「西蘭花通信」Vol.0659 スピリチュアル編 〜50代の宿題3:柿〜
2014年2月2日号 ボランティアを終えて仲間2人とカフェでランチをしている時、バナナの話になりました。71歳の1人が、 「昔のバナナはおいしかったのよ。サモアだかフィージーだか南太平洋の島から来てて、小さいけれど香りが強くてねぇ。それが今じゃ、エクアドル産ばっかり。甘いけど風味はないわよねぇ?」 と、もう1人の75歳に同意を求めました。 「私バナナは食べないの。」 「えぇぇぇえ!」 この返答にはそれまで聞き手だった私まで、思わず声を上げてしまいました。確かNZ統計局の調査で、キウイの最も好きなフルーツはバナナだったはず。スーパーの宣伝でも目玉商品がバナナという週が苦笑してしまうほど多いので、この返事は意外でした。71歳も驚いて、 「どうして?」 と聞いています。 「小さい頃は食べてたのよ。その頃からあまり好きではなかったけれど、母は子どもに食べさせたがってたの。その頃のバナナは高かったから、『食べろ食べろ』と言われているうちに、本当に嫌いになってね。食べられなくなってしまったの。」 70年近く経っている今でも全く口にせず、ごくたまにバナナケーキを食べるぐらいだそうです。 「そういうことなら、私もマーマレードを食べないわね。」 と71歳が話を引き継ぎました。 「昔はどこの家でもマーマレードを作ってたじゃない?母もたくさん作っていて毎朝朝食のテーブルに出たけど、私はあのほろ苦さがダメでねぇ。ジャムが食べたくて仕方なかったわ。家を出て好きなだけイチゴジャムを買ったり、作ったりできたときは幸せだったわ。」 三つ子の魂百までも。食べ物という生きていく上での基本的な選択で、「強要された」(と本人たちが感じた)経験が半世紀以上経っても、強い拒否感として残っているのです。私にも全く同じ思い出があります。私の場合は柿でした。母が庭で育てていた富有柿は毎年大きな甘い実をつけ、母はこの柿の木を大切にし、たいそう自慢していました。 小さい頃の私も75歳の仲間のバナナ同様、柿は好物ではありませんでした。果物と言わず好き嫌いは全くと言っていいほどないので、数少ない苦手な食べ物でした。毎年秋になると母が恭しく柿を切り分け、これがいかに甘くて素晴らしいか、あげた人にどれだけ褒められたかを話し、家族はそれを聞きながらまるで儀式のように食べたものでした。 自我が目覚めてくる年齢になると、親に従って好きでもない物、特に食事の一部ではない物を食べることに負担を感じ始めました。たくさん実がなる木ではなく、貴重な物だということもわかっていたので、好物にしている母が食べたらいいと思い、 「私はいいからお母さんが食べたら。」 と言ってみました。この一言が母の逆鱗に触れてしまいました。 「こんなに美味しいものを食べないだなんて、本当にあなたは変わってる。ご近所も職場もみんな美味しいと言うのに、どうしてあなただけそれがわからないの?」 その後も説教が続き、穴を掘って堆肥を埋め、いかに丹精してこの味、この大きさになっているのか懇々と諭されました。母の世話を目にし、本人からも聞かされていたので、私はもちろん知っていました。だからこそ母に譲ったつもりが、とんでもないことになってしまいました。 たった数個の柿を家族で分け合って食べる儀式はお通夜と変わり、父と妹は無言で食べ終え、母は私に説教を続け、私はただ座って母が口をつぐむのを待っていました。 「こんなに美味しいものをいらないだなんて、ラッキー!」 と言ってその場をつくろう雰囲気は、実家には全くありませんでした。誰も手をつけない私の分が皿に残り、その場を立ち去りたい私は黙ってそれを口にしました。生々しいオレンジの色、口の中に広がるぬめり感。元々苦手だった感覚が増幅され、ぞっとする嫌悪感を飲み込んで部屋に戻りました。 「全くあの子は変わってる。何を考えているのかさっぱりわからない。誰に似てしまったんだか。」 母が私にも聞こえるように父にぼやく声が追いかけてきます。それもまたいつものことでした。そのぼやきは柿の一件だけでなく、他の事でも何度となく繰り返され、実家は家族が3対1になることで均衡を保っているような奇妙な力関係にありました。 「変わってる。何を考えているのかわからない。」 耳にタコができるほど繰り返された母の言葉に傷つき、苦しんだ子ども時代。40年以上の時を経て、あの言葉は私に向けられていたようでいて、誰よりも父に、そして母自身に向けられたものだったということがわかってきました。「何を考えているのかわからない」のではなく、母は私に「何を考えているのか」を聞かず、知ろうとはせず、「変わった娘」は全てに対する万能の口実でした。 長い間、なぜ柿が嫌いなのかよくわからずに来ましたが、最近になってあのあざやかな色を見ると無意識のうちに当時の息苦しさが蘇ってくるのだということに気付きました。旬の時期には大好物にしている夫のために買ったり皮を剥いたりはしますが、口にしてみようと思うことはありません。 「こんなに美味しいものをいらないだなんて、ラッキー!」 と、食べない選択を尊重してくれる人が家族であることを幸せに思います。あの木は実家を建て替え、土盛りをしたときにだめになり、もうなくなりました。 (不定期でつづく) =========================================================================== |