「西蘭花通信」Vol.0637  生活編 〜愛は行動〜                    2013年10月30号

子どもの頃、めったに鳴らない家の電話が鳴って母が出ると、「あら、○○さん。お久しぶりでございます。ちょうどお電話差し上げようと思っていたところだったんですよ」違う相手に、何度も同じことを言っていたものです。しかし、私は知っていました。母に電話をする気などないことを。

「なぜ電話をする気もないのに、あんな言い訳をするのだろう?相手だっていつも掛けてきているのだから、いい加減わかっているだろうに。」
おやつを食べながら、テレビを観ながら、たまたま通りかかりながら、私は心の中で一人ごちていました。

後年になって『愛は行動』という言葉を知ったとき、真っ先に黒い受話器を持ち、こちらに背を向けて立つ母の姿が蘇ってきました。皮肉なことに、私はその意味するところを反面教師という形で母に教わっていたのです。連絡をするべきことがあるのなら、受話器を取り、ダイヤルを回して、相手を呼び出し、話す。忙しくても、通話料が自分持ちでも、そうすべきことなら、そうする。それは相手への尊重であり、その気持ちの先には愛がある―――――

何かで咄嗟に助けに出た人が、「居ても立ってもいられなかった」「取るものもとりあえず駆けつけた」と言い、長年奉仕活動を続けている人が、「気がついたらどっぷりはまっていた」「生活の一部になっていた」と言う言葉には、『愛は行動』が無意識のうちに実行されている様子がよく表れていると思います。そこには迷いも、計算も感じられません。すべきだと判断したことを実行に移しているだけです。

『愛は行動』という言葉を知ってから、この言葉が呪文のように効くことに気づきました。
新聞を読んでいる夫のために、立っていって電気を点けてあげる。
なんでもないと分かっていても、猫が鳴いたら見に行ってあげる。
庭のレモンの木から実をもいだら、幹や枝に付着する寄生植物をとってやる。
毎週ボランティアに行く。
「不要」と判断したら物でも服でも、元がいくらであっても寄付をする。
神棚のお下がりの米を野鳥のために庭に撒く。
毎晩トイレ掃除をする。
米のとぎ汁は必ず庭の植物に撒く―――

   (今月は2匹とも風邪をこじらせてしまい、ちょっぴり大変でした→)

ちょっとしたこと。面倒だと思えば、しなくても構わないこと。でも、心の中では「したほうがいい」と知っていること。『愛は行動』という言葉はその微妙な境界線を、ひょいと越えさせてくれる言葉なのです。「今日はまぁいいか」「私がしなければ自分でするでしょ」」「面倒くさい」「疲れた」「忙しい」。しない理由はいくらでも挙げられます。でも、どれもあまりにも容易いこと。しようと思えばできることばかりです。

そんなとき『愛は行動』と心の中で唱えると、すっと身体が動きます。腰の辺り、下半身からぐっと前に踏み出るような感じで、脳の命令で動いているのとは感覚が違います。頭が考えた結果ではなく、身体が反応した結果なのを実感できます。大げさに言えば、呪文を唱えると、本来あるべき善意のようなものに瞬時にアクセスでき、見えない扉が開いて、中に誘われていくような感じなのです。

やってしまえばどれも簡単なこと。一瞬でも「面倒だ」と思ったことすら忘れてしまいそうなこと。でも、後には穏やかな気持ちが、もれなくついてきます。毎日一つでも多く行えば、生活の中に少しずつ愛が満ちていきます。塵も積もればですが、愛も積もるのです。というか、愛とは小さな小さな行動の連鎖で実現していくものなのだと思います。

人生をかけた大恋愛で結ばれた2人でも、その感動だけで残りの人生を愛で満たすことはできないでしょう。恋愛の高熱が引いて平熱になり、ドラマのような展開から地味な毎日に立ち返ったときこそ、「相手のためにどれだけ動けるか」が愛の正体になってきます。子どももそうです。親になった感動だけで、長い子育てを乗り切ることは難しいです。親子の間に次々に起こることに真剣に向き合い、「子どものためにどれだけ動けるか」。そのからくりが理解できたら、夫婦も親子もきっと上手くいくはずです。

流行語というよりもすっかり定着してしまった感のある、「モテ」とか「愛され」という言葉と価値観。「モテ服」「モテ期」「モテ男・モテ女」「愛され料理」「愛されボディー」「愛され体質」挙げ始めたらきりがありません。こうした言葉に共通するのは、相手に要求していることです。綺麗な自分に一目置いてほしい、料理でもダイエットでもがんばったら賞賛してほしい――――

『愛は行動』だとしたら、この見返りを求める気持ちはまさに正反対のもの。本当の愛への最も遠回りと感じてしまいます。だからこそこうした言葉が定着して、多くの人が腰をすえて長い長い道程を行こうとしているんでしょうか。愛は目の前にあります。一歩踏み出せばそこに満ちています。

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「マヨネーズ」


空になったマグカップを持って仕事部屋を出ようとすると、
「それ洗うの?ボク、キッチン行くから持ってってあげるよ。」
と言う夫。
「あら、そうなの?ありがとう。」
と礼を言うと、
「でも、キミが自分で持ってってもいいんだよ。」
「ん?」
「じゃ、ついでにボクのカップも持ってってくれる?」

お礼まで言っておきながら、けっきょくキッチンでカップを2つとも洗っている私。なに、この塩対応。
しかし、『愛は行動』ですから、細かいことは気にしないって話で(笑)

西蘭みこと 

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