「西蘭花通信」Vol.0600  経済編 〜不動産チャチャチャ:三つ子の魂〜          2012年9月10日

前回のメルマガ「不動産チャチャチャ:全額借金」 では、ローンのない持ち家があれば、自宅を引っ越すことで2軒目の家を全額借金で手に入れることも可能ではないか、というシミュレーションをしてみました。これは不動産価格が値上がりを続けているNZのような場所でこそ可能な方法で、日本のように、買った日から実質的に値下がりが始まる場所ではなかなか難しい相談かとも思います。

日本もバブルが崩壊するまでの長い間、不動産価格が右肩上がりで上昇し、それが「土地神話」を生み、担保さえあれば銀行が金を貸す時代が続きました。1970年代の私はそんな大人の世界のからくりなど露知らず、ごくごく普通の「昭和の子」でした。しかし、1枚の表札を通じてふと大人の世界を覗いてしまったことをきっかけに、家というものが持つ不思議な力に目覚めてしまいました。今日はそんな思い出話をお送りします。

小学校の通学路の途中に「今田」だか「今井」だかの表札を掲げた家がありました。当時は横浜市と鎌倉市の境目辺りでもところどころに田畑が残っていて、その家から先は鎌倉街道まで田んぼになっていました。私たち小学生は畦道を広げただけの細い道を、毎日往復していました。そんなある日、表札が別の名前になっているのに気付きました。

「この家、引っ越したんだ。」
と思ったものの、それきりその家のことは忘れてしまいました。子どもというのは「あれは○○ちゃんの家」「これは△△ちゃんの家」と記憶していくもので、子どものいない家など頭に残らず、気を引くようなペットもいない平凡な家となったら、全く興味の対象外でした。

何年か経ち、私は中学生になっていました。はっきりした記憶はありませんが、その道は小学生の時だけの通学路だったので、滅多に通ることがなくなっていた頃のことでした。買い物にでも行ったのか母と歩いている時、例の家の表札が再び「今田」だか「今井」だかに戻っているのを見て驚きました。
「この家、また引っ越してきたの?何年も前に越してったでしょう?」
と声に出すと、
「こうやって何回も引っ越しているうちに、1軒丸々タダになっちゃうらしいわよ。」
と母が言いました。

「タダ?」
「売った時に儲かるから、それでローンが返せるらしいの。この家の人はそういうのが好きで、笠間の方に越していったんだけど、また戻ってきたらしいのよ。」
と、言う母。
「じゃ、どうしてうちもしないの?」
鸚鵡返しに聞くと、
「そんなこと面倒くさいじゃない。」
という、呆れた表情が返ってきました。その時の「1軒丸々タダ」という驚くべき内容と、転居を繰り返すことへの母の胡散臭そうな表情は、子どもの脳裏に深く深く焼きつけられました。

「大人になったら何回も引っ越して、タダで家を手に入れよう。」
その時そう心に誓ったと言っても過言ではありません。それぐらい私には衝撃的な出来事でした。特に、ことごとく話が合わず、全く違う価値観を持つ、一緒に暮すためにお互い大変苦労した母の胡散臭そうな表情が、私の心の中の鐘をガンガン鳴らしました。母がどう思おうが、
「それは可能」
と悟るように感じたものでした。

30歳になった私はすでに結婚していて、当時暮らしていたシンガポールで生涯初めてマンションを買いました。引っ越して数ヵ月後、内装工事の完了直前に、駐在員だった夫に香港への転勤命令が出、家は賃貸に出しました。香港で新生活を始めて1年もしないうちに、今度は大家が「家を売りたいので出て行ってほしい」と言い出しました。ちょうど長男・温(18歳)が生まれた直後だったこともあり、シンガポールの家を売却して頭金にし、香港で家を買うことにしました。

香港でもマンションを購入したものの、次男・善(15歳)が生まれると家の中の物が爆発的に増え、住み込みのお手伝いさんとの5人暮らしの身、
「この家で子育てをするのは無理!」
と、すぐに覚悟しました。折りしもアジア通貨危機前夜、異様な雰囲気の中、時々刻々とあらゆる資産が値上がりしているタイミングでした。
「売ろう!」

自宅だろうがなんだろうが、必要とあらば躊躇いなく手放せる潔さ、裏を返せばリスク管理の徹底は、当時仕事にしていた株式のトレーディングの中で培ったものだったかもしれません。かなり気合を入れ、時間もお金もかけて徹底的に改装した家でしたが、未練はありませんでした。

35歳で売却したとき、住宅ローンは一掃され、売却益で義父母のために日本で新築のマンションを買うことができました。母の「1軒丸々タダ」という言葉を、
「それは可能」
と感じたあの日から約20年が経っていました。
(帰国時の恒例、日本の家の前での義母との記念撮影。2004年→)

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「マヨネーズ」
私の不動産への興味はこの通り、中学生ぐらいから始まっていました。さらに遡れば、育った家が嫌で嫌でたまらなかったというのも、他の家に目を向ける大きなきっかけになったと思います。

あまり楽しくはない子ども時代だったというソフト面の問題もありますが、育った家が大変風水が悪かったというハード面の問題もありました。田んぼを埋め立てて建てた家は地盤が悪く、床上浸水こそ免れたものの台風の時はよく水害に遭いました。20年前に両親が建て替えたときには、土盛りをし一から地盤整備をしていました。

香港の家を売却した時の話は、メルマガ「サンクス&グッドラック」でどうぞ。

西蘭みこと 

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