「西蘭花通信」Vol.0534   生活編   〜瓦礫を超えて〜                  2011年4月22日

秋休みを利用して家族で出かけた南ワイカトのマウント・ティティラウペンガ。ポウアカニと呼ばれるマオリの一族がその所有権を巡って国を訴え、30年間の訴訟を闘って取り返した広大な土地。小高い丘がいくつも続く場所ですが、家はせいぜい3、4軒しかなく、そのうちのひとつで宿泊施設になったファームに滞在してきました。

原生林ウォーク・ツアーにも参加し、千年木の間を歩いてきました。その時一緒だったレイはポルトガル人の血を引くマオリでした。人目を引くきれいな人でしたが、初対面で「同年代かな?」と感じました。彼女には次男・善(14歳)と同い年の息子もいましたが、すでに所帯を持っている20代の娘が2人もいて、孫も2人いるおばあちゃんでもありました。10代で結婚する人も多いNZでは「40代のおばあちゃん」はまったく珍しくありません。


                 (千年木のNZ原生のトタラの木→)


「差がつくな〜」
と内心ニヤニヤしながら彼女と話していると、リトルトンから来たというではないですか!港町のリトルトンは2月22日のクライストチャーチ地震の震源地でした。思わず、
「家や家族は大丈夫だった?」
と聞くと、
「家の一部が壊れたけど家族は無事だったわ。」
という短い答え。きっと、同じ質問を何度も何度も受けてきたのでしょう。

興味本位で質問を続けていいものか一瞬迷ったものの、お互い母親、子どものことが気になるのは自然なこと。さらに話を聞いてみることにしました。
「息子2人はチャーチの学校に行っていて、あの日は学校が半日だったから、ちょうどバスターミナルに向かって歩いているところで無事だったの。でも3時間以上携帯がつながらなくて、本当に焦ったわ。」
リトルトンからチャーチはトンネルと山沿いの道以外アクセスがなく、トンネルが閉鎖されると完全に行き来が遮断されてしまうそうです。

「本当にひどい状態だったわ。がけ崩れで父親の家のすぐ隣に大きな岩が転がってきたし、左右に引き裂かれた家もあれば、液状化や洪水で住めなくなった家も。父親の家は何度も新聞やテレビに出たのよ。水も電気もしばらく止まって、支援を受けようにも申し込みに"チャーチまで来てください"と言われて。道が閉鎖されてるのにどうやって行くのよ。」

レイは息子2人とリトルトンを脱出し、延々車を運転して北島のトコロア(宿泊先から30分ほどの小さな町)までやってきたそうです。娘や親戚がいる町なので、この辺りの土地勘があるようでした。さすがに孫の話になると笑顔がこぼれましたが、それ以外の事は淡々と話すばかり。けれど、決してこの話を続けることが鬱陶しそうでも、話したくなさそうでもありませんでした。ただ単に愛想がないだけのようでした。

「じゃ、しばらくここにいるの?」
と聞くと、
「ううん。もうすぐゴールドコーストに行くの。」
という答え。隣国とは言え、地震から2ヵ月で海外引越しというのは日本人には馴染まない考え方かもしれませんが、キウイにとって「オーストラリアに行く」というのは地方から大都会に出るようなもの。言葉の問題はもちろん、ビザの問題もほとんどないこともあり、かなり国内引っ越しに近い感覚です。

「仕事を見つけないとね。レストランのシェフをやってたこともあるし、自分で商売してたこともあるの。ガーデニングやランドスケーピングの仕事もできるのよ。でも、仕事はなんでもいいわ。カフェのウェイトレスでも店の店員でも。落ち着いたら息子たちを呼んで一緒に暮すの。あの子たちにはあっちで仕事を見つけてほしいのよ。」
「じゃ、リトルトンには帰らないの?」
「ええ。」
レイは小さく、はっきりと答えました。

地震が彼女の生活を180度変えてしまったのか、元々オーストラリア行きを考えていて、地震が一つのきっかけになったのか、どちらかなのかはわかりません。話の途中から地震の話になると彼女の表情が自然と険しくなること気付き、それ以上立ち入りませんでした。また、夫やパートナーに当たる人の話も一度も出てこなかったので、地震以前からシングルマザーだったようです。これもこの国ではごく普通なことです。

短い会話とわずかな情報とは言え、自分と同い年ぐらいのすでに孫もいる彼女が、新天地で一から出直そうとしていることに、素直に感嘆しました。
「どうせ職探しに苦労するなら、稼ぎのいいオーストラリアで」
という胸算用もあるでしょうが、その分の負担も少なくありません。それでも、タスマン海峡を渡って新生活を始め、息子たちに機会を与えようとする彼女の"男気"!(残念ながら"女気"は「しとやか」「内気」「優しさ」と勝手に解釈されています)

「絶対にうまくいくだろう。」
と思いました。

ツアーが終わり、ガイドさんにお別れの挨拶をしていると、やや離れたところにレイが1人で座っていました。脚を開いて前かがみで、見ようによってはオヤジ座り。これでタバコでも吸っていたら、休憩中の労働者のようです。
"Good luck in Gold Coast!"
と声を掛けると、彼女は横を向いたままサッと片手を挙げ、「おう」と言わんばかり。男気のあるレイは最後の最後までハンサム・ウーマンでした。

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「マヨネーズ」
クライストチャーチ地震から今日で2ヵ月です。政府による家を失った被災者向けのキャンパーバンの貸し出しが始まりました。アウトドア派のNZらしい対応です。これからの季節、車中泊は寒いでしょうが、プライバシーがあるのはありがたいでしょう。

体育館など公共施設での長期の避難生活を余儀なくされている日本の被災者のご苦労がしのばれます。

レイの新天地での成功を心から祈っています。

西蘭みこと 

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