「西蘭花通信」Vol.0660  スピリチュアル編 〜50代の宿題4:記憶〜         2014年2月6日

横浜の中心部にあった私の生家は、母の兄一家が祖母と住む大きな母屋の敷地内に建てられた小さな離れでした。寝室を囲むように回り廊下があり、一番奥にトイレがありました。寝室には押入れがあり、親子で川の字になり、奥から廊下に向かって父、母、私の順番で寝ていました。部屋の2面はぐるりと障子で、開けると廊下の向こうに庭が見えました。

寝室の隣に小さな部屋があり、その隣は玄関でした。玄関はたたきからの段差があり、小さかった私が利用することはなく、仕事から帰った父を迎えるだけの場所でした。玄関から直角に延びた部分が居間で食事もそこでしていました。さらに延びた場所に小さな台所があり、外の軒下のような場所に洗濯機がありました。50年も前の話ですから脱水機はなく、2つのローラの間に服を挟み、母が手動でローラーを回しては絞っていました。

家は「くの字」型で内側には庭が広がり、コスモスが咲いていたのを覚えています。敷地は道から下がった場所にあり、子どもの記憶ではかなり高い場所を人が歩いたりクルマが走ったりしていたように思いますが、地形を考えるとたいした高低差ではなかったようです。3歳下の妹が生まれ、4歳の時に親が横浜の外れ、鎌倉のすぐ近くに今の実家を購入するまで、私はこの家で育ちました。
(いずれこの連載で明らかになっていくことでしょうが、横浜は記憶から消去されてしまったようにほとんど思い出がなく、訪ねたい場所でもありません。鎌倉は昔も今も好きな場所で愛着があります。大銀杏倒壊直前の鶴岡八幡宮→)

生涯最初の記憶は1、2歳の時のものでした。居間の高い所に置いてあったテレビをぼんやり眺めていると、
「あら、偉いわね。1人で起っきしたの?」
という声が台所か洗濯機の方からして、母が居間に入ってきました。昼寝ではなく、多分朝寝をしていた私は目が覚めると1人で廊下を歩いて居間に来ました。テレビには木彫りを模した観音扉が付いており、扉は閉まったままで、もちろんテレビは点いていませんでした。

1人で起きたことを褒められるぐらいですから、相当小さい頃のことだったと思います。私はぼうっとしたまま非常にニュートラルでした。母に褒められたからといって特に嬉しかったわけでも、何か不安があったわけでもなく、昼間の明るさと家の中の静かさが印象に残っています。生まれて最初の記憶が母に褒められるものであったことは、その後の人生を考えると非常に皮肉ながら、幸いでした。

次の記憶は多分同じ年頃のもので、母屋に住む母の兄一家と一緒に遊園地に行ったときのものでした。年子だった従姉妹たちは私より7、8歳かもっと年上で、すでに学校に通っていました。私はあまりにも小さくほとんどの乗り物に乗ることができず、従姉妹が次々にいろいろな乗り物に乗っているのを下から見上げては大泣きし、周りの大人たちが私を見下ろしながら笑っているのが、ますます腹立たしかったのをぼんやりと覚えています。

その帰り道だったと思われる、さらにはっきりとした記憶があります。私は緑のフェルト地にところどころ立体的なフェルトの花がついた一張羅のスカートをはいており、小さいながらも普段とは全く違うおしゃれ着、緑と花の鮮やかなコントラスト、表面がモヘアになった厚地のフェルト地が非常に気に入って、歩きながらもスカートにくっついた花をうっとりと見ていました。

ちょうど駅から家に帰るまでの登り坂の道で、私は右手を父に、左手を誰かに取られながらほとんど万歳状態でスカートを見つめながら歩いていました。手が真っ直ぐ上に伸びていたので、本当に小さかったと思われます。その頃は大人が両腕を引っ張り上げては、ブラブラと揺らして遊ばせてくれたものでした。手を引かれるというよりも、2人の手にぶら下がっていたようなもので、私はお気に入りのスカートを見つめながら歩いていました。登り坂のせいか、歩くたびにスカートが目の前に近づいてくるように感じました。

その時、左手がすぽっと抜け、私は坂道で転んでしまいました。膝をしたたか打ち、驚くやら、痛いやら、自慢のスカートが汚れまいかと心配やらで、それはそれは大声で泣いたものでした。その時も周りの大人は私を見て笑っていました。スカートの件はすっかり忘れていましたが、大きくなってから子供時代のアルバムを見たときにそのスカートを目にし、白黒写真ながらあの緑と赤やクリーム色の花がはっきりと思い出されたものでした。

私は左側にいた人が誰なのか、ずっとわからずにいました。女性でしたが母ではありませんでした。伯母でも祖母でもなく、子どもだった従姉妹たちでもないことはわかっていました。後年、多分成人してから、それが誰だったのか偶然知りました。父は9人兄弟の次男で家業を継ぐ必要がなかったため、鹿児島の高校を出るや上京し、都の職員をしながら夜学で大学に通った人でした。

私の手を引いていたのは父の下から2番目の妹、私にとっては叔母に当たる人でした。高校を卒業して上京し、ほんの短い間生家に居候していたのだそうです。私には叔母の記憶が全くありませんが、玄関の隣の小さな部屋に寝泊りしていたそうです。その話を聞き、あの坂道で私の手を引いていたのは叔母だったと気付きました。両親も叔母本人も覚えていないことでしょうが、私はなぜかスカートの記憶とともに、「見知らぬ誰か」を覚えていました。

(不定期でつづく)

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「マヨネーズ」

前回〜50代の宿題3:柿〜を配信して、1年ぶりだったことに気付き猛反省。1年未満の読者の方には「??」だったことでしょう、スミマセン。これは50代をかけて私の幼少期を振り返りながら、移住にまでつながる来し方と行く末を描く不定期連載です。

西蘭みこと 

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