「西蘭花通信」Vol.0510  生活編  〜ブルースプリング・レポートVol.16:プーさん〜 2010年2月15日
帰国子女枠で日本の高校受験に臨んだ長男・温(16歳)をカフェで待つこと約3時間。試験を終えて戻ってきた温はやや興奮気味ながら、自分なりに納得の行く出来と解放感で多弁になっていました。初めての受験、自分が試される生涯初の経験。残念な結果に終わったものの、あの時点での温は満ち足りていました。その証拠に自分の事よりも他人の話に夢中でした。余裕がないときには人のことまで思いやれないものです。

「外国人でスゴい子がいたんだよ。韓国人の子でね、僕と同じで1年遅らせた16歳だった。その子ね、日本の漫画を読んで日本に来ることを決心したんだって。」
「それじゃ、温くんと同じじゃない。」
「そう。でもその子は中学を卒業してからずっとアルバイトして、飛行機代を貯めたんだ。それで片道切符で来たんだって。」

「親は生活費を出してくれたけど、飛行機代は出してくれなかったんだって。日本に来てからは親戚だか友だちだかの家にいて、ずっと塾みたいなところで日本語を勉強して、1年で僕と話せるぐらい上手くなったんだよ。スゴいよね。」
「それはスゴいわね。本気ね。」
「その子は大学に行けないの。お父さんの仕事を継ぐから高校までは好きなことしていいんだけど、その後は働かなきゃいけないんだ。だから絶対に日本の高校に行きたいんだって。」

「その歳でお家を継ごうと覚悟してるなんてスゴいわ。そんなに日本が好きなのに。韓国人なら徴兵もあるわね。高卒だったら2年ぐらい行くんじゃないかな?その子は徴兵を終えたら20歳を超えちゃっうだろうから、大学出るのと同じぐらいの歳になっちゃうわね。」
「どんなに日本が好きでも、高校が終わったら絶対に帰るって言ってたよ。」

「帰国子女、外国人、中国引揚げ等」という特別枠で受験したのは計18人でした。温とその韓国人以外は全員制服を着ており、すでに日本で中学生活の経験がある子ばかりでした。中には日本で生まれ育ち、「ないのは日本国籍だけ」という在日の人も含まれていたのかもしれません。NZで中国人と韓国人の違いを見慣れている温にすら、どちらかよくわからないほど日本人風に見える子がたくさんいたそうです。

同じ制服を着ている明らかに知り合い同士が時々囁き合う以外、誰も口をきかない待ち時間に、私服の2人は漫画や身の上話で盛り上がったそうです。 「上履きを持ってないから僕も家のスリッパだったけど、あの子もスリッパで、しかもデッカ〜い『クマのプーさん』が付いてるやつだったよ。」 温は身を屈めて思い出し笑いをしていました。緊張が走る試験会場で、甲から盛り上がった大きな黄色いプーさんはさぞや目立ったことでしょう。

「小論文のとき先生が、『外国人の人は英語で書いてもいいです』って言ってたけど、その子は日本語より英語の方が下手だから日本語で書いたんだって。スゴいよね、話せるだけじゃなくて書けるって。」 小論文の課題は「あなたの人生において一番大切なもの」だったそうで、温は「バイリンガルとしていくつもの文化を跨いで生き、どこでも友だちが作れること」を取り上げたそうです。では、韓国人クンは?
「一番大切なものは『お金』なんだって。お金がなければ日本に住めないし、バイトしてお金ができたから日本に来れた。夢があってもお金がなければ話にならない。だからお金が大事って書いたらしいよ。おもしいよね。日本人だったら、友だちとか友情とか、愛とか家族って書くでしょ?『お金』なんて書く人いないよね?」

「いいじゃない、それが文化交流よ。違う価値観でいいのよ。特にその子の場合、その歳で苦労してお金を稼いで、お金の大切さが身にしみたんでしょう。本当に実感がこもっているわ。本当はお金じゃなくて、『夢』が彼を動かしたんだろうけどね。」
「でも、『落ちた〜落ちた〜』って言ってたよ。スっゴくシャイな子だった。」

ガッツの韓国人クンが受かったか落ちたか、私たちは知る由がありません。個人的にはぜひ受かっていてほしいと思います。そこまで思い入れがあれば、入学後の3年間で日本語の遅れは十分に挽回できるでしょう。NZで英語がほとんど話せないままやってくるアジア人子弟たちがあっという間に英語を話し、現地生徒を凌ぐほどの成績を収める例を多数見てきたこともあり、私は彼の成功を信じて疑いません。

特に社会に出る前の最後の貴重な3年間となれば、1日1日を惜しむように日本での日々を送ることでしょう。それが周囲の子どもたちに必ずや何かを残すものと思います。たった3時間をともに過ごした温ですら、これだけ感心しているのですから、彼と机を並べたらもっともっと何かを感じることでしょう。

「あの子、受かったと思う?」
結果が出てから温にたずねてみると、
「ダメだったんじゃない。僕の方が日本語上手かったし。」
という答えでした。一緒に1年遅れの1年生になって日本での生活に目を輝かせながら、漫画の話に花を咲かせることは叶いませんでしたが、私たち親子はプーさんのスリッパを履いた彼のことを一生忘れません。お元気で。

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「マヨネーズ」
今回の温の受験ストーリーは今回をもって「完」といたします。集中砲火の更新にお付き合いくださり、ありがとうございました。子どもたち自身や彼らを取り巻く青春群像の記録「ブルースプリング・レポート」はまだまだ不定期で続きますので、これからもよろしくお願いいたします。


(義母の家でもずっと漢字の練習を続けていた温。その努力は決して無駄にならないよ!→)


西蘭みこと 

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