「西蘭花通信」Vol.0571   経済編 〜不動産チャチャチャ:カーゴパンツU〜    2012年5月13日

黒猫は怯えていました。見たこともないほど大勢の人が前庭に集まり、ワイワイ声がしていたからでしょう。普段はひっそりしているはずの裏庭にまで見慣れない人が入り込んで歩き回っています。デッキチェアの下に縮こまって不安そうにしている姿に気付いた私は、ネコが一番喜ぶ喉の周りを掻いてあげたものの、黒猫は筋肉を緩めず、喉も鳴らしませんでした。

オークションが行われる前庭には、すでに3、40人が集まっていました。投資物件を探し始めてから参加したオークションでは最大の規模です。高揚をもてあますように、声高に話したり笑ったりする人が何人もいました。人間の私ですらその場を外したくなったのですから、母1人子1人の家庭に暮らす黒猫にとってはなおさらのことでしょう。

「そろそろ始まるよ。」
夫が呼びに来たので前庭に戻ると、どこからともなく小さな女の子の泣き声が聞こえてきました。泣きながら何かを訴えていますが、話し声までは聞き取れませんでした。ぐずっているような嫌がっているような、なかなか泣き止まなそうな泣き方でした。子育てをしたことがある人なら誰でも同じような場面で手を焼いたことがあり、懐かしくなるような声でした。

それが証拠に周りの中高年の女性たちは首を曲げて声の主を探しながらも、みな微笑んでいました。キョロキョロ見回す女性たちはお互い目が合うたびに、さらに深く微笑みました。みんな考えていることは一緒なのです。斜め後の植え込みの影に、隠れるように立っていた若い女性も、うつむきながらにっこり微笑んでいました。まだまだ子育て真っ最中の年齢に見える女性です。

「あれっ、この人オーナー?」
下見会の時に偶然見かけたオーナーによく似た感じの人でした。通常はオーナーもオークションに立ち合うので、彼女がこの場にいることに不思議はありません。ただ、不動産屋やオークショナーと話すために買い手とは別の場所にいるはずなので、やや意外な感じがしました。もしかしたら、他人の空似かもしれません。

不意に泣き声が大きくなったと思ったら、大柄な若い男性が泣いている女の子を横抱きにしたまま大股で階段を登り、今しもオークションに掛けられる家に入っていきました。その姿にギャラリーからどっと笑いが漏れました。女の子は幼稚園児ぐらに見えました。子どもにとって、オークションなど楽しい場所ではありません。大勢の大人の高揚を察して不機嫌になってしまったのでしょうか。

その時、今風のピタピタのスーツに身を包み、頭をジェルで固めた若い長身の男性が颯爽と現れました。一目でわかる派手ないでたち、オークショナーです。滔々と流れるような口上が始まり、場を盛り上げていきます。
「お父さんと女の子が出てこない。」
途切れることのないオークショナーの言葉を聞き流しながら、私はふと思いました。オークションに来たのなら、降りてこないと参加できません。
「ということは、あの人もオーナー?じゃ、内装工事を仕切ったという女性は奥さんで、これも『離婚物件』ってこと?」

41万ドルのCV
(Capital Value:各自治体が固定資産税の算出のために出している不動産評価額)より遥かに低い20万台から始まった競りは、たくさんの参加者で盛り上がりながらあっという間に50万ドルまで駆け上がりました。大台がついて大方が敗退し、そこからは姉妹に見える女性2人組と子どもを連れた家族の一騎打ちに。しかし、女性組の優勢は明らかで、次第に家族連れの反応が鈍り、最後は女性2人が52万6,000ドルで落札しました。

競りの途中にオークショナーと不動産屋が家に入ってオーナーに確認を取る場面があったので、女の子のお父さんがオーナーであることは間違いありませんでした。NZでの離婚は、通常全ての資産と借金を二分するので、この家を売却して銀行にローンの残額を返済し、残った分を他の資産とともに分け合い、若い夫婦はいよいよ袂を分かつのでしょう。

競りは私たちが一声も発しないうちに終わっていました。落札した女性2人は自分たちで住むようです。そうであれば、予算の許す限り高値を付けることができますが、私たちのような投資目的の購入となると、買値で利回りが決まってしまいます。高値になればなるほど利回りが低下してしまうので、価格の線引きは厳格で、どんなに気に入っても無理は禁物です。


(思ったとおりオークションは過熱し、この家ともご縁がありませんでした。まだまだ続く物件探し→)

「さぁ、帰って夜ご飯作らなきゃ。」
頭を切り替え、踏み出そうとする私の前を、見慣れたカーゴパンツの女性が歩いていきます。
「オーナーだ!」
彼女はあの日も、私のとよく似たこのパンツを穿いていました。女の子の泣き声に、身を隠すようにうつむいて微笑んでいたのは、やはり彼女でした。女の子はママのところに来たがって、泣いていたのかもしれません。1ヵ月後にはこの家を出る彼女もまた、次に向って踏み出しているように見えました。
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「マヨネーズ」
通常はどのオークションにも売り手が設定している「指定価格」があります。その価格を超えないと競りは流れてしまいます。ですからCVが40万ドル台の物件を20万ドル台で競ってみても、指定価格には遥かに及ばないはずなので、落札できる可能性はまずありません。

それでも、
「もしかしたら買えるかも・・・」
という、夢見る気分が参加者をワクワクさせるのか、みんな楽しそうに競りに参加しています。買い手には指定価格がわからないので、当たりの番号がわからないまま宝くじを買うような気分なんでしょうか?宝くじは買わない私たち。夢は見ないようです。

西蘭みこと 

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