古い友人はいいものです。当時の私たちは、"シンガポールの日本人女性の会"というコンセプトで「サンカ会」と称する勉強会をやっていました。月イチでテーマを決めては持ち回りで趣味や仕事の話をする会でした。十数名の有志が集まり、「手軽にできるエコロジー」、「不動産の買い方」、「良い保険、悪い保険」、「アジア株入門」と本当に毎月盛りだくさんの企画でした。あれから10年。今年に入って同じ趣旨で香港にも「サンカ会」を立ち上げました。毎月十人前後が集まりワイワイやってます。新しい友達もまた、いいものです。 by みこと お昼を共にしたカミさんの友人は、私にとっても約10年ぶりの再会。驚いたことに、彼女のおばさん(彼女のお母さんのお姉さん)は私の母が住むマンションの住人だったのです。早速カミさんがそのことを電話で伝えると、月一程度に会って話をしているご近所さんだったのです。世の中の狭さを改めて実感しました。 明日から3日間ソウルへ出張です。 by タカ 2002年9月15日(日) 雨、ミニラグビー、ホームページ 今日から毎週日曜日はミニラグビー・・・と書くはずだったのですが、降り続く雨で今シーズンのミニラグビーは初日からキャンセル。これを楽しみにしていた親?や子供たちはさぞかし残念だったことでしょう。我が家のキッズラガー達も昨日から靴やマウスピース(8歳からタックルの練習があるので必需品)の用意をし、「明日は雨降らないよねー」と話していたのでやはり残念だったようです。子供たちそれぞれのコーチをする私は、昨日の天気から「絶対にミニラグビーはない」を前日から確信し、昨晩は「北の国から」のビデオを午前2時過ぎまで観、今日は昼ごろまで寝ていたほど。まだ私の心は「ミニラグビーモード」に入っていないようです。 先週の日曜日から木曜日まで日本に出張で帰っていました。最近は帰る度にパソコン関係のものを買ってきます。6月はパソコンに繋いで編集するMD、4月はデジカメ関係のもの、そして今回はホームページ作成ソフト。実は今見ていただいているホームページは一冊の本「全部無料でつくるはじめてのホームページ」を片手に無料ソフトをあれこれ使って作っていますが、カミさんから「私でも簡単にアップができるようにして欲しい」というリクエストで、「簡単にできる」の誉れ高いIBMホームページビルダーを買ってきました。これから勉強して、10月1日から新しいホームページ公開を目指して、これから夜な夜なPCに向かう日が続きそうです。ラグビーの練習、フィットネス、ホームページ作成、ピアノの練習、移民用英語試験の勉強・・・昼間より夜のほうが間違いなく忙しくなりそうです。 by タカ 2002年9月14日(土) 秋の気配 雨模様の1日でした。11日の台風以降はっきりしない天気が続いており、東京も急に涼しくなったようですが、香港も一雨ごとに暑さが遠のく感じ。「今年は思ったより早く秋になるかも・・」と、ほのかな期待。9月に入って白い夏服とは完全にサヨナラ。クリーニングに出すものはさっさと出し、「もう一回着ようかな」という迷いをシャットアウト。その代わり半年ぶりに靴を履き(この夏は完全にミュールとサンダルでした)、夏中カビ対策に頭を悩ませたレザーが帰ってきました♪ こうしてしばらくは気温と関係なく、勝手に秋モードに入っておいて、11月ごろからまた薄着になってカーディガンの下にキャミを着だしたりするのがいつものパターン。季節があるようなないような香港だからこそ、気持ちを仕切らないと本当に季節感がなくなって、のっぺらぼうな毎日になってしまいます。アクセ作りの方も自然と皮ひもに手が伸び、ビーズも透明感よりマットな重みが欲しいところなので、筒状にきれいに研磨された天然石で試作品作り。 この雨で夫のラグビーはお休みとなり、子供たちを頼んで心置きなくラマ島に。先生のワークショップで作りかけのガラス・モザイクの掛け時計作りに2時間没頭。デザインが決まらなかったので、あてもなくモザイク用のガラスを切り刻んでいるうちになんとなくイメージが固まりホッ。せっせと張ったものの半分も張り切れず、色づけや焼くことも考えるとあと2回はかかりそう。帰りは高速艇に乗り遅れ、遅いフェリーになってしまったものの、高速艇にはない2階のデッキの海風がとても気持ちよく、雨雲の下の鈍色の海もきれいで、なんだか得した気分。 by みこと 2002年9月2日(月) 銅鑼が鳴ったら、さあ9月! たっぷり2ヶ月の夏休みが終わり、今日から温は4年生(日本では3年生)、善は1年生(同じく年長組)となり、朝からお菓子とお弁当と水筒を持って学校へ行ったら3時までは帰って来ないという、働く母の引け目を多少なりとも緩和してくれる季節に。バンザ〜イ!夏休みは専業主婦のお母さんとの差が最も如実に出るので、なかなか悩ましい季節でもあるんです。とても「子連れで実家へ3週間里帰り♪」なんて、離れ技はできませんからね。 学校と同時に始まったのが競馬!自宅が競馬場のすぐ近くなので、これからはレース開催日の水曜日の周辺道路は大渋滞。でも競馬からの収益金がなきに等しい香港の社会保障のかなりを支えているので、賑わいは結構なこと。自主独立の香港人といえども年をとるし、身体障害者もいれば、身寄りのない子供たちもいます・・・どんなに生活腕力があっても完全無欠ということはありえませんから、資金を拠出した人も一瞬の夢が見られ、それが社会の役に立つなら、ご近所として文句を言う筋合いはありません。 だから水曜にタクシーで家に帰ろうとすると、運転手が露骨に嫌そうな顔をしたり、思いっ切り舌打ちされたりもしますが(香港は行き先で乗車拒否ができません)、私は平気のへーさです。でも面白いのはそういう運転手こそ、渋滞の中イライラしながら競馬放送を聞き、ケータイで他の運転手とレース談義と、お客なぞ眼中にない人が多いこと。その間もメーターは休むことなく上がっていくんですから、嫌がられる理由はないはずなんですが・・・?写真は9月1日からのレース再開のお知らせの垂れ幕。「銅鑼が鳴ったら即出撃!」という意味でみんなのうずうず具合が伝わってきます。英語も「Bursting to start」でヤル気満々。 さぁ、こちらもネジを巻き直していざ出撃(どこへ?)! by みこと 2002年9月1日(日) 香港のワンダーランド 昨日、どうもATMカードの調子が悪いので銀行へ行ったら、シャッターが目の前でスルスルと下りていくところ。ガーーーン。時間ギリギリで、しかもいつも行かない支店だったので通りを一本勘違いしていた私も私ながら、最近こんなことが続き、どうも低空飛行の毎日。 しかし、そうは言ってもここは湾仔(ワンチャイ)!香港では最も好きな場所のひとつ。「このまま萎れて帰れるかっ!」と、気を取り直し、お気に入りの麺屋にでも行こうと信号を待っていると、どうも信号脇の別の麺屋がただならぬ雰囲気。香港きってのグルメで知られる蔡欄(チャイ・ラン)氏の写真も・・・。急遽その店に飛び込むと、入ったとたん「これは!」。出てきたワンタン麺を一口食べて「しまった・・・」。この店に何年も気付かずにいたなんて・・・。 店の名前は「永華麺家」で見た目は香港によくある麺粥屋。しかし麺のシコシコ感といい、上品な味といい一級品!「上湯介蘭」という中華野菜の介蘭(ガイラン)をスープに浸し、エビの卵を散らしたものも「お、美味しい・・・」と思わず唸ってしまいました。しげしげと店に飾ってある新聞の取材記事を見ると、細身のオーナーらしき男性が2メートルはありそうな太い竹に跨って、全体重をかけて押し延ばしているものは、な〜んと麺玉!「手打ちだったのか〜」と、エンジェルヘア並みに細いのに、腰がある麺を改めて堪能。さすが、です。 ショーウィンドウには「骨疎鬆症を防ぐサメの骨のだし」とも書いてあるし、他にも"秘製"の蝦饅頭とあるハンバーグにしか見えないものなど、これはしばらく通うことになりそう。 その後はちょっと気を良くして、1時間一本勝負の湾仔散策へ!今日の獲得品は、@凝ったハンドメイドのインドビーズの見切り品:約300円を6袋(もう、コレはタダ同然という超〜お値打ち。日本で買ったら一袋5000円相当?)、A純白のコットン100%の子供用T(150円を3枚、パソコンを使ったプリント用で、やっと見つけた純白)、B温の水着(450円。湾仔にしてはちょっと高いけど、品質がいいのでこれで3枚目購入)、C自分のタンクトップ(前身頃が本チャンのバックスキンのパッチワークで後身頃が細編みという凝ったもので約1200円)、D温の「アルマーニ・エクスチェンジ」の長袖T(約1000円。本当はレディース用ながら短めの丈といい長めの袖といい彼の体形にぴったりで、ともかく大人用なので2年は着てくれるはず)・・・ということでまずまずの収穫。洋服はアウトレットなので、ブランド品は激安、ノンブランドでも品質がいいものが見つかるので、止められません、湾仔通い♪ by みこと 2002年8月31日(土) 痛い初試合 9月中旬から始まる2002-2003ラグビーシーズンに備え、先週から本格的な練習が始まり、今日はトライアル・マッチ(紅白試合)。私がプレーしているラグビークラブには香港代表レベルからウィークエンド・ラガーまで150名くらい?いて、それを6つのチームに分けてそれぞれのレベルにあったリーグで試合しています。ところが今日の試合は身内の試合のため、その代表レベルからそうでないレベルまで50名ほどを2チームに分けての試合でした。観戦だけのつもりで試合会場に出向いたら、「タカは後半だから・・・」とありがたいお言葉。一応そうなってもいいように身支度整えて行ったものの、試合に出る面々を見て「やっぱり止めようかな・・・」とちょっと弱気に。その弱気が試合に出たのか、唯一ボールを持って走った時に一本目(一軍)のプレイヤーの強烈なタックルの餌食になり胸を強打。そのままギブアップで退場。プレー時間は10分程度だったかな? あ〜これが今シーズン最初の試合か・・・今シーズンを暗示してるのかな??? でも一瞬だけだったけどメチャ痛かったな・・・息もできなかったし・・・。 試合の後はBBQパーティー。しこたまビールを飲み、いつしか胸の痛みを忘れてましたが、酔いも醒めたいま日記を書いているとやっぱり痛い・・・。来週の土曜日は同じクラブ内のチームと試合をし、来々週から約半年間のシーズン突入。ピアノとラグビーの両立で頑張ります。 by タカ 2002年8月19日(月) さあ、今日から中国へ行ってきま〜す かみさんが適度に日記を更新してくれているのをいいことに、アップデートのみを担当する一週間を過ごしていました。が、今日から5日間不在になるので、「出かけれる前に何か書いていって!」ということで・・・。 先週末から香港らしい蒸し暑い夏日が続いていましたが、日曜の朝から一転雨模様に。知らないうちに台風が香港の横をかすめて広東省方面に抜けていったことで、昨日は時折激しい雨が降る一日でした。今日も台風の影響で終日雨らしく、午前便で上海に向かう私は、「どうか家から簡単にタクシーが拾えますように」と祈っています。 by タカ 2002年8月18日(日) 焼そばパンの誓い 子供たちが先日、アンパンマンのビデオを見ていた時のこと。その中に出てきたヤキソバパンマンに痛く感動。カウボーイ姿の彼は鉄板で焼いたヤキソバの塊を目玉焼きよろしくパッと空中に飛ばし、それをジャンプして目にも留まらぬ速さで切り裂き、コッペパンの中にパパパッと入れるのです。ところが子供たち、その華麗なナイフさばきに感心してはいるものの、この世にソバが入ったパンが本当にあるなんて、これっぽっちも想像していませんでした。だから「今度の週末に作ってみようか」と言う私の提案にビックリ仰天!二人とも香港生まれのせいで、この辺の感覚は完全にガイジン状態。ヌードル+パン=??? さて、約束の週末。台風接近中で遠出ができなかったこともあり、家で焼そばパンのランチに・・・。「ママ、どうやってジャンプするの?」という質問も出ましたが、私は飛び上がることなく、箸でパンにソース焼そばを入れて出しました。すると、「美味しい、美味しい」で、あっという間になくなってしまいました。ふむふむ。ガイジンにもウケるわけか。それなら!「ねぇねぇ、今度学校でパーティがある時、コレ持ってかない?」と言うと、二人とも目がキラキラ☆☆。OKのよう。いつも、そういう機会には、ミニおにぎりだのお寿司だの純ジャパ(ニーズ)路線だったけど、次は小さいパンを探してきて、是非コレで行ってみよう!と、堅く心に誓いました。 これってイタリア人に納豆スパゲッティを出すくらい神をも恐れぬ行為かも・・・と思いつつ、息子の学校のブリ(ティッシュ)やオージーの先生がどんな顔して食べるか楽しみ♪ by みこと 2002年8月17日(土) アーティストとの午後 先月、モザイクを習ったポーリー先生が自宅に来ました。彼女に会うのは今日で5回目ながら、なんだか昔からの知り合いのようでいろんな話に花が咲きました。本人の希望で針とナイロン糸で編み上げていくタイプのビーズの指輪の作り方を教えることに。「細かい作業だし繰り返しだからつまらないかもしれないけど・・・」と言うと、「大丈夫。アーティストは我慢強いから」と言い、二人で爆笑。少し大きめのビーズを用意していたこともあるものの、あっ〜という間に一つ作ってしまいました。さすがに手先が器用でコツを覚えたら早い、早い。 かなり前には勤め人もしていたこともあったけれど、半年と続かずそれからはイラストレーターに。彼女は壁一面に書くような壁画が得意で、大掛かりなモザイクでも下絵がしっかり描けるのでかなりのアドバンテージになってるらしい。「でもね事務的なことが苦手だし、売り込みに行く度胸もないし、好きなことだけ続けていくのは大変よ。それに建築業界は男性社会で、女性であることはすごくハンデね。コスト面ではインドからの輸入品とも競合しなくてはならないし・・・」と本音も忌憚なく語ってくれました。 それでも近く、お店を兼ねたワークショップを開く予定で、製作、販売、モザイク教室をまとめてできるようにするのが夢なんだそう。「きっと朝から晩まで1日中こもってるんだろうな」と、新しい仕事場への期待を募らせていました。壁という壁にイラストを描き、あちこちにモザイクの作品を置いて、後ろに髪を結い上げて黙々と作業台に向かう彼女が目に浮かぶようです。「そのうち二人で何かしよう」と、夢を追い続けるアーティストとの話はついつい大きくなりがちだけど、夢はやっぱりないよりあった方がいい。 by みこと 2002年8月11日(日) 久し振りのピーク ⇒ ギャラリーに写真あり 昨日配信されたカミさんのメルマガ最新号でピーク(山頂)が取り上げられたからか、久し振りに朝から晴れていたからか、今朝目が覚めたときに一番最初に思ったことは、久し振りにピークにあるカフェでクロワッサンとカフェラテの朝ごはんにしたいなー、ということでした。 かみさんはもちろん即OKサイン、子供たちは・・・「お腹すいたよー」ということで簡単に食べさせ、いざ車でピークへ。ピークが近づくにつれいつ雨が降り出してもおかしくなさそうな天気に不安を感じながらも、私の頭には行きつけのパシフィックカフェでの朝ごはん・・・。幸い雨に降られることもなく、朝ごはん、その後は子供たちを山頂広場(ピークギャラリア)のプレイグラウンドで1時間強遊ばせました。 ここ1週間〜10日間ほどは連日雨模様だったので「週末も雨かな?」と心配してましたが、久し振りに昨日の午後から太陽が顔をのぞきだし始め、今日は結構よろしい天気でした。あまり暑いのも辛いですが、雨よりはマシかな。午後は1時間半ほど子供たちとプールで遊び、その後はジムで筋トレ。昨日もジムでゆっくり筋トレをし、その後は息子たちとその友人4人とバスケットボール。本当に頭を使わない週末でした。 そうそう、昨日から25年振りにピアノを習い始めました。音符読めるかな?と不安でしたが、それはなんとかOK。但し、両手で鍵盤をたたくのは結構難しく、自宅での練習は欠かせなさそうです。 By タカ 2002年8月8日(木) 行く人来る人 海外で暮らしていると8月は別れの季節です。9月から新学期になるので子連れの人の移動が多く、長男のクラスメートも4、5人が香港を離れました。彼の2年生の時の担任だったキウイの先生も帰国することになり、月曜に別れを惜しんで最後の食事をしてきました。本当に話題が尽きず、レストランからカフェに場所を変え、延々と話込んで気がついたら時計は既に12時過ぎ! 「海外で暮らして、改めて自分の国の良さがわかったわ。また外に出る日があるかもしれないけど、今はすご〜く戻りたいので、仕事も何も決まってないけどいったん仕切り直しに帰ろうと思うの」と、言ってました。そして「ミックス・カルチャーの中で育つ子供のことを勉強し直そうと思って。大学院で2年くらい勉強するかもしれない」とも。本当に名残惜しい限りですが、これは終わりではなく新たな始まりへの幕間と信じて・・・。「次は絶対カフェ・セザンヌね!」と堅く約束して別れました。彼女に心からGood Luck! そして今日はフランス留学時代から足掛け15年来の友人一家が、日本から香港に戻って来た記念すべき日!子供たちは生まれた時から一緒の、姉弟みたいな関係なので、上に下にの大喜び!私も朝からソワソワ、ウキウキして「何時に着くのかな?もう連絡入る頃かな?」と彼女のケータイに電話を入れたりしてましたが、つながらず。「もう、着いてる頃なのに〜」と、念のため自宅の方へ連絡が入らなかったか子供に聞こう電話を入れてみると、な〜んと出てきたのは友人本人! 「あぁ、お邪魔してますよ、さっきから」とエラくくつろいだ声。いいなぁ、この敷居の低い関係。さっそく、夜も飲茶ができる近所のレストランでワイワイ、ガヤガヤ円卓を囲みました。行く人、来る人。この縁に感謝しながら、私達にとって有限になってきたこの香港での時間を、今までより一層大切に過ごして行くことにしましょう。 な〜んて、格好つけてる場合ではなかったのです!「子供たちの夏休みは残すところ3週間」なんて、前回書いてたら今年は9月2日が月曜だったので、学校は9月からでした!だから「残すところ4週間(長いっ)」、ガ〜ン。夏休みの最後の週に制服着せて、来ないスクールバスを兄弟で待たせるような目に合わせなくて良かった〜(汗) by みこと 2002年8月4日(日) 私も趣味の世界へ どっぷり趣味の世界へ浸っているカミさんと違い、運動系の私はジョギング、ラグビーといった体を動かすことだけが趣味と思われていますが、実は私にも違う一面が・・・。 実は音楽にはそれなりにはまっていた時期があり、小学校3年から4年間は合唱団に、小学校4年から1年半ほどはピアノ教室へ、さらに小学校6年の時は学校の吹奏楽部に入り、中学からはフォークギターにはまっていました。合唱団にいた時はキングレコードから「2歳から8歳までのよい子の歌」というタイトルだった?のレコーディングに参加し、2枚組みLPの中で7、8曲ほど歌ってました。吹奏楽部の時は市のコンクールや今はなき"谷津遊園"でのパレードで演奏もしました。ギターでは中学2年の時の遠足や、高校時代の文化祭での演奏など、それなりに目立つことをしてきました。 しかし、しかし、ピアノだけは中途半端に止めてしまい、いつも心のどこかで「いつかまた弾きたいな・・・」と思っていました。できたらもう一度先生について習いたい、と・・・。そんな気持ちを10数年ほど持ち続けていた私に"日本人の先生によるピアノレッスン"という広告が先週の金曜日(8月2日)目に入り、直ちに連絡を取り、実際に会って話をし、毎週土曜日に教えていただくことに決めました。 ということで、今度の土曜日からピアノ(昼時)+ラグビー(午後)という似合わない組合せの趣味の道へいくことにしました。25年ほど前に"バイエル"だけは終わらせていましたが、指の感覚はおろか、楽譜さえまともに読めないレベルまで落ちていることから、初級からじっくりとやることにしました。但し、半年ほどで一曲くらいはまともに弾けるようになることを目標にしていますので、夜は一人ピアノに向かう日が多くなりそうです。ちなみに今後1年間の目標の曲は、映画「スティング」のメインテーマである「エンターテイナー」です。発表会もあるそうなので、それを励み?に頑張ります。 さあ、明日はピアノを買いに行かなければ・・・もちろん人様の迷惑にならないために電子ピアノです。本当にピアノを再開できるなんて・・・なんかワクワクしてきます。でも私を知る人からは「似合わないな〜」「冗談でしょう」という声が聞こえてきそうですが・・・。 By タカ 2002年8月3日(土) もう8月 早くも8月。「暑い、暑い」と言いながらも、月末の最終週から新学期が始まるので、子供たちの夏休みは残すところ3週間。インターナショナル・スクールは終業式も始業式もなければ入学式もなく、夏休みも新学期も必ず月曜から始まるようになっているので毎年変わります。夏休みの終わりが近づくと、クラスメートの父兄同士で「学校は○○日からよね?」と、電話をし合ったりする微笑ましい一コマも・・・。何もかもキチッと決まっている日本から比べると、ずい分悠長なもの。でも始業式なんてなくても、全然困らないものです。 今日は月イチのケーキ教室の日。お題目は「トライフル」と私の希望で「パンナコッタ」でした。どちらも冷たいので夏向きです。いずれも甘さ加減、口当たりともばっちりで大成功。恒例のレディグレー・ティーで出来たてのところを午後のお茶をしながらいただきました。まさか甘いものが苦手な私が「ケーキ作りなんて・・」と今だに本人もびっくりですが、甘党の夫や子供たちが喜んでくれるし、ご飯を作るよりはるかに尊敬されるので、手っ取り早いファミリー・サービスです。 夕方からはラグビーのトライネーション(ニュージーランド、オーストラリア、南アフリカの3ヶ国対抗戦)のニュージーランド対オーストラリア戦を見にスポーツクラブのバーへ。ワールドカップ観戦の時以来ですが、日本対ロシア戦の10倍以上の人がいて、キウイやオージーがビール片手に「ウォ〜〜〜、ウォ〜〜〜!」。夜は温のクラスメートのオーストラリア人が泊りに来たので、DVDを見たりポケモンカードをしたり・・・。さて、彼らは何時に寝ることか?明日の朝ごはんは善がサマースクールで習ったハニーブレッド(要ははちみつを塗ったサンドイッチですが)を作ってくれるそうで、今から楽しみ♪ by みこと 2002年7月27日(土) とうとうモザイクが! 今週はバタバタ音がするぐらい慌しく過ぎました。今月から始めたタイルモザイク。先々週バリに行っていて1回欠席してしまったので、先生にお願いして代わりに今週2回行かせてもらうことにしたのはいいけれど、そんなのではとても間に合わず、月曜は教室まで行ってタイルをごっそりもらっただけで、実際は家に帰って子供たちが寝てから朝2時までひたすらタイル張り。 火曜は月イチで主催している香港で働く日本人女性の会の会合があり、「笑いとユーモア」というテーマ通り、涙を流さんばかりに笑って笑って、あ〜〜スッキリ!でもお笑いの奥深さにいたく感銘。家に帰ったら子供達がまだ起きていて本を読んだりして寝かせてからメルマガを仕上げたものの、IT担当者は朝ジョグがたたってか既に就寝中。自分でUPができないので(恥)、そのまま12時から再びモザイク再開。夜中の2時にとうとうタイルを張り終え「できた〜〜〜!」と一人深夜にジーーン。 水曜はいよいよ最後の授業でモザイクの目地剤入れ。石膏を溶かしたようなものをたっぷり塗り込み、渇いたらタイルの表面をきれいにして、な〜〜んと本当に完成っ!生まれて初めて作ったモザイク。とにかく、とにかく感激でした。木曜は銀行がくれたタダ券で久々のエステへ(主婦はケチなのでこの手のものは逃しません)。ボルゲーゼは結構好きなブランドでタダとは言えラッキー。90分のうち、どうも1時間は寝てしまっていたようです。帰ってからなぜか子供たちと仮面ライダーカードをして、あとは出張中の夫の居ぬい間のパック+メルマガ作成。 そんなこんなで子供との時間があまりに少ない一週間だったので、金曜は仕事のあと家族で合流してプール+外食。夜は週末恒例ユーミンのうそラジオ聞きながらのアクセ作り。今日は朝から長男とディズニー映画に行き、午後はすっかりご無沙汰していたガラス細工造りに(あっちでもガラスモザイク作成中)、子連れで離島のラマ島まででかけてきます。じゃ、Have a nice weekend! by みこと 2002年7月22日(月) 始めました、早朝ジョギング 週末に突然思い立った「早朝ジョギング」。仕事帰りの夜よりも朝の方が涼しくて走りやすい、というカミさんのアドバイスで、「よっしゃー」と掛け声良く今日が初日。毎朝6時ごろに起きるカミさんに「6時に起こしてね」とお願いしたものの、ベッドに入ったのが午前2時半だったこともあり、一発で起きられなかったのですが、何とか6時20分ごろには起き上がれられ、「う〜む、どうしようかな」と初日リタイアも頭によぎりながな、何とか着替えて外に出ました。 驚いたのは、家から5分ほどにあるジョギングコース(ハッピーバレー競馬場の中)には年配の人を中心に結構な数の人がいたことです。太極拳や気功?をする少人数のグループ、ゆっくりと散歩する老夫婦、「えっ、朝からそんなに早く走れるの?」と思わせるような本物のジョガー等等、久し振りに新鮮な体験の朝でした。 チョー低血圧の私は、朝はなかなかエンジンがかからないタイプです。今日はたまたま起きられましたが、明日はどうなることか。一日坊主で終わるのか、はたまた3日坊主か、それとも予想外に続くのか、乞うご期待。(知ってます、そんなこと誰も気にしていないことは・・・。) 水シャワーを浴びてから1時間近くも経つのに噴き出してくる汗。これでは会社へ行く着替えができない。ということで、今日はカジュアル・フライデーならぬカジュアル・マンデーの格好で今から出勤します。仕事で人と会う約束がない日はノーネクタイで過ごすことが多くなってきました。社内の男性はほとんどネクタイをしていますが、誰からも何も言われないことをいいことに、最近は堂々とノーネクタイで過ごしています。周囲の人はあまり気にしていないようで、気にしているのは本人だけ、ということも世の中多いものです。最近の私は going my way そのものです。 by タカ 2002年7月20日(土) バリ旅行から戻って早1週間・・・ 14日にバリ島から戻ってきて早1週間。前回の日記を書いてから早2週間。戻ってきてから特に忙しかったわけでもないのに、書かないことを気にしながらも書かない日々が続き、カミさんから「日記は?」のリマインドでやっとパソコンの前に。 5年ぶりのバリ島は「良かった」の一言に尽きます。カミさんと長男には5年ぶり、次男にとっては初めて、実は私にとっては9ヶ月ぶりでして・・・。というのは、昨年10月のある週末に行われたバリ10人制ラグビー大会に香港フットボールクラブのチームの一員として参加し、土・日は朝からラグビーの試合、夜は連日連夜飲んで、飲んで・・・ビーチリゾートとは無縁のバリ島旅行を楽しんでました。 今回のバリ島はいつものことながら何の予定も入れず、「食う、寝る、遊ぶ」を実践していた8日間でした。唯一の観光は、旅行の前半を過ごしたウブドでレンタカーを借り、ゴジャ・ガヤ、キンタマーニ高原、モンキーフォレストを回っただけ。あとは本当にのんびりと過ごした時間でした。バリ島旅行記は、近じかスタートする「旅行」コーナーに写真満載で掲載される予定。文章はもちろんカミさん、アップデートは私が担当します。乞うご期待。 今日は長男の柔道教室に行って来ました。柔道は5歳11ヶ月から始め、約2年6ヶ月続けています。白帯から始まった柔道(全員そうです)も黄色帯(5級)、オレンジ帯(4級)と変り、今日は緑帯(3級)の受領式がありました。次は青帯(2級)、茶帯(1級)、そして黒帯(初段)と続きます。是非黒帯までいって欲しいものですが、果たしてNZでも柔道はできるのか??? ちなみに次男は柔道の「イッポーン(1本)」が言えず、「イットーン」と我々を笑わせてくれます。 そうそう、今日は土用丑の日だったので、「うなぎ」の晩飯でした。日記に書くほどのことではないですが・・・ by タカ 2002年7月6日(土) 夏休み開始っ! 明日から一足早い夏休みでインドネシアのバリ島へ行ってきます。バリはシンガポール時代から毎年のように行っていたのに、よくよく数えてみたらもう5年もご無沙汰していて結構ビックリ!なんと次男の善は今回がバリ・デビュー。あのたおやかに流れていく時間、どこからともなく聞こえてくるガメランの音。頭に供物を乗せてしとやかに歩いていく女性たち・・・。いいところですよね〜。西蘭家は特に「芸術の村」とガイドブックで紹介されているウブドがお気に入りで、いつもビーチより山間部を中心に動いてます。今回は有名なライステラス(棚田)が見渡せるところに宿をとり、たっぷり自然を堪能してこうようと思ってます。 掲示板を始めたとたん書き込みがあってホクホク。書き込んで下さった方、覗いて下さった方、ありがとうございます。なるほど、こういうものがあるとついつい自分で自分のサイトに行ってしまうものですね。今後ともよろしくお願いしま〜す。(今、ユーミンのうそラジオ聞きながら書いてます。一周年だそうでオメデト〜!) by みこと 2002年7月2日(火) 掲示板始めました〜! ジャーン!できました掲示板。サイト立ち上げ半年記念の一大行事(大袈裟)!私はメルマガをやったりしていながら人様のサイトを覗きに行ったり、メルマガを登録したりというのはごく稀なので、たまに検索の関係で知らないサイトに行ってみると「凝ってるなぁ」「キレイだなぁ」「いっぱい書き込みしてあるなぁ」と感心することしきり。「掲示板あります」とわざわざ書いてあるのをよく見かけるので、これがあるとないとでは大違いなんでしょうか?ともあれ今までは送るばかり、アップするばかりの一方通行でしたが、これでかろうじて双方向になりましたので、ぜひ感想などお寄せ下さい。遠くにいながら限られた知識で一方的に書いているため事実誤認等も多々あると思いますので、知ったかぶりへのご指摘も歓迎いたします。 香港は返還5週年を迎えましたが、ワールドカップが終わったばかりで関心は引き続きそっちの方に集まっているようです。(カーン、4年後のドイツ大会で会おう!)それに、これだけ中国化が速いと何を祝っているのかピンとこないぐらい植民地時代が遠く感じられます。 by みこと 2002年7月1日(月) 返還5周年 5年前の今日、香港はイギリスから中国へ返還されました。1997年のあの日から早5年・・・。返還前数日は日本から"返還の生き証人"を謳う(実際は単なる観光旅行)の会社関係者が大量に押し寄せ、こちらは返還を実感することなく、これらの人たちの相手をするのに大変な思いでした。返還のその瞬間は上述の日本からの旅行者たちとメチャ遅い夕食中であり、一斉に鳴り始めた外の車のクラクションの音で7月1日の午前0時を知ったくらいです。 あれから5年、本日配信されたカミさんのメルマガにもありますが、香港を取り巻く経済状況は一変し、日本のバブル崩壊のように底が見えない坂道をゆっくりと下っています。西蘭家にとってそれはマイナスファクターにはなってなく、不動産市況の悪化で今まで高くて手が出なかったようなマンションに住めるようになり、イギリス人を中心とした白人の多くが香港を離れたことから、両親が日本人にもかかわらず子供二人がすんなりイギリス系のインターナショナルスクールに入学できました。もし返還後も"アジアの龍"として上昇気流に乗っていたとしたら、手に出来ないものが多かったと思え、生活環境は多少違っていたことでしょう。 5年前の香港返還に対する国外からの関心は色あせ、新聞でも返還記念日の前後に少々触れられる程度になっています。日々多くのニュースが世界中をかけ巡っており、香港の存在が特別なものでなくなった証拠でしょう。中国への自然な同化は中国政府の予定通り?(もっと早く?)進んでおり、1999年にポルトガルから返還されたマカオ、そして最後の大物"台湾"の中国への帰属が完了すれば、大中華(Greater China)は政治、経済、さらには安全保障上東アジア、さらにはアジア全体において大きな地位を占めることになります。既に中国の存在は日本よりも大きなものになっていますが、戦後50数年間アジアの経済大国として君臨してきた日本の存在は、自らがどう思うかは別として、世界からの評価は相当変ることになるでしょう。 そのころ西蘭家はニュージーランドにいるのか、はたまた子供たちは巣立った後で夫婦二人で新たな安住の地を求めてどこかへ移っているか・・・でもどこにいても、お世話になっている香港と中国は生涯気になる存在であることは間違いなさそうです。 私は明日から北京、上海へ4日間の出張。子供たちは5日(金)で学校が終わり、8週間に及ぶ夏休みに突入。そして日曜日から仕事疲れと学校疲れ?を癒しに、西蘭家はバリ島へ8日間ほど出かけます。 By タカ |