「西蘭花通信」Vol.0688  スピリチュアル編 〜夢日記:夢かうつつか〜       2014年5月31日

すーっと吸い寄せられるように建物に近づくと、古い洋風な木造の「家」に不釣合いな、ガラスの自動ドアが建物の内側に向かって開き、「私」はまっすぐ泳ぐように、吸い込まれるように家の中に入りました。ホッとした瞬間にふわっと浮き上がるような感覚を覚え、その瞬間に目覚まし時計が鳴りました。

つい先日の朝の出来事でした。初めて夢と現実がシームレスにつながった、夢かうつつか判然としない体験をしました。まるで私の体内時計が目覚ましの時間を知っていて、幽体離脱していたスピリットがオンタイムに身体に戻ったかのようです。さらに厳密に言えば、目覚ましが鳴る一瞬前に私は目を開けており、時計の文字盤が見えなかったにもかかわらず、音が鳴り出すのを知っているかのように目覚ましを見ていました。

「家」は住んでいる家に似ていましたが、外壁が白い横木を重ねたウェザーボードと呼ばれるもので、我が家ではありませんでした。玄関から真っ直ぐに伸びる廊下、その横が仕事部屋になっている造りは我が家の通りで、夢の中の「もう1人の私」は仕事部屋の自分の机から、玄関ドアではなくガラスの自動ドアからすーっと水平に、つまり宙に浮いた状態で両手を後ろに伸ばし、髪の毛さえも後ろになびかせながら「私」が入って来るのを見ていました。まるで、自分が帰ってくるのを知っているかのようでした。

壁が違っても「家」はこの家であり、かつ私の「身体」の象徴だった気がします。眠っている間の大冒険(この話は以前のメルマガ〜夢日記番外編:眠っている間の大冒険〜でどうぞ)に出たスピリットが、私が目覚める時間ギリギリに帰ってきたのでしょう。その辺の「帰らなくちゃ、帰らなくちゃ」というスピリットながらの必死の思いは、今までの夢の中で何度も経験しています。


「早く夫のところに帰らなきゃ!」
と、私は本来の目的を思い出し焦り始めました。 次のシーンでは、私と「誰か」はグングン空を飛んでいました。両膝をお腹にくっつけるように身体を丸めてから脚を思い切り後に蹴り出すと、面白いように前に進みました。
「なんだー。こんな方法があったんだー。早く言ってよねー!」
と誰にともなく言いながら、私たちは伸びたり縮んだりしながら真っ青ななんの目印もない空の中、家路を急ぎました。夫が起きる気配で目を覚まし、
「戻ってたんだ!」
と思ったぐらいなので、その直前まで夢を見ていたのでしょう。(〜夢日記:座敷童子〜より)


この夢を見たのは2年前で、あの時は「両膝をお腹にくっつけるように身体を丸めてから脚を思い切り後に蹴り出す」と言っているので、数日前のように「すーっと吸い寄せられるように建物に近づく」ほどスムーズに移動できるようになったのは、我がスピリット、かなり上達したようです(笑) それだけ毎晩毎晩、あちこちほっつき歩いているのでしょうか?
「まるで猫だなー」
と思うそばから、そういえば猫ドアと夢に出てきたガラスのドアは似ています。透明なものがスっと開いて、瞬間に家に入れるところは一緒です。うーん、猫と暮らして学んだのか?

夢かうつつか判然としない、目覚めたときに、「本当にそこにいて、この経験をした」と実感できるような、やたらに映像が鮮明で、話としても往々に脈絡のある夢を見るようになったのは、東日本大震災がきっかけだったように思います。直接経験していなくても、あの衝撃の出来事は私の中の何かを目覚めさせたようです。地震の後に赤い大きなリュックを背負った東南アジア系の男性を助ける夢を見たのが、その最初でした。

男性は黒いズボンを履き、身長が180cmはありそうなすらりとした人でした。会話をしていた記憶がないのですが、なんとなく「シンガポール人の旅行者かな?」と思いました。不慣れな外国で被災し、地理も言葉もわからず困っているのを「私」が見つけ、誘導しようとしていました。彼は神妙な表情をしていましたが、「落ち着いている」と感じました。

私たちは津波で水が引いた後の瓦礫の間を、大勢の人たちと一緒に移動していました。雪かきをした後のように道らしいものができていましたが、元々の道ではなく、いろいろなものが水平に重なり合った無数の層でできた、垂直の壁の間を進んでいました。みんなが一方向に歩いている訳ではなく、行く人もあれば戻る人もありました。人数の割りには辺りはしんとしており、みなうつむきがちに黙々と歩いていました。

「私」は、
「こっち、こっち。」
と何度も何度も男性を振り返っては誘導していました。その度に男性は顔を挙げ、相変わらず神妙な表情で前を見るものの、「私」を見ているわけではありませんでした。そのうち私たちは、運動会の招待席のように小さなテントを張り、積み上げた段ボールに白い布をかぶせて机代わりにした受付のある、外国人支援カウンターを出している人たちのところに着きました。中国語が耳に入り、ハングルの表示が見え、
「もう大丈夫。」
と思ったところで夢が終わりました。

(つづく)

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「マヨネーズ」

10年前の今日5月31日にNZへの移住認可が下りました。翌年の5月31日には永住権を取得しました。同じ日になったのは偶然ですが、私たちには一生忘れられないダブル記念日になりました。

そんな今日は、夫はラグビーのレフリーへ。私はボランティア先のチャリティーショップの助っ人へ。NZへの感謝が愛着に変りつつあるのを感じる今日この頃です。10年前の当日の話は〜第7天国・第9積雲〜でどうぞ。

西蘭みこと 

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