「西蘭花通信」Vol.0706 生活編 〜ブルースプリング・レポートVol.35:お外で働く人になりたくない〜     2014年8月10日

「ママ、ボク、お外で働く人になりたくない。パパみたいにスーツ着て、オフィスに行くお仕事したいの。」
私に手を引かれ、オークランドの目抜き通りクイーン・ストリートを歩きながら、当時7歳だった次男・善が突然そう言いました。突拍子もない発言に、
「えっ?」
と本人を見ると、善は歩きながら道端に座って休憩中の労働者を盗み見ていました。

世界屈指の金融都市・香港から移住してきた直後の身には、反射材が付いた安全ベストに安全靴の作業員がメインストリートの歩道に座り込み、コーラを片手にパイを食べている姿は、確かに目を引きました。ビルの建設作業員なのか道路工事の作業員なのか、逆に、
「どこでそんなに工事をしているんだろう?」
と思うほどの数に見えました。移住後1、2週間の頃で、小学校3年生には、
「この国はこういう仕事ばかりなんだろうか?」
と、ふと不安になる光景だったようです。

「お外で働く人になりたくないなら、そういうお仕事を選ばなければいいのよ。オフィスのお仕事を選べばいいでしょう?オークランドにだって、たくさんオフィスビルがあるじゃない。あの中でたくさんの人が働いてるのよ。」
と言いつつ見上げると、数階からせいぜい十数階の低い小さなビルばかり。その上に青空が広がっています。30階以上が当たり前、中には5ツ星ホテルだの、ショッピングセンターだのを抱える一大複合施設もあった香港のオフィスビルから比べると、なんとも説得力がなく、思わず苦笑が漏れました。

「オフィスのお仕事がしたかったら、勉強したらいいわ。パソコンもできなきゃダメだし、いろいろなお仕事があるから、いろんなことができる方がいいわよ。一生懸命勉強して、大学にも行って、いろんなことを知っているといいわよ。」
「うん、わかった。ボク、大学行く!」
傍から見れば微笑ましい親子の会話は、テレビドラマのようにあんちょこな善の一大決心で終わりました。

しかし、手をつないでいた私は、
「この子は本気だ!」
と感じました。本人が覚えているかどうかはわかりませんが、多分あの瞬間に善は生涯初めて「大学に行く自分」というものを思い描き、心に決めたのではないかと思います。当時はラグビーにハマりにハマっていたので、翌年になっても、
「将来はオールブラック。それがダメなら日本代表。」
とノー天気に言っていました。しかし、オールブラックと大学を出てスーツで会社に行くことは何ら矛盾することではなく、オフィス勤務はずっと善の心の中にあったようです。
                   (8歳の善。ラグビーが絶好調な頃→)

両親の影響もあってか子どもたちは早くから経済や政治に興味を示し、長男・温(20歳)は経済学部に進み、善もそのつもりのようでした。2007年にアメリカでサブプライム問題が表面化した時、善は10歳になっていました。
「これは大変なことになる!」
と警告する母親にほだされ、2人とも新聞やネットで経済ニュースを読むようになりました。その辺は英語ができることの利点で、海外のニュースも自由に検索して読むことができました。

私は私で、信用(クレジット)という柱がぐらつき始めた経済がどう負のスパイラルに入っていくのかを子どもたちに見せるまたとない機会と捉え、金利、格付け、国債や社債、サブプライムの仕組み、リセッションの意味などを説明しつつ、金融機関や投資家がどこで儲け、どこで躓き、今はどの段階にいて、これからどうなっていく可能性があるのかを小学生の善でもわかるよう、それこそ毎日のように話してみました。

私自身1987年のブラックマンデー、ディーリングルームで実地に経験した1997、8年のアジア通貨危機など、歴史的なクライシスから多くのことを学びました。同時にその時は一巻の終わりに思えても、必ずそこにチャンスの芽が潜んでおり、人類が死に絶えない限り、経済も死にはしないのだということを肝に銘じました。相場は底と天井を繰り返しながら、経済はゾンビのように伸び縮みしつつ、延々と続いていくものなのです。

翌2008年9月のリーマンショック、その後の欧州債務危機と、アメリカの住宅ローン問題という局地的に見えた問題は1年以上の時間をかけて、確実に各国の金融業界、さらに公的資金による金融機関救済に出た国々を巻き込んで、世界的な危機へと広がっていきました。この時間的な長さが問題の規模の大きさと深刻さを反映しており、一生のうちにそう何度も経験できないはずの貴重な経験でした。同時にNZも景気後退に陥っていました。

2009年の年明けから日本で言えば中学生になった善が、
「ママ、スペインのユース・アンエンプロイメント・レート(若年層失業率)が40%になった!」
と、ある日、興奮気味に言ってきました。母親が語る雲を掴むような話が、スペインという遠い国であっても、
「自分と同じ10代も含む若者の約半分に仕事がない」
という報道で、初めてグっと身近に感じられたようです。「お外で働く人になりたくない」と言ってから、5年が経とうとしていました。

(つづく)

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「マヨネーズ」

2009年2月のブログ「さいらん日和」によれば(さすがに正確な年月までは覚えていられないので・・・笑)、 善は奇しくも2008年を最後に4歳から8年続けたラグビーを辞める決心をし、あの年に出会ったアメリカのカードゲーム「マジック・ザ・ギャザリング」にのめり込んで行きました。

あれ以来、ボールを追って闘っていたスポーツ少年は、何時間も座り続けて闘うヲタク青年になり、今は今月のシドニー大会に向けて練習に余念がありません。運動は何もしていませんが、去年から毎日のように10km走るようになり、すでに8kg痩せたそうでなんだかスラっとしています。

西蘭みこと 

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