「西蘭花通信」Vol.0678  NZ編 〜ライフ・イン・GBI:オージー・ハリー〜   2014年3月29日

「僕らはメルボルンで幸せに暮らしてた。僕は大手小売チェーンのマーケティングをやってて、ヨメさんはウェブデザインの会社にいて、お互い本当に忙しかった。子どもは娘1人と息子2人。ここに来るまで長靴も履いたことがない都会っ子だった。」
職種は違っても、私たちも似たり寄ったりでした。コンクリートジャングルで育った息子たちが幼いとき、土と砂の違いをわかっていないのを知り愕然としたこともありました。

ハリーの会社は有名な上場企業で、競合他社との熾烈な競争が続いていました。目標を達成したとたん、
「じゃ、次はここから20%増」
とあっさりゴールが書き換えられ、永遠に終わりが来ないラットレース。出世しても昇給してもプレッシャーがキツくなるばかりで、心身ともに余裕がなくなっていきました。その間も子どもたちはどんどん育っていき、
「このままじゃいけない!」
と切実に思ったとき、奥さんの提案でグレートバリア島(GBI)の休暇に来たそうです。

「ヨメさんはエコとかオーガニックとかそういうのに詳しくて、ここを選んだみたいだけど、僕は携帯とメールから解放されるならどこでもよかったんだ。」
オークランドは飛行機を乗り換えただけで、まっすぐこの島にやってきたそうです。
「子どもたちが退屈するかと思ったら、毎日毎日目を輝かせて活き活きと遊び回ってたよ。僕たち夫婦もそれまで経験したことがないほどリラックスできて、あの2週間で移住を決めたんだ。」

一家はその後も年に2回下見を兼ねて島を訪れ、貯金をしたり家を売却したりして準備を進めました。
「6回目に来た時は片道切符だった。」
その一言に自分たちが移住した時の光景が蘇ってきました。私たちも移住を決心した旅行から2回の下見を経て、4回目は片道切符でした。彼の言葉で移住の原点を思い出しました。自分を見失いそうになるほどの忙しさ、子ども、家族―――手にしていた、恵まれていると信じていた生活を手放す勇気があるかどうか。手放さないことには、「次」もありませんでした。

「最初は仕事もなくて、友だちの頼まれ仕事をしたり、ヨメさんがフリーランスで仕事をしたりしてたけど、半年で今の会社に採用されたんだ。」
ハリーは物流会社に職を得て、積荷、トラック、運転手の手配から営業まで何でもやっていました。
「人間、必要なら学ぶさ。ビジネスの規模も前とは比べられないほど小さいしね。」
と笑いました。

「900人しかいない島だろ?仕事を始めるとすぐに名前が知られるようになった。」
「ポート・フィッツロイとかの人にも知られてる?」
フィッツロイ港は話していたカフェから山道を超え4、50分かかる場所でした。
「あぁ。僕を知らないトラック運転手はいないからね。会ったことはなくても、オージー(オーストラリア人)・ハリーって言えば、誰のことかわかるよ。」
なるほど、ダーティー・ハリーならぬ、オージー・ハリー!
「この島にはプライバシーなんてないんだ。誰がどこにいて、どんな仕事をしていて、いくらぐらい稼いでるっていうのはみんな知ってる。」

生活はすぐに軌道に乗り、子どもたちも学校や島の生活に馴染み、家族5人はいつも一緒で、思い描いていたとおりの移住生活が始まりました。しかし、そんな生活は長く続きませんでした。
「2年前に娘がプライマリースクールを終えたんだ。」
NZの学制は一般的に8年間のプライマリースクール、5年間のセカンダリスクールに分かれ、日本の感覚で言えば、プライマリーが小学校、セカンダリーが中高一貫校でしょう。

「そうそう、それも聞いてみたかったのよ。プライマリースクールは3校見たけど、セカンダリースクールはどこにあるの?」
「島にはないんだ。」
「えっ!?じゃ、プライマリーの後は?」
「ホームスクールかボーディング(寄宿)だ。ボーディングに行かなかったら、普通はそこで学業はおしまいだ。」
ホームスクールと言えば聞こえがいいものの、親も小学校しか出ていなかったら、教育省から教材が届いても何をどう教えればいいのか?たったの13歳で学業終了?16歳までは義務教育のはずなのに?           
(フィッツロイ港に近いオキウイ小学校。手前のバンはスクールバスでしょう→)

進学する子どもたちは、島の南に位置するコロマンデル半島のフィティアンガの学校に通うことが多く、周辺のホストファミリーの家に寄宿するそうです。この辺は留学生と全く同じです。
「13歳の娘が出て行くなんて辛かったでしょう?18歳の息子を送り出しても本当に寂しかったもの。」
「ヨメさんの落ち込みは見てても気の毒だった。1度出たらもう一緒に暮らすことはないからね。それだけはこの島の暮らしの辛いところだ。息子たちもあっと言う間に出て行って、じきに夫婦だけになる。」

終始朗らかだったオージー・ハリーがふと神妙な表情になった瞬間でした。5人家族から夫婦2人への落差は大きいでしょう。しかも小学校を終えたときに子離れが来るとは!しかし、西洋社会にあって家を出た子どもが親元に戻ってくるということは、健康を害したとか結婚に失敗したなどよほどのことがない限り、まずありません。離婚で実家に帰るのさえ、かなり少数派です。しかし、親として子どもの成長を願うのであれば、自立こそがゴールです。その辺はお互い言わずもがな。ちょうど夫の仕事も一段落し、私たちは親として、移民として、がっちり握手を交わして別れました。

(つづく)

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「マヨネーズ」

オージー・ハリーには等身大のモデルが居ますが、出てくるエピソードは他の人から聞いたものも含みます。なにせ狭い社会、仮名ぐらいだったらすぐに身元が割れそうです(笑)他にもいろいろ面白い話を聞き、あっという間にGBI耳年増(笑)

西蘭みこと 

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