「西蘭花通信」Vol.0605  経済編 〜花火と経済:越境入学〜                2012年12月6日

2007年11月の花火の日、ガイフォークス・デーの記憶はありません。ブログにも書き残していないので振り返るすべはありませんが、特筆すべきものがなかったのでしょう。移住後4回目となり行事そのものが物珍しくなくなっていたことも一因でしょが、一番の原因は、2007年7、8月にアメリカのサブプライム問題が表面化するや世界的に信用収縮が進み、海外資金に頼るNZ経済が急激に苦しくなっていたことではないでしょうか。

その変化たるや、液体に浸したリトマス紙のようでした。遠いアメリカの住宅ローン問題のせいで、たった3ヵ月後のNZで「ムダ遣い」の真骨頂に見えた花火が上がらない?! NZの花火といえばロケット弾のような打ち上げ花火が中心なので、花火の日には毎年各地で何百件と小火や火事騒ぎがあります。安全上の理由から、NZで花火を売ることができるのは、1年間に11月2−5日の4日間だけに限定されています。ということは、花火の売れ行きは11月初旬の消費者心理をピンポイントで反映するはずです。

NZの花火は100%輸入品ですから、2007 年の輸入業者や小売業者は3ヵ月の激変に対応しきれず、大きな痛手を受けたことでしょう。短期間にあそこまで景気が落ち込むと、誰が予測しえたでしょう。小さな日常の中にもリアルなグローバル経済が息づいています。あの年から花火販売規制(購入年齢の引き上げなど)が強化されたのも追い討ちでした。

当時の景気を数字で見ると、2007年第4四半期(10−12月)の国内総生産(GDP)は対前期比0.4%の伸びでした。ガイフォークスはこの期間に当たりますが、長らく続いた好景気という貯金を食い潰しながらの成長だったようで、2008年第1四半期(1−3月)にはいきなりマイナス0.1%のマイナス成長となり、世間を驚かせました。こうして振り返ると、ガイフォークスの前後が経済成長のプラスからマイナスへの分岐点となり、アメリカに次いで、他国よりも早く始まったNZのリセッションの起点となった可能性があります。

2007年の静かなガイフォークスの頃、私は密かに胸をなでおろしていました。長男・温(18歳)はその年の2月に高校(実際は5年制の中高一貫校)に入学していました。NZの公立校は1989年の教育改革を機に学区制を廃止したものの、一部の人気校に定員を上回る入学希望者が集まり、すぐに人気校に限って実質的な学区制が復活しました。学区があるのは人気校の証で、私たちの住むエリアの高校は学区がなく、いわゆる人気校ではありません。温は自分でいろいろな情報を収拾し、学区のある高校への越境入学を希望しました。

温の高校の場合、2007年度までは越境入学を申請すれば、正直な話、誰でも入学が認められていたそうです。温も、
「ボクの学校から申し込んだ子は全員入れたよ。」
と言っており、学区ではない近所でも温の高校の制服を着た生徒を頻繁に見かけました。
NZの公立校は教育改革後、実質的な学校法人に改組され、生徒数が多ければ多いほど国からの補助金が多くもらえるようになったため、人気校といえども収容人数が許す限り、あの手この手で学区外から生徒を募っていました。温の高校は生徒数1,000人足らずの小さな学校で、親の目から見ても、設備投資が追いついていないように感じられました。

生徒数3,000人級の大規模な人気校ともなれば、校長自らがビジネスクラスで世界中を飛び回り、国の補助金どころではない高額の学費を払ってくれる留学生の誘致を盛んに行っています。移住以来、
「これでも公立校?」
と、目がテンになるよな官民の癒着を見聞したり、経験したりしていたので、温が選んだ、公立校のイメージそのままの、経営センスが全く感じられない高校は、むしろ好感が持てました。

親としては、居住エリアにある人気校ではない高校でも、越境でもどちらでもいいと思っていました。そのため家を購入するときも、学区は考慮しませんでした。しかし、子どもの希望となれば、親としてそれが叶うのを願い手伝いもします。2007年後半以降の景気動向を見ながら、
「もしかしたら温はギリギリセーフだったのかもしれない。」
と、密かに思ったのです。11月は花火だけでなく、翌年の越境入学の結果が出る月でもありました。

「今年は相当厳しいらしい。」
あの年は移住以来初めて、越境入学が認められないかもしれないという話が聞こえてきました。特に温の高校は「全滅らしい」という噂でした。なぜ景気が悪化すると越境が認められなくなるのでしょう?それは学区内に住んでいながら私立校に入学するつもりだった生徒が公立校に戻ってくるからです。学校は学区内に住む生徒を必ず受け入れなければならない義務を負っています。学区内の生徒で定員になってしまえば、学区外からは1人も受け入れられないのです。

「子どもの教育という長期的で大事な決定が、こんなに短期間で簡単に変わるものだろうか?」
私はそれでも半信半疑でした。しかし、後から明らかになったところによれば、あの年は親が学校関係者か、きょうだい枠と呼ばれるきょうだいが在学生か卒業生である生徒という、教育省が定める越境の条件を満たす生徒以外は、ほぼ「全滅」だったそうです。(つづく)

===========================================================================
「マヨネーズ」
うわわわわ。話は花火から住宅ローンへ、さらに越境入学へと飛びに飛び、時期も気がつけばもう師走(滝汗) こーんなに更新が遅くなってしまったのに、さらに急ぐ気配もなく(つづく)! 何とか年内に「完」としますのでもうしばしお付き合い下さい。

そんな温は高校を卒業して早1年。オークランド大学に半年通い、今は名古屋大学で再びピカピカの1年生。なんだかずっと新入生やってます(笑)高校も大学もすべて本人の選択。どっちへ向って走り出そうが親は常に伴走者。足腰が鍛えられるわけです!

        (で、名大素人相撲大会で2位^^; 隣のアメリカ人の親友は3位^^;
         なにやってんでしょうか???→)


西蘭みこと 

ホームへ