「西蘭花通信」Vol.0723 スピリチュアル編 〜50代の宿題10:自立〜        2017年1月13日

2017年が始まり、さっそくボランティア仲間で年末年始の報告会、というか女子会をしてきました。74歳のミリーは唯一の孫娘がクイーンズタウンで就職し、年明け早々に引っ越して行ったばかりでした。
「仕事を始めてかれこれ1週間。同時に入社した子があと2人いて、3人一緒の写真を送ってきたわ。フラッティング(共同生活)している相手の女性もいい人らしくて、部屋から湖が見えるんですって。すごくしっかりして楽しそうなのよ。」

3年制の大学を卒業したところなので今年21歳。親元を離れていくのがごく自然な年齢と時期でありながら、地方での就職にはすったもんだがあり、私たちも早くから経緯を小耳に挟んでいました。孫娘の両親であるミリーの娘夫婦は最近、郊外に家を新築したばかりでした。寝室5部屋、バスルームも3、4つあり、クルマ3台分のガレージ付きの大きな家を建てました。これには私たちが仰天し、
「子どもとはいえ全員成人していて時間の問題で出て行くのに、なんだからってそんな家を建てたの?その歳で家を出て行かなかったら逆に問題じゃない!」
と、つい彼女を質問攻めにしたものでした。

「娘の夢なのよ。いつまでも子どもたちに囲まれて、家族全員が仲良く、楽しくっていうのが夢なの。」
「えぇぇえ!」
子育てのゴールこそ子どもの独り立ちと考える私たちは一斉に声を上げ、娘さんの夢には賛同しかねました。18歳以降の自活を重んじるNZにあっては、珍しい夢でもありました。なので理想の仕事を見つけて応募し、予想外の採用通知が来たとき、孫娘が真っ先に打ち明けたのはおばあちゃんのミリーでした。

「どうしよう。ママに言えない。」
「でも、行きたいんでしょ?」
「もちろん!まさかこんなに簡単に採用されるとは思ってなかったの。ここしか申し込んでなかったし。」
「それがチャンスってものでしょう。」
2人は何度も話し合い、孫娘は気持ちが固まったところで両親に話しました。父親は戸惑いながらも喜んでくれ、母親は号泣。母親は娘とも、自分より先に知っていたミリーとも1週間以上口が利けませんでした。それから3ヶ月ほどで、孫娘は大きな荷物とともに旅行でしか行ったことがない遠い町へと旅立っていきました。

空港で見送った後も、
「どうしてオークランドじゃダメだったの?」
と夫の隣で未練がましく言う娘に、
「あなたよりましよ。」
ミリーは言い放ちました。私たちは全員、この経緯を知っています。泣きじゃくっていた娘がはっとして顔を上げました。
「あなたはたったの30分で出て行ってしまった。私がどんな思いだったかわかる?」
娘には返す言葉がありませんでした。

             (長男も2012年に大きな荷物とともに日本へ→)

ミリーが40代だった30年ほど前、大学生だった娘はある日学校から帰ると、「ちょうどいい空き部屋を見つけてフラッティングすることにした」と言って、連れてきた数人の友だちと一緒に自分の部屋の物を運び出し、1時間もしないうちに出て行ってしまいました。
「夕食もいらないって言って、クローゼットまで持っていったのよ。」
不用品だけが残されたガランとした部屋で、ミリーは茫然自失のまま涙を流しました。親子でケンカをしていたわけでもなく、前日まで家族4人で食卓を囲んでいました。事前の相談もなにもないまま、娘は逃げるように家を捨てるかのように出て行ってしまったのです。

私は大学1年の終わりの19歳で家を出ました。大学の裏手に小さな古いアパートを見つけ、仲のいい友だちとフラッティングというよりもルームメイトとして、一緒に家を出ることにしました。取り壊しを待つばかりのおんぼろアパートだったので家賃は知れており、横浜の実家から大学まで片道2時間かけて通学していたので、浮いた時間にバイトを増やせば、仕送りなどなくても下宿はたやすいことでした。友だちは浪人していたので20歳を超えており、彼女の名義なら賃貸契約に親の判子も必要ありませんでした。

入念に計画を立て、友人と話し合い、収入の確保にもめどをつけ、自活の可能性を確信した段階で、私は両親に「家を出る」と打ち明けました。小学校に入るか入らないかぐらいの幼い頃から、母親に二言目には「出て行け、出て行け」と言われて育ってきたので、さぞや喜ぶだろうと思った両親、特に母親の言葉は耳を疑うものでした。
「ちゃんとした家があるのに出て行くですって?あなたはいつも、なんて自分勝手なの!?」

両親は猛反対でしたが、私は予定通りに家を出ました。ミリーの娘とは違い、着替えや本といった自分で買った身の回りの物だけを持ち、小旅行にでも行くような軽装で出て行きました。電車では布団や家具が運べないという理由ではなく、親が買った物まで持っていったら、「あの子は家の物を勝手に持ち出した」と後々まで繰り返し言われることがわかっていたので、必要なものは下宿先で揃えることにしました。

私たちも親子でケンカをしていたわけではありません。ケンカというものは自分の主張をぶつけたら、相手の主張が変わるかもしれない可能性があるからするのであって、その可能性もないのに自分の主張だけをぶつけても気まずく、いたたまれなくなるだけです。私は母が売ってくるケンカを絶対に買いませんでした。失敗がないよう周到に準備をし、丁寧に説明もし、礼は尽くしたつもりでした。逃げるのでも捨てるのでもなく、私は玄関から堂々と出て行き自立しました。誰にも祝福されなかった36年前のあの日を、今でも誇りに思います。ミリーの孫娘もまた、この1月をいつまでも誇れるよう祈っています。

(不定期でつづく)

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「マヨネーズ」


2017年の最初がこんな話になるとは!今日は今年最初の満月。気持ちの整理には打ってつけなのか?
ミリーの話は〜人生の春夏秋冬:豊かな秋〜でも書いています。

西蘭みこと 

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