「西蘭花通信」Vol.0707 生活編 〜30年目の決心:日本丸〜             2015年2月12日

夜の水辺。辺りには低木が茂り、打ち寄せる水の音がかすかに聞こえてきます。明るい月が出ており、空と水面に映った両方の月が周囲をぼんやりと浮かび上がらせています。影の形で何があるのかがかろうじてわかり、茂みの間には朽ちかけた小さな古い桟橋がありました。不意に誰かがやって来るや、急ぎ足で桟橋を行き、繋いであった小舟の綱を手早く解きました。まるで影絵のようです。

綱を解かれた小舟は永い眠りから覚めたように寄せては返すさざ波に乗り、ゆっくりゆっくりと動き出し、徐々に桟橋を離れて行きました。小舟も桟橋同様に古く、一人で乗るのが精一杯のような小さな木の舟でした。月に照らし出された姿はペンキが剥げ落ち、白く塗られていたのがかろうじてわかるぐらいでした。舟腹には筆書きのようなかすれた文字の跡があるものの、それが漢字らしいという以外、眼を凝らしてもなんと書いてあるのかわかりませんでした。

これが寝ている間の夢だったのか、瞑想中に浮かんだ光景だったのか、今となっては思い出せませんが、2012、13年頃に見たものでした。全体が暗く、はっきりと見えない中、やってきた誰かの素足の甲が月光ではっきりと見え、それが女性だとわかったこと、離れていく舟に文字が見え、眼を凝らして読もうとしたことが、鮮明な印象を残しました。私はただ見ていたのではなく、そこにいて判断し、行動していたのです。

桟橋にやって来たのは「私」でした。素足だったので、足の裏にひび割れ反り返った木の感触がありました。かすれて読めなかった文字が、「日本」だったということもなぜかわかっていました。もっと話を飛躍させれば、桟橋は私の化身で、私は自分の腰に古びた「日本丸」を繋ぎとめておいたのです。この光景を目にするまで全く思いもよらなかったことながら、目にした途端に全てを理解しました。

私は22歳になったばかりの1984年に日本を出ました。表向きは「中国語習得のための台湾留学」でしたが、期限は無期限。「日本には帰らない」という腹は決まっていました。台湾の後、各国を転々とし居場所は頻繁に変わったものの、日本には帰らないという決心は揺ぎないものでした。もちろん、時折親を訪ねてはいましたが、それは「娘としての最小限の務め」と割り切ったものでした。

海外で暮らすうち、いつしか「自分は国際結婚をするんだろう」と思うようになりました。帰国する意思がなく、一生海外で過ごすとなったら、その方が自然に思えました。しかしながら1991年にシンガポールで出会った夫は、意外にも日本人でした。
「日本人との結婚だなんて、大丈夫なの?」
周囲からも心配されましたが、どんな事も大丈夫かどうかは始めてみないことにはわからないはず。気負うことなく、私は軽い気持ちで新生活に乗り出すことにしました。

しかし、結婚直前に一つだけ夫に条件を出しました。
「もしも日本勤務になったり、何かの事情で帰国することになったら一緒に行かない。」
というものでした。夫は当惑を苦笑で誤魔化しながら、
「うちの会社は香港が本社だから日本勤務はないよ。転職でもしたら、まぁ、その時に考えるんだろうな。」
と、曖昧に話の幕を引こうとしました。

私は幕を引こうとする夫の言葉尻をはっしと掴み、
「これだけははっきり言っておくけど、日本勤務になったら別居になると思うわ。別居の時間が長くなるようだったら、まぁ、離婚ってことになるんじゃないかな。」
結婚もしていないのに別居だ、離婚だと、新婚直前の甘々なムードに冷や水を浴びせるどころか、粉々に粉砕するような話でしたが、どうしても明白にしておきたい点でした。夫はそれ以上口を開かず、話は終わりました。

どこまでも平行した対岸のようだった私と日本の関係は、結婚後も大きくは変わりませんでした。「娘としての最小限の務め」のために時折対岸に渡っていたことに、「嫁としての務め」が加わったぐらいで、相変わらず務めが終わればさっさと海外に取って返し、いつもの生活に戻りました。

その後、子どもが生まれ、私と日本の関係は変化を帯びてきました。対岸との間に子どもという中洲ができたのです。「娘として」「嫁として」の務めに加えて、「親として」の務めが生じてきました。「親として」となったら、最大限の務めを果たしたいところ。海外生まれでも日本国籍を持ち、日本人家庭に育つ息子たちのために、私は手綱をぐいと引き寄せ、小さな日本丸を腰に繋いだまま、その後20年近く突っ走ってきました。

(つづく)

===========================================================================
「マヨネーズ」

大変ご無沙汰していました。お待ちいただいた方々にお詫び申し上げます。2015年も1ヶ月以上経ってしまいました。今月誕生日を迎え53歳になり、同じ誕生日の長男・温は21歳になりました。9月入学なので大学もあと1年半を残すばかりです。今月末には次男・善(17歳)もオークランド大学商学部に進み、2人とも大学生になります。

配信を半年もサボってしまった一番の理由は、延々と庭にいたからかもしれません。ここ半年ほど、寄付用の多肉の寄せ植え作りに精を出し、毎週10〜15鉢を寄付するために、常に100鉢近くを管理するようになっていました。(詳しくはコチラでも)それもだいぶ慣れて要領もわかってきた(はずな)ので、これからまた定期配信を心がけます。

遅ればせながら、今年もよろしくお願いいたします。

西蘭みこと 

ホームへ