「西蘭花通信」Vol.0683  生活編 〜新日本紀行〜                    2014年5月17日

新日本紀行は、昭和生まれには懐かしい番組ではないでしょうか?検索してみたら1963年から1982年まで続いたそうで、1962年に生まれ1984年に海外へ出た私の、日本での時間とほぼ重なります。和でもありモダンでもあり、懐かしいのに洗練されたテーマソングは、合間合間に入る拍子木の音が静かな谷間に響き渡るようで、耳にするだけで行ったこともないどこぞの山里が瞼の奥に広がるようでした。

先月、約3年ぶりに訪れた日本。
「これは私の新日本紀行かもしれない。」
と思いました。そう思うまでに日本を出てちょうど30年が経っていたこともまた、感慨深いものがありました。私には物心ついた頃から海外志向があり、
「いつかはどこかへ。」
と漠然と考えていました。

大学1年のときにひょんなことから中国旅行に誘われて以来、私の思考もアルバイトで貯めたわずかばかりの資金も全て海外に向けられ、日本への興味は削除ボタンを押してしまったかのように、きれいさっぱりなくなってしまいました。

大学を出ると当然のごとく日本を後にし、今に至ります。その間、何度も日本には行っていますが、考えてみるとその全てに目的がありました。一番の目的は里帰りです。私と両親の関係は非常に希薄で、私が帰国しない限り一生会うこともなく、連絡を取り合うこともほぼない状態でした。娘としての義務感から、体裁でも親子としての最低ラインを維持するために、私は時折帰っていました。

結婚して子どもが生まれると、今度は別の目的が生まれました。嫁としての新たな義務感と、子どもたちにできるだけ日本を見せ、自分のルーツを知らしめ、海外生まれとして将来アイデンティティー・クライシスに陥らないようにという親としての義務感から、私は家族とともにたびたび帰国するようになりました。

こうしてみると目的と義務感は表裏一体で、そこには自分というものが挟まっていませんでした。NZに移住するまでは勤め人だったため、正直な話、1年に20日あるかないかの貴重な有給休暇は里帰りよりも、どこかのリゾートのプールサイドでお気に入りの本でも片手に日がな一日まどろんでいたい方でした。自分でも苦笑してしまうほど、私には郷愁というものがなく、日本は用がない限り行きたい場所ではありませんでした。

義務感に支配された滞在はたくさんの日程を詰め込んだものとなり、いつ行っても大変慌しく、予定が白紙のままのリゾートのホリデーとは対極にありました。今思えば、仕事以上に気が休まることがない滞在で、貴重な休暇を使ってしまった元でも取り返そうとするように、
「あれをしよう、これをしよう」
「あの人に会っておこう」
「あそこにも行っておこう」
と予定を作り、その時々の子どもたちの"耐用可能"時間と距離を目いっぱい使っては、予定を片端から遂行し、滞在が終わる日を指折り数えていました。

今回の里帰りで、
「これは私の新日本紀行かもしれない。」
と感じた一番の理由は、旅行者として各地を回っていることに気づいたからです。私の実家からはかれこれ10年前から、夫の実家の方からも今回から宿泊を断られた結果、15泊全てがホテル泊という滞在となり、沖縄から始まった旅程は、名古屋、伊勢、高山、白川郷、東京方面、再び名古屋という完全な移動型になりました。

両家の実家には立ち寄ることもなく、それぞれの親と外食の機会を持つにとどまりました。名古屋では名大に通う長男・温(20歳)と1年半ぶりに再会し、しっかりと自立した大人になっていることに深い感銘を覚えました。
「もうどんなことがあっても、この子は1人でやっていけるな。」
という実感は重い荷物を背中から下ろすようでもあり、一抹の寂しさを感じるものでもありながら、親としては無上の喜びでもありました。

こうして私は日本に対して背負っていた、娘として、嫁として、親としての義務感から解放されたことに気づきました。もちろん、これから先、親や子どもに何が起きるかは予見できませんが、それはある意味でお互いさまでしょう。各地を転々と回った日々は私にとり、まさに日本との新しい「出会い」でした。誰のためでもなく、自分のために見聞する日本が目の前に広がっていたのです。

今までは「子どものために」と実家に近い伊豆・箱根はもちろん、修学旅行で行くような奈良・京都をはじめ、関西、山陰山陽、信州などを周ってきましたが、なぜか伊勢以外、特に「もう1度来たい」と思う場所には巡り合えませんでした。しかし、今回初めて訪問した沖縄は深く深く心に染み入る場所でした。
「もっと早く知っておきたかった。」
と初めて思った日本でもありました。飛騨もまた素晴らしくいつか再訪したいです。

(「ちゅらさん」の撮影場所になったお宅だそうです→
ドラマを観たことがないので誰のかはわかりませんが・・・・)


そうは言っても、両親が健在なうちは日本行きが里帰りであることには違いありません。いつの日か彼らが他界し、長男ももっと広い世界に飛び立って行ったときに、
「果たして自分は旅行目的で、日本に行くだろうか?」
という興味深い疑問に行き当たりました。その答えは今のところ皆目見当もつかず、「その時」になってみないとわからない、と感じました。私の新日本紀行、いつまで、どこまで続くことか?

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「マヨネーズ」

「家族の問題がなければ、明日からでも日本に帰って暮らしたい。」
という人もいれば、
「永住しているなんて羨ましい。どこでもいいから日本を出たい。」
という人もいて、人それぞれ。
要は、
「どこにいる自分が幸せか?」
なんでしょうね。

西蘭みこと 

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