「西蘭花通信」Vol.0559   生活編 〜ブルースプリング・レポートVol.21:名古屋への道〜        2012年3月31日

長男・温(18歳)が昨日、名古屋大学に合格しました。メルマガ〜ブルースプリング・レポートVol.9:15歳の決心〜を配信してから(あの時は16歳の誕生日直前でした)、2年と2ヵ月、日本の高校受験には失敗しましたが、大学受験というかたちで夢を叶えました。9月入学なので、それに合わせて半年後に帰国します。

この間、アドバイスを下さったり応援して下さったり、メルマガを読んで下さった読者の方々に、改めてお礼申し上げます。
         (NZはすっかり秋めいてきましたが、サクラサク→)

温は最初から名古屋大学を第一志望にしていました。正確に言えば、名古屋大学にしか興味がありませんでした。温は私に似て、他人には関係のない自分の事となったら、100%自分の意思を貫く方でした。
「名古屋がダメだったら、このままオークランド大学に通う。」
という潔さで、そこだけはなんとか説得して、先月、東京の私大にも願書を提出しました。

なぜ、そこまで名古屋に惹かれたのか?親の出身は東京と横浜。親戚も親しい友人もおらず、まったく土地勘のない場所です。最初に名古屋大学が帰国生を受け入れることを知ったときの温の反応は、
「名古屋って、あの伊勢の?」
でした。

私たちは香港で暮らしていた1998年から伊勢参りを始め、香港からまず名古屋に飛んで参拝を済ませ、それから新幹線で関東に向かうという旅程を繰り返していました。西蘭一家にとり名古屋は日本の空の「玄関口(入口)」、成田は「出口」でした。

そんな旅程がいかに珍しいことであるかは、香港生まれで日本での生活体験がない温にとりピンと来ないことでした。
「NZ旅行をまずワイカト経由のテアロハから始め、徐々に北上してオークランド観光で終えるようなもの」
と言えば少しはわかってくれたでしょうか。名古屋は伊勢参りの通過点として温が知っていた、数少ない日本の街の一つだったのです。

ご縁があるとすれば、私の父が名古屋生まれの名古屋育ちだったことです。父方は祖父母とも鹿児島の人ですが、祖父は戦前、名古屋市の職員で学校建築に携わる建築士でした。父は今でもきしめんが好きで、中日ドラゴンズのファンです。子どもの頃は、東京の人だった母が適当に作る、味噌煮込みきしめんのようなものが時折り食卓に上がりました。

日本の高校受験に失敗した後、私たちは照準をすぐに日本の大学受験に切り替えました。調べれば調べるほど、大学入試は高校とは比べられないほど多種多様化していることがわかり、温のような英語を第一言語にする生徒には、さらに有利なこともわかりました。日本の激しい受験戦争を知っている親にしてみれば、
「高校に落ちててよかった。」
と素直に認めざるをえないほど、大学の門戸は帰国生に広く開かれていました。

調べていうくちに、文部省が推進する「グローバル30」、正式名称「国際化拠点整備事業」、通称「G30」というプログラムがあることがわかりました。国立大(7校)、私大(6校)、計13校が参加する大学の国際化事業で、参加する大学は「英語学位コース」と呼ばれる、全ての授業が英語で行われるコースを設置し、日本語を介さずに日本で学位が取得できる道を開いていました。(G30の詳細はコチラをご参照下さい)

名古屋もその中の1校でした。幸運だったことに、G30の国立大の中では唯一、日本国籍者の受け入れも行っていました。また「英語学位コース」が理系中心な中で、文系も対象にし、温が希望する経済も英語で履修することができました。最初から漠然と「東京以外の大学」を希望していた温は、名古屋の存在を知るや気持ちが一気に固まったようでした。

その気持ちは名古屋大学のホームページにくまなく目を通し、さらに磐石になりました。温の言葉を借りれば、
「他の大学と全然違って、外国からの生徒を一生懸命受け入れようとしてる感じがする。東京の有名な大学の『来たかったら、どうぞ』って感じじゃなくて、『ぜひ、来てください』って感じ。」
ということらしいのです。名古屋観光の目玉が「名古屋城」だったり「相撲(名古屋場所)」だったりするのも、ガイジン感覚の温には響いたようです。

G30は昨年から始まった新しいプログラムなので、今は9月入学の第1期生が半年の学生生活を終えたタイミングです。温は早々に在校生のフェイスブックを探し出し、彼らとネット上で交流するようになりました。学校や生活ぶりを見聞するにつれ、ますます名古屋に惹かれ、1年後には自分もそういう暮らしを送っていることを夢見ていました。

「G30の生徒は1人で出かけちゃダメだから、いつも2人以上で出かけるんだって。スーパーもみんなで行くんだよ」
「週末はみんなでご飯作って食べるんだって」
「みんな忙しくて、バイトなんてする時間ないんだってさ」
「G30のイベントで今日は○○に行った、今度は△△に行く」と、普通の大学生にはない企画も目白押しで、確かに聞くだに楽しそうで、貴重な経験ができるようでした。

夢見た日々が半年後には始まります。温たち第2期生の後ろ姿を知って後輩が後に続くような学生生活となるよう、祈っています。

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「マヨネーズ」
「名古屋への道」を除雪車のように大車輪で切り開いてくれたのは、夫でした。各大学が独自に基準を定め、ルールというもののが全くない帰国生受験というものについて、一から調べ上げたのは夫の功績で、今や自称「お受験パパ」です。

しかし、名古屋の名前を最初に聞いてきたのは温本人で、大学がNZにまでG30の説明に来ていたことがきっかけでした。説明会があることを事前に知らなかったため、温は2年前の第1回説明会には参加できなかったものの(昨年は参加)、運は自分でつかんでいたようです。

西蘭みこと 

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