「西蘭花通信」Vol.0713 生活編 〜キッチン〜 2015年5月15日 「おい、電子レンジあるか?」 リビングから大柄の中国人が声をかけてきました。 「あるわよ。」 たった数時間前に初めて会ったというのに、敬語のない中国語の気楽さで私たちは知り合いのように言葉を交わしていました。 「そりゃいい。台所がねぇんだから、電子レンジもねぇのかと思ったよ。」 と言いつつ、びっくりするほど大きな弁当箱を差し出しました。 「おいしそう!」 耐熱ガラスの蓋越しに見える素揚げにした大きめのエビ2匹は、炒めた青菜や煮物を背負うように背中を丸め、ふかふかの白ご飯のベッドに横たわっていました。色も鮮やかなら、食材の数もたっぷりで、揚げて良し炒めて良し煮て良しという、普段の食生活の充実度が蓋を開けずとも見てとれました。 「2分だ。」 私はずしりと思い弁当箱を受け取り、言われたとおりの時間をセットしました。 大柄なので北方系かと思った男性は意外にも上海人で、3月から本格的に始まったキッチンの改装に向け、新しいキャビネットを取り付けにきてくれた業者でした。アジア人同士ですから、キウイの業者のように、 「ハーイ、アイム・ジェームス。ハウアーユー?」 と満面の笑顔で社交的に握手を交わすシーンなど全くなく、太い黒々した傘のような眉の下にも笑顔はなく、第一印象は無骨で気難しそうでした。 私は彼を「老板(ラオパン)」(社長、棟梁、親方などの意)と呼び、ラオパンが「おい」「よう」「ハロー」と一声上げるや、すっ飛んで見に行くという按配でした。何度も何度も呼ばれて細かい点を確認していくうちに、職人風情だったラオパンも徐々に打ち解けてきました。2日目には、 「お前のダンナは日本人なのか?お前らが話してるのは日本語だろ?」 と、初めて仕事以外のことを聞いてきました。 夫も何回か仕事部屋から出てきたものの、私たちの中国語の会話に入れず、後から私が日本語で説明をしていました。 「そうよ。私たち日本人だもの。」 「え?お前も日本人なのか?何で中国語話すんだ?」 「こんな適当な中国語なのに、外国人だってわかんなかったの?」 「訛りがあるから香港人かと思ったよ。」 「私は台湾で中国語を習ったから台湾訛りなの。香港人は広東語だから、訛りが全然違うわよ。」 そこは香港在住14年。香港人を真似て中国語(北京語)を話すと、さすがにウケました。大阪に長らく住んでいたアメリカ人が、関西弁訛りの標準語を話す大阪人を真似ているようなものです。 「そうなのか、日本人か。俺のせがれはずっと日本語やってて、日本語がペラペラなんだ。学生のときは交換留学で日本に住んでたこともある。」 息子さんは27歳ですでに所帯を持ち、ラオパンには2歳になる孫がいました。 「いいわね。もうおじいちゃんだなんて。」 「いいもんか。年とるばっかりだ。まぁ、孫は可愛いけどな。」 私も日本人と分かり、ラオパンの態度は目に見えて柔和になってきました。往々にして中国人と香港人の間には微妙な空気が流れることが多く、日本人なら全く蚊帳の外というわけです。 「NZにはいつ来たんだ?俺は2002年だ。来てからずっとこの仕事をしてるんだ。」 「うちは2004年よ。ずっとこの仕事とはすごいわね。」 「あぁ、もう数えきれない数の台所を造ったぜ。北はファンガレイから南はケンブリッジまで行った。毎日毎日忙しいけど、しゃあねぇ。食ってかなきゃいけねぇから。」 「子どもが独立してるんだから、仕事を減らしてのんびりやったら?奥さんも喜ぶんじゃない?」 息子さんの年齢はまさに一人っ子政策が始まってからの子。一人っ子が独り立ちした夫婦なら、なんとでもなるでしょうに。 「のんびり?とんでもねぇ。俺にはまだ娘がいるんだ。」 「えぇぇぇぇえ?」 ラオパンたちは息子が14歳のときに移住、生活がなんとか軌道に乗り始めたところで娘をもうけ、中国では到底なかわなかった夢を果たしました。娘さんは10歳と9歳の年子で、ラオパンはおじいちゃん業どころか、今でも父親業の真っ最中でした。 「すごいじゃない!」 どう見ても私より年上、奥さんはきっと私と同年輩ぐらいでしょう。何かと不安定だったであろう移住後3年、上の子が成人するタイミング(NZは18歳で成人)の40代で、一から子育てを再開するとは!お互いの夢は違っても、心から称えたい偉業でした。 「しょうがねぇだろ。中国じゃ子どもは1人って決まってんだから。」 筆で掃いたような黒々した眉の下の目がぐっと温和になりました。 「見ろよ。」 差し出されたスマホには、7、8匹の魚が写っていました。川魚と言っていましたが、河口付近で釣れるボラのようでした。 「俺が釣ったんだ。休みはせいぜい週1日だからな。」 と言い、老眼の身らしくスマホを遠くにかざしながら自分の釣果を満足そうに見ています。次の写真はNZによくある4、5部屋はありそうな二階建ての大きなタウンハウス。そのキッチンたるや、まるでショールームのようです(笑) そしてベランダで鉢植えを世話している奥さんの後姿。最後は双子のようにそっくりな愛らしい娘さんたちでした。 (ラオパンが1人で設置したたキャビネット→) 数枚の写真はラオパンの宝物を写し出し、移住後の奮闘を雄弁に物語っていました。 「英語はからきしダメだ。勉強する頭も時間もねぇ。まぁ、子どもが不自由なく話せて、それで仕事して食ってけるんだったらそれでいい。俺は一生このままさ。」 と言いながらタバコの一服が終わり、暗くなり始めた夕方のキッチンに戻っていきました。 =========================================================================== |