「西蘭花通信」Vol.0640  スピリチュアル編 〜夢日記:死の淵〜           2013年11月7号

クルマを降りると、水田が広がっていました。その向こうに目指す高校があります。そこでキャンプに参加している日本からの留学生グループを迎えに行くよう、夫が誰かから頼まれてきたのです。学校までは田んぼの中の畦道しかありません。

畦道の左側は稲を刈った後に水が溜まった状態で、右側の一段低くなった場所は水田というよりも泥沼のようになっていてます。ごく最近、ショベルカーか何かで畦道を崩し入れたらしく、沼はコーヒーのように真茶色です。水の濁り具合、土が沈殿していないところをみると、崩したばかりなのでしょう。

「なんでこんなことになってるんだ?」
数日前に留学生を送りに来ていた夫は、その変わりように驚いていました。実際、残った畦道はごくわずかで、これ以上崩れないよう黒いビニールシートに包まれ、シートが飛ばないよう、ところどころ幅の太いゴムのようなもので留めてあります。歩ける場所はシートの上だけです。

残った畦道は幅20cmほどで、道というよりも段差のある左右の水田をかろうじて分けている程度でした。大雨でも降ったら決壊してしまいそうなほど、柔なものでした。ずっと先まで黒い山脈のようにシートが続いており、もはや平らな道ではありませんでした。幸いシートの下の土が柔らかいので歩くと平らになり、シートのおかげで足が土に沈むこともありませんでした。非常に歩きにくいですが、「とにかく迎えに行かなければ」という思いで、夫の後ろについて用心深く歩き始めました。

「あっ!」
前を行く夫が一声発し、一瞬にして右側の泥沼に滑り落ちてしまいました。驚いたことに、水田だと思っていた場所は本物の沼だったようで、落ちた瞬間に夫の姿が見えなくなりました。突然の展開と考えてもみなかった沼の存在に身体が強張り、声も出ませんでした。長身の夫が完全に沈んでしまうとは、どれだけの深さなのか。ぶはぁーっと大きな息を吐き、夫が水の中から飛び出してくるものとばかり思っていましたが、出てきません。それどころか落ちた場所の水面には揺れ一つなく、泡粒一つ上がってきません。

私はとっさに持っていた料理用のお玉を水の中に入れました。グッと引っ張られ一緒に落ちそうになるのを、つかむところもないまま必死に踏ん張っていると、お玉がスポンと手から抜け、銀色の柄が光を受けて輝きながら水の中に吸い込まれていきました。大の大人を飲み込んだ沼は再びお玉を飲み込み、何ごともなかったかのように沈黙していました。

石のように固まり、心臓が口から飛び出そうだった私に戦慄が走りました。
「助からない。」
初めてそう思いました。「こんな田んぼ、ぬかるみに足を取られているだけ」という常識的な可能性はかき消され、目の前の泥沼が底なし沼であることを認めざるをえませんでした。お玉を通じて感じたズシりとした重みは、まさに命の重み。生きようと必死にすがったにもかかわらず、夫はさらに沈んでいってしまったのです。

「飛び込んでしまおうか。」
一か八かでも助けられるかもしれない。夫は気を失っているだけで、沼はそんなに深くないかもしれない。でも、助けられず2人とも沈んでしまったら?
「それでもいい。」
正直そう思いました。夫のいない人生など、2度と朝の来ない世界のようなもの。それがどんな場所なのか、知りたいとは思いませんでした。

「でも、子どもはどうなる?」
2人の姿が思い浮かびました。その瞬間にはむしろ、夫の後を追って飛び込んでしまいたいと思っていましたが、理性が私を踏みとどまらせました。「逝ってはいけない」と心の中で呟きながらも「逝けない」と思うと、初めて涙がこぼれました。あったのは親としての責任感だけで、自分の命を惜しむ気持ちはこれっぽちもありませんでした。生とはこんなにも脆く、あっけないものなのでしょうか。私は茶色の沼を呆然と見下ろしていました。

そこで目が覚めました。身体に強張りが残ったまま隣を見ると、寝ているはずの夫がいません!一瞬冷やりとしましたが、まさにその時、夫はNZ留学中の知人の息子さんを送るために、朝6時台から出かけていました。出て行く夫と言葉を交わした後、夢を見たようです。じきにクルマの音がし、夫は外にいた猫に声を掛けつつ、何事もなく帰ってきました。


(いつも庭を警戒してくれているらしい、クロとコロ。でも花火の音にはすっ飛んで帰ってきます→)


私が見下ろしていたのは、まさに死の淵でした。夢の中とはいえ、あの恐怖や戦慄、脳も心臓も持てる能力の限界までフル回転し、あらゆる可能性を瞬時に検索していました。そして残った選択肢が、「この世にとどまる」ことでした。覚悟は本物でした。実際に同じ場面に遭遇しても、同じ覚悟をしていたことでしょう。

9月に配信した「夢日記:生と死」では、夢の中で自分が死ぬ可能性を初めて経験し、
「夢と現実がつながった不思議な経験でしたが、死をリアルに垣間見たことで、生のありがたみもまたリアルに実感することができました。夢の教えや導きはまだまだ続くようです」
と締め括りましたが、今回はかけがえのない人を失う可能性を知りました。導かれているとしか思えないこの展開。バーチャルな臨死体験を経ながら、いつの日か本番を迎えるのでしょう。

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「マヨネーズ」

たかが夢、されど夢。うたかたの体験のなんと饒舌なことか。百聞は一見にしかずで、「夢だから」と片付けられない、現実とのしっかりとした絆を感じます。夫を失う可能性の実感はこれからの人生を生きる、大きな糧となることでしょう。まずは本人を大切にしなくちゃ!

ついでに言うと、NZには水田がなく、私はお玉を待ち歩いたりしません(笑)

西蘭みこと 

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