「西蘭花通信」Vol.0655  スピリチュアル編 〜夢日記:初夢〜              2014年1月13日号

夢の中でも私は「私」でした。子どもたちは幼く、次男・善(16歳)が3、4歳ぐらいでした。「私」は善の手をしっかりと握り、もう一方の手で鮮やかな黄緑色のタートルネックを着た息子の背中を支えつつ、「すみません、すみません」と謝りながら歩いていました。

なぜ謝っていたかというと、そこは公民館のように広い部屋で、大勢の人が三々五々に座っていたり、布団を被って寝ていたり、車座になっていたり、思い思いの場所に雑然といるので、その間を縫って小さい子と歩くのは容易ではありませんでした。善をトイレに連れて行こうとするところでしたが、まるで避難所のような光景でした。しかし、「私」はそこが旅館であることを知っていました。

これが元旦の明け方に見た夢の断片でした。起きた瞬間に「これが初夢?」とやや凹むような、一富士二鷹三茄子とは無縁なパッとしない夢でした。私が引いていた善の腕がほとんど真っ直ぐ上に伸びていたところをみると相当小さい頃の設定で、あのタートルネックは善が幼稚園のときに、確かに着ていたものでした。しかし、夢は夢。私たちはそんな旅館に泊まったことはありませんでした。
(探したら出てきました!善がこのタートルネックを着ているところ。なんと5歳直前のNZ旅行中に撮影したもの!→)

不思議なことに数日後、夢の続きを見ました。今度は広いきちんとした旅館らしい部屋で、長テーブルが2台、どこまでもどこまでも続いている朝食の光景でした。テーブルはお膳で椅子がなく、私たち一家は向き合って座り、両脇には別の宿泊客がいました。かなりぎっしりと人がいて、旅館の縦縞の丹前を着ている人もおり、前回見た避難所のような印象は全くありませんでした。しかし、夢の中の「私」はどちらも同じ旅館であることを、薄々気付いていました。

広い部屋の片面は出窓風の張り出したガラス張りになっており、部屋は明るく、外が良く見えました。しかし、外の景色は首を傾げたくなるようなおかしなものでした。まるで視界を遮るように、窓のすぐ外が岩壁になっており、他にはなにも見えません。しかも、その岩壁ときたら、防災上の理由なのか岩かセメントを模したグレーの分厚いビニールのようなツルツルの物で覆われており、朝日を浴びて安っぽくテカテカ光っていました。

「なんて味気ない眺めなんだろう。せっかく外が見えるように、こんなに大きな窓があるのに。もったいない。」
と思いつつ、「私」は子どもたちに気をとられながら食事をしていました。岩壁は人工的な素材なので草木の一本も生えておらず、窓の向こうから圧迫するように迫っていました。長テーブルは窓に直角になるように延び、私たちは窓からやや離れた部屋の奥にいたのに、なんとなく偽の岩が視界に入って落ち着きませんでした。

その時です。ドドドドドーっと地響きのような聞いたことがない鈍い大きな音がして、同時に、
「あぁぁぁぁぁぁあ!」
「おぉぉぉぉぉぉお!」

と腹の底から搾り出すような、大きなうめき声が響いてきました。えっ?!と思って顔を上げると、今しも外の岩壁がゆっくりと崩れていくところでした。しかし、その表面はツルツルのビニール状ではなく、小さなものがさざ波のように蠢いています。よく見るとそれは無数の人でした。

遠近法が狂い、窓のすぐ外だったはずの岩壁は小さな無数の人でできた、ずっと遠くの巨大な人間の壁となり、内側から崩れ落ちるようにスローモーションで崩落していきます。表面に当たる部分の人たちが空しく伸ばした腕が、波頭のように揺らめいては消えていきます。彼らは皆同じ粗末な木綿の服とズボンをはいており、色は濃淡が多少違ってもみな岩と見紛う灰色でした。誰かが「あの人たちは中国人だ」と囁いているのが聞こえました。

腹の底から搾り出すようなうめき声は、身の毛がよだつような光景を目撃している部屋の中の者たちと、崩れていく外の者たちの絶望の唱和でした。部屋の中の全員がわかっていたように、「私」も彼らが助からないことを知っていました。人間との縮尺からみて壁は途方もない大きさと高さで、奈落の底まで崩れていくところでした。誰一人立ち上がらなかったのは、あまりの光景に足がすくんでいたばかりではありません。なすすべがなかったのです。

地獄のような光景を目にしながら、「私」は、
『人は常に最良と信じる選択をしている』
というメッセージを受け取っていました。あの岩壁に集まった人たちと食膳を前にしている私たちは、明らかに違う選択をしました。それぞれがどこかの段階で「これがいい」と信じ、違う道を選んだのです。

私たちは今回あの壁の中にいなかったものの、生きていくことは無数の選択の繰り返しですから、いつ何が起きても決して不思議ではないのです。戦慄の中でも、今この瞬間に生かされていることを感謝しつつ、地獄絵に幕を下ろすように「私」は目を閉じました。
(不定期でつづく)

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「マヨネーズ」

「あの人たちは中国人だ」という囁きにはあまり意味がないでしょう。ただ、覚えていることをできるだけ正確に記録したまでです。どうも臨死体験だったらしい、以前配信した〜夢日記:チューブ〜の中でも、底が抜けた五右衛門風呂のようなチューブ状のものの先について、誰かが「この先はオーストラリアに通じている」と言っていました。それが本当なら、オーストラリアは『あの世』?!(ウケる〜)

あの体験を臨死体験だったと気づいた経緯は、〜夢日記番外編:眠っている間の大冒険〜でどうぞ。
年齢のせいなのか、NZという場所のせいなのか、今のマイペースな暮らしぶりのせいなのか、メッセージ性の強い夢をよく見るようになり、荒唐無稽なストーリーと詳細なディテールのいずれもが目覚めた後でも、リアルに頭に残っているようになりました。不思議〜!

西蘭みこと 

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