「西蘭花通信」Vol.0548   生活編 〜夜明け前〜                       2012年1月2日

2012年が明け、私は来月早々50歳になります。半世紀を生きたことになるわけです。何度かメルマガでも触れてきたのですが、私は年齢に「9」のつく年(9歳、19歳、29歳など)に大きな決心をするようです。なので49歳の昨年は「転機の年?」と期待していたのですが、「これだっ!」と思うような一大決心をすることなく年が暮れました。しかし、誕生日まであと1ヶ月あるので、もしかしたら何かが起きるかもしれません。しかと目を開けて、チャンスの前髪を掴みたいと思います。

もう一つ気付いたことに、「9」のつく年の決心は「2」のつく年に具体化するということがあります。例えば小4だった9歳のときの担任の先生は、生徒に勉強ではなく「勉強の仕方」を説く人でした。あのときに学んだ「勉強は自分でするもの」という基本のキは中学に進んだ12歳以降、大きく私を支えることになりました。
(恩師の教えの一部に関してはメルマガ「自由自在U」で)

19歳のときに台湾と中国語に出会い、家を出て自活することを決心しました。22歳の大学卒業と同時に台湾へ留学し、今度は海外で自活を始めました。29歳では結婚し、32歳の誕生日に長男を出産しました。私にとり結婚の究極の目的は家庭を持つことだったので、長男の誕生でその一歩を踏み出しました。39歳でNZ移住を決心、42歳で移住認可がおり、一家で引っ越してきました。
(この時の話はメルマガ「100年の大計」で)

ここまでくると、49歳で何か起きない方が不思議に思えてきます。それがなんであれ、52歳には次の段階に進んでいることでしょう。そう思うと、来月50になることが、本当の本当に楽しみなのです。よく女性は若く見られたいがため年齢を隠したりしますが、こんな事情から私にとり実年齢こそ重要で、数字の意味するところにこだわってしまいます。

こうして思い返すと、「9」の年の転機は夜明けのようなもので、東の空からぐんぐんと日が昇ってくるような思いです。逆に言えば、直前の夜明け前は、1日で最も闇の深いときにあたります。年始早々なんですが、今の私は夜明け前の暗闇の中にいるようです(笑)

しかし、日が昇り始めてもしばらくは戸惑いが続きます。結婚はしたもののケンカばかりの毎日にうんざりしていた時期もありました。甘い新婚生活など、
「どこの世界の話だろう?」
と思うほど、生活習慣や考え方の違いにクタクタになりつつも、より大きな目的に向かって踏ん張りました。

移住のときも、
「いったいいつ、どんなビザで行けるのか?」
という点では先が見えず、迷い、調べ、ああでもないこうでもないと試行錯誤が続きました。
(移住を模索していた香港→)

しかし、「9」の年から「2」の年までの努力や準備は必ず報われてきました。それがあってこそ「2」の年に次の段階に進めたのかもしれません。「9」の年での一大決心をその後に諦めていたら、どんな展開になっていたのでしょう。今回も52歳までは五里霧中を行くことになるのでしょう。年齢とともに思い悩むことはほとんどなくなっても、先が見えないことに関しては19も49もそうは違わないようです。

10年ごとに転機が来るということは、新たな転機は過去の転機の節目ともなります。19歳で自活を始めてから丸30年が経ちました。その間ずっと自分の生活は自分の2本の手で支えてきました。私にとり、働いて生活費を得ることは、ミツバチが蜜を集めてくるように当たり前のことでした。結婚してからもそれは続き、妊娠しようが、出産しようが、勤めを辞めようが、移住しようが、働き続けて今に至っています。同様に、結婚して20年、移住を決め「寝ても覚めてもNZ!」という状態になって10年が経ちました。

今、新たな夜明けを前にして思うことは、30年間続けてきた生活のための仕事を、「辞めよう」ということです。こう言い切れるようになるまでには、長い時間を要しました。ほぼ昨年いっぱいかかったかと思います。
「最も手放したくないものを手放したときにこそ、前に進むことができる」
という言葉が真実であれば、やり慣れた安定した仕事を手放してこそ、次のなにかが見えてくるのかもしれません。

不思議なことに、昨年3月と7月に長年引き受けてきた仕事が、それぞれ取引先の都合で終了しました。2008年以降の未曾有の金融危機でも残った仕事でしたが(消えた仕事も多数あります)、ここに来てふとなくなったのです。特に7月に終わった仕事はちょうど5年前の7月、今の家を購入して引っ越してきた最初の日に始まった思い出深い仕事でした。

電話会社に確認したにもかかわらず新居でのインターネット接続の時間は守られず、慌てて引越し前の借家にパソコンを持ち込み、家具一つない床の上でなんとか初仕事をやり終え、取引先に送りました。続けて担当者にお礼メールを書き送信ボタンを押した直後、借家でのインターネット接続が切れました。肝を冷やしつつも、天に感謝した始まりでした。

49歳の転機もまた、後で振り返ったときに、
「すべてはあの年に始った!」
と思えるようなものであることを祈りつつ、まだ見ぬ50代の大海原に心をときめかせています。次々と願いがかない、自分の時間や夫婦の時間が戻ってきた40代には心からの感謝を。

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「マヨネーズ」
新年の抱負というにはあまりに漠然とした話ですが、年頭に当たってこんなことを考えています。50で「天命を知る」ことができるのであれば、それはそれで非常に楽しみです。30にして立つ、40にして迷わずはその通りだったので、きっと50も!

西蘭みこと 

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