「西蘭花通信」Vol.0677  生活編 〜17年前〜                              2014年3月27日

「じゃ、行ってくるから。」
私は旅行カバンを手にかなり気軽に家を出ました。夫にクルマで送ってもらい、着いたのは家からすぐそばの丘の中腹に立つ私立病院。朝の比較的早い時間で、通された病室は二人部屋。しかし、ベッドをもう一つ入れれば三人部屋にもなる大きさだったので、かなりゆったりとしています。ベッド周りのカーテンを閉めてしまえば、十分なプライバシーもありました。

若い看護師が車椅子を押して来てくれましたが、笑って断りました。ここまで歩いて来たのに、急に車椅子に乗って「そこのけそこのけ」と廊下の真ん中を行くのは気が引けました。看護師と夫に付き添われ、おしゃべりをしながらエレベータに乗りました。エレベーターの扉が開き、
「さぁ、行くか!」
軽く気合を入れて向かったのは、産室。

17年前の今日、次男・善はこんな風にこの世に誕生しました。長男・温(20歳)もその3年前に同じ香港の病院、同じ産婦人科医のもと、同じく帝王切開で出産していました。2回目はどういう展開になるのか見通せ、すべては予定どおりで、私は非常にリラックスしていました。男の子であることも、名前もはっきりしていたので、
「やっと会えるね、善クン!」
と、ウキウキした気持ちでいっぱいでした。そして間違いなく生涯最後となるであろう、大きなお腹の妊婦生活の終わりに小さくほっとしていました。

更衣室で渡されたペラペラの手術着に着替え、指示されたとおりに手術台に横たわりました。頭の上には映画で見るような、電球がたくさん付いた丸いライトが煌々と点り、周りでは何人もの看護師が忙しそうに準備をしています。すぐ右手のベッドと同じぐらいの高さの台には、清潔そうな白い布の上にいろいろな大きさや形のメスがズラリと並んでいます。その数ときたら30本ぐらいだったでしょうか?
「これを全部使うの?人のお腹だと思って(笑)」
物珍しさから見える範囲でキョロキョロしていました。

部屋はペラペラの手術着でも寒さを感じない適温に保たれ、かすかな音量でポップな曲が流れていました。それに合わせて若い男性の看護師がリズミカルに、左から順にメスをチェックしています。何本か持ち上げ切れ味でも試すようにライトにかざし、その度にメスが光を浴びてキラリと光りました。

不意に顔の上に目出し帽を被った男性が現われ、
「ハロー」
と声をかけてきました。目出し帽に見えただけで、実際は帽子とマスクの隙間の目だけが見えたのです。その目にもメガネだったか、手術用のゴーグルだったかが掛かっていました。麻酔医でした。前回同様、自分の名前、医師の名前、身長、体重などを聞かれ、手にした紙ばさみと照らし合わせています。私が緊張しないよう、ずっと軽いおしゃべりが続き、
「では数を数えます、1、2、3・・・・」

目覚めたときは自分の病室でした。どれぐらいの時間が経ったのか、ずい分長い時間が経過したように感じました。温の時は手術室からストレッチャーで出る時に軽く意識が戻り、「終わったんだ」と、うとうとしながらも思ったものですが、善の時はそうはなりませんでした。息子たちは1ヶ月早く出産したため体重2,500g台と小さく、善も温と同様に保育器に入れられ部屋にはいませんでした。夫が付き添ってくれていました。

温のときはたかだか20分で終わってしまった手術が、善のときは非常に長くかかったのが気になっていました。何度か夫に聞いてみたものの、
「よく覚えてない」
という返事でした。
「同じ帝王切開でもそんなに違うんだろうか?」
漠然と思っていました。事実は移住後、つまり出産から何年も経ってから、初めて夫から知らされました。

善を取り上げた後、親子である執刀医2人が計器を見ながら腕を組み、それを取り囲むように他の人の動きが止まり、手術が中断してしまいました。ガラス越しに見ていた夫には何が起きたのかわからず驚いていると、医師の1人が出てきて、
「血圧が異常に高くて閉腹手術ができない。」
と告げられました。その後も全員が血圧計を見ながら待ち続け、
「オレもこの歳で、子ども2人連れてヤモメかぁ。」
「ジーナ(一生の恩人の住み込みのフィリピン人家政婦)と4人暮らしかぁ。」
夫はそこまで覚悟したそうです。

幸い血圧が下がってきたタイミングを見計らい一気に閉腹し、眠り続けていた私は病室で目を覚ましました。夫には相当ショックな体験だったようで、詳しいことについては、やはり、
「よく覚えてない」
と言うばかり。本当に頭の中が真っ白になっていて、記憶がないようです。

「善が17歳になったということは、あの日から17年経ったのか。」
今朝ふと思いました。今までは子どもの成長ばかりに気をとられていましたが、同じ時間を自分もまた生きてきたのだと、線路のように2本並んで続いていく人生をやっと思い描けるようになりました。夫がヤモメになることなく、子どもも元気に育ち、自分も家族もこうして健やかに過ごしていられることを、しみじみと幸せに思います。

善クン、おめでとう!
       (こんな頃もありました。移住後1年、8歳→)

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「マヨネーズ」

3月27日という誕生日は私が決めました。私と温の誕生日が2月7日、夫の誕生日が2月23日。家族全員の誕生日の数字が2、3、7に納まっているので、善の誕生日もそうなるようにこの3つの数字から選びました。また翌日から復活祭の連休が始まるタイミングで、夫がまとまった休みを取りやすかったのも好都合でした。

西蘭みこと 

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