「西蘭花通信」Vol.0728 生活編 〜小夏物語:晩夏のお別れ〜              2017年2月9日

初めて訪れた獣医の受付には、すぐにでもしがみつきたくなるような大柄の看護師がいました。
「この人だったら!」
とピンと来て、小夏、ココナツ、子猫2匹という三世代の半野良4匹を抱え、なんとかして成猫2匹を去勢させ、子猫を引き取ってくれるところを探しているという事情を、一気に訴えてみました。身長180cm近くありそうな彼女は、高いところから大きくうなづきつつ、最後まで話を聞いてくれました。

「親猫を捕まえられると思う?」
「多分、おばあちゃん猫(小夏)なら。私たちに慣れているので。でも親猫は警戒感が強いから難しそう。」
「捕獲器を使ったら?貸してあげるわよ。」
「えっ?!それって素人でも使えるの?」
彼女が出してきたのは細長い鉄製ケージで、ご飯を置く場所の手前の踏み板に乗るとドアが閉まる単純な仕掛けでした。仕掛けるのは簡単でも、果たしてこれで捕まるのか?失敗したら2度と近づいてはこないでしょう。一か八かです。しかし、返事のない動物愛護団体を頼っていては埒が明きません。

私たちは捕獲器を借り、自力で保護することにしました。その代わり、保護できたらいつでも予約なしに獣医に連れて来てよく、去勢手術も実費で請け負ってくれるという言質をもらうことができました。お隣さんも私たちも大の猫バカとして、手術代は負担するつもりでいました。問題は子猫です。ココナツを保護して去勢したら、授乳どころではなくなります。
「母親のもとで6週間は育てたいところだけれど事情が事情だから、いいわよ。連れて来なさい。」
「えっ?」
その場で獣医が引き取ってくれることが決定しました。

翌日の朝、いつものように朝ご飯を食べに来たココナツを夫が1人でいとも簡単に捕獲。約束通り、すぐに子猫とともに獣医に連れて行きました。子猫は従業員の1人がもう少し大きくなるまで、個人的に家で面倒を見てくれることになりました。きっとトイレトレーニングなど家猫修行までやってくれるのでしょう。ありがたいことです。その翌日には手術を終えたココナツを引き取りに行き、術後24時間で庭に放しました。獣医を初めて訪ねてから72時間以内の早業で、まずは3匹の片が付きました。

そして残る1匹、小夏。なぜかココナツを捕獲して以来姿を見せなくなり、5日目にしてやっとご飯を食べに来たところを、今度は夫婦で捕獲。お腹を空かせていた上に私たちへの安心感もあってか、拍子抜けするほど簡単に捕獲器に入っていきました。ケージから出られないとわかったときの小夏の驚いた顔が、今でも思い出されます。知り合って4年以上、私たちが初めて小夏の意にそぐわないことをした瞬間でした。

ココナツの時と同様に、すぐに獣医に連れて行き、翌日手術ということで確約を取りました。
「小夏っちゃん、明日迎えに来るからね。」
2回目とあって私たちは余裕でした。小夏は初めての室内、たくさんの動物や人ににおいに怯えた目をしていましたが、暴れることなく落ち着いていました。なぜ私たちがこんなことをするのか全く理解できなくても、怯えた目でやはり私たちを頼っているように見えました。その動物らしい疑いを知らぬ善良さに心を打たれながら、私は「また明日」という自信に満ちていました。

しかし、私たちに「明日」はありませんでした。翌日、手術が始まる頃になって獣医から掛かってきた電話は全くもって想定外の話でした。血液検査の結果、小夏は猫免疫不全ウイルス(FIV)が陽性で、いわゆる猫エイズのキャリアでした。しかも、メスではなくオスでした。オスは領土争いなどケンカでウイルスを拡散させてしまう可能性が高く、去勢手術後に完全室内飼いができるなら手術をするが、獣医としてキャリアであることを知ってしまった以上、術後に外に放すことを認めることはできないという返事でした。

「完全室内飼いができなかったら?」
その答えは身も凍るような一言、「安楽死」。
あの小夏が、元気いっぱいで、昨日まで一緒だった、4年以上外飼いを続けてきた小夏が死ぬ?頭がクラクラするようでした。しかし、私たちに時間も選択の余地もなく、夫婦で相談しお隣さんにも報告して、獣医の指示に従うことにしました。完全に野良猫として生きてきた小夏を完全室内飼いにするなどどうしても想像できず、私たちもお隣さんもすでに2匹の飼い猫がいます。去勢猫となって性格が穏やかになっても猫はどうしてもケンカをします。

すぐに獣医から同意書が送られてきて、必要事項を書き込みサインをして送り返しました。ココナツのときに実費を支払い、それを寄付扱いにしてくれていたので、小夏を荼毘に付す費用は請求されないことになりました。物事はあっけなく進み、2度と会うこともなく、小夏はこの庭だけでなく、この世からいなくなってしまいました。

実感の湧かないまま1日が過ぎ、夕方に夜ご飯を食べに来たココナツを見ているうちに胸が締め付けられるように苦しくなりました。小夏とココナツは番だったのでしょう。ココナツは子猫だけでなくパートナーも失ってしまいました。食後に甲高い物悲しい声で鳴き、庭を行き来しています。去勢から戻り子猫の姿が見えなくなってから、毎日夕方になると思い出したように同じ声で鳴きます。その声に
「どんなに探しても戻ってこない。私も2度と小夏に会うことができない」
ということがやっと実感でき、涙が止まりませんでした。初夏の出会いは、晩夏の夕暮れに最期の残照のように一度照り返し、消えていきました。

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「マヨネーズ」

小夏は野良猫として食べ物と身の安全の確保に、生涯のほとんどを賭けてきたといっても過言ではないでしょう。その小夏が他の猫の安全のために、この世からいなくなるという皮肉に胸が押し潰されそうです。

小夏っちゃん、どうか安らかに眠ってね。今までありがとう。助けてあげられなくてごめんね。


西蘭みこと 

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