「西蘭花通信」Vol.0685  スピリチュアル編 〜子どもがほしかったらヒルトンに行け:バンコクの女神〜    2014年5月24日

「みことって、子どもがほしかったの?」
電話の向こうの声は明らかに驚き、半ば呆れたようでした。結婚して丸2年、31歳になっていた1993年2月。奇しくも日本産婦人科学会はその年まで長い間、30歳以上の初産を高齢出産と定義しており、個人的にも早く子どもがほしかった私は、すでに不妊治療医のドアを叩いていました。結果は、
「あなたには問題がない。次回はご主人と一緒に来るように。」
といもので、話はそこで頓挫していました。当時27歳だった夫が一緒の来る訳がありませんでした。

電話の相手はバンコクの地場系証券会社の営業担当でした。当時の私はシンガポールでアジア株のディーラーをしており、タイ株の売買ではよく彼女のところを使っていました。私よりかなり年上の40代だったと思われる彼女は口八丁手八丁のやり手で、英語も達者だったため、大手外資系ファンドマネージャーとも手広く取引をしていました。

20年前のアジア株市場ときたら、まさに何でもありの魑魅魍魎、跳梁跋扈な世界でした。毎朝寄り付き前に彼女と相場の話をしながら、
「ねぇ、それってインサイダー情報よね?」
と思わず確認してしまうような話が、山のようにありました。
「こういう話はね、客にはにしなくていいのよ。自分だけが知ってればいいんだから。」
「私って客じゃないの?」
と、ついツっこみそうになりました(笑)

「うちで口座を開きなさいよ、みこと。絶対バレないようにやってあげるから。タイに遊びに来た時に、バーツ貯金があったらいいでしょ?ゴールドマンのファンマネだってモルスタのファンマネだって、みんなうちに口座があるのよ。」
と、何度誘われたことか。彼女が事情を知る、仕手筋が入っているような値上がり確実銘柄のデイトレにちょこちょこ参戦し、自分の仮名口座に儲けが貯まっていくというシナリオです。

「バーツ貯金?家買ったばかりだから、シンガポールドル貯金すらないのよ。」
とかわしつつ、個人的には非常に仲良くし、仕事は仕事で頼りにし、どこをつつかれても痛くないよう明々白々にきっちりやっていました。そんな俗物的な彼女ながら、そこそこ霊性は高かったのか、前回のメルマガ〜90cm上の世界〜で触れたように、香港の高級ホテルのエレベーターに同乗する霊たちをしっかり感知していました。

「子どもなんて面倒臭いじゃない。ほんとにほしいの?だったらヒルトンに行きなさいよ。」
「ヒルトン?」
「ヒルトン・ホテルよ?」
「えぇぇぇえ?」
相場の話から大いに脱線した、今で言えば妊活談義は明後日の方角にかっ飛んで行きました。ホテル内にクリニックでもあって著名な産婦人科医でもいるのかと思いきや、とんでもない話でした。

バンコクのヒルトン・ホテルの敷地内に、子宝が授かると霊験あらたかな廟があるというのです。彼女の口ぶりたるや、
「風邪引いた?だったら布団引っかぶってとっとと寝なさいよ!」
と言わんばかりの勢いで、
「子どもがほしい?だったらとっととヒルトンに行きなさいよ!」
というものでした。これまた驚いたような呆れたような響きで、
「そんなことも知らないの?」
と言われたのも同然の響きでした。

「これってシンガポール在住の日本人でも知ってないとイケナイ事?世の常識?」
と、電話のこちらで苦笑しつつも、彼女の言葉になおも耳を傾けると、
「女の神様で嫉妬深いから、ダンナと一緒に行かないで独りでお参りするのよ。その後、半年以内に妊娠するから。あっ、電話だわ。」
ガチャっと唐突に電話が切れました。

バンコクのヒルトン・ホテル???
頭の中をハテナマークでいっぱいにしながらも、運命を感じていました。ちょうど、夫に香港への転勤命令が出たところで、私は4月末に退職するため、翌月の3月にはお世話になっていたマレーシアやタイの取引先に挨拶に行くことになっていました。思いもかけない話を聞いてから確か3週間ほどで、私は本当にバンコクに飛んでいました。

奇遇ながら、ヒルトン・ホテルのスポーツクラブのメンバーだった彼女とはホテルで落ち合いました。現われたのはこれまた思いがけない、スコート姿の彼女でした。
「私はシャワーを浴びに行くから、その間にお参りしてきなさいよ。」
とあっさり言われました。その後は一緒に食事に行く予定でした。
「えっ?私1人で行くの?」
「当たり前でしょ。一緒に行って私が妊娠したらどうするのよ?私は子どもが嫌いなんだから。」  
(こんな姿に出会えるのならばお参りぐらいお安い御用→)

「えぇぇぇえ!あなたがまだ妊娠するの?」
という咄嗟に浮かんだ余計な考えを蹴散らしつつ、
「どこに行けばいいの?」
と心細く訪ねると、
「裏庭よ。ずっと裏に行くの。行けばわかるわ。わからなかったらホテルの人をつかまえて聞きなさい。じゃ、あとでロビーで。」
と言い残すと、彼女はとっとと行ってしまいました。

(つづく)

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「マヨネーズ」

ずっと「自分は晩婚で子どもを持つのも遅かった」と思っていました。大学時代の結婚した友だちは20代で母になり、社会に出てからも同年代の友人は私よりも後から結婚した場合は子どもを持たなかったり、独身で通していたので、なんとなく「自分が最後」と思っていました。

ところが、ほんの数年で事態はがらりと変わりました。2、3歳年下の友人や同僚が35歳を超えてもばんばん子どもを生みはじめ、40代の初産も出てきました。日本産婦人科学会の高齢出産の定義も、私の頃の30歳から今や40歳。妊活なる言葉も出てきて、たったの20年で隔世の感です。

西蘭みこと 

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