「西蘭花通信」Vol.0503  生活編  〜ブルースプリング・レポートVol.9:15歳の決心〜                   2010年1月30日

このメルマガが配信される頃、私と長男・温(15歳)は日本に向っています。突然の2人だけの帰国は丸2週間前にあたる、今月17日に決まりました。ちょうどその日、夫と子ども2人は南島ネルソンのモトゥエカという風向明媚な場所での休暇から戻ったところでした。久々に4人で夕食の卓を囲んだ後、私と夫と温は家族会議に入りました。

男3人の旅行中に、温が「日本の高校に行きたい」と言い出したのです。寝耳に水、と言いたいところでしたが、私たちはこの話を薄々知っていました。というのも、この年末年始に兄弟2人で初めて帰国し、それぞれの実家はもちろん、友人知人から多大なサポートを受ける中、温があちこちで「日本の高校に・・・」と漏らしていたのです。気を利かせた友人から、本人がNZに戻るよりも先に、「温クンから話があると思うけど〜」というメールが届いていました。

私たち夫婦は半信半疑でした。ごく最近、本当にここ2、3ヵ月で、急に日本に対して興味を示しだしたとはいえ、それは帰国を前にした気分の高揚だと思っていました。そもそも温は香港生まれで、小さな頃からコスモポリタンな社会で育ったせいか、特定の人種が固まった環境を嫌がり、それが日本人ばかりであっても入って行きたがりませんでした。6歳の夏に香港の日本人学校へ体験入学させたときも、初日は、
「ママ〜、あの学校やだ。日本人ばっかり〜」
と泣きながら帰って来ました。

その後もスポーツといえばラグビーで、周りはイギリス人やオーストラリア人ばかり。ゲームの話となると香港人などアジア人も加わりましたが、所詮はインターナショナルスクールに通う身。言語は英語のみでした。大勢の日本人に会うのは、ラグビーと平行してやっていた柔道のときぐらいなものでした。

親にはそれなりに覚悟が要ったNZ移住も、子どもにすれば単なる転校のようなもの。言語は相変わらず英語であり、
「ママ〜、香港よりお勉強ずっと簡単だよ〜♪」
と2人して初日からホクホクで帰ってきたものでした。そんな暮らしの中で、子どもたちにとって日本は、「おばあちゃんとおじいちゃんが住んでいる、遊びに行く場所」でしかありませんでした。帰国するたびに、「どう?住んでみたい?」と尋ねてきましたが、2人ともキツい冗談でも言われたようにニタニタするばかりでした。

そんな温が、
「日本に住みたい。日本の高校に行きたい。学年を遅らせてでも日本語で勉強してみたい。」
と言い出したのですから、親でも面食らいます。しかし、「どうして?何があったの?」と自分の混乱に付き合っている場合ではありませんでした。そこは親、多少、いや相当の矛盾や不合理でも、キャタピラで踏み潰して前へ前へと進むしかありません。子どもを保護し導くためにも、同じ土俵でワーワー言っている場合ではありませんでした。

「これから準備して日本の秋頃に転校したい。」
と根拠なく言う温に、日本では社会活動のすべてが4月から始まり、学校も例外ではないこと。学年もクラブもとっくに始まった秋にフラリと行っても馴染むのが難しくなる可能性が高い。帰国子女の特典を活かすのであれば編入より入学の方が有利のはず。入学となれば2月が試験期間で今からだったらギリギリで間に合うかもしれない・・・など、思いつくままに伝え、
「どうせ行くなら1年遅らせて、この4月から。」
という、言いだしっぺの本人よりも強行スケジュールを打ち出したのは、この私でした。本音を言えば一刻も早く行きたい温は二つ返事でした。

3人ともよく眠れないまま一夜を明かし、翌日からフル回転で「ニッポンお留学」準備が始まりました。前夜のうちにインターネットからリストアップしておいた帰国子女受け入れ校の1校に電話を入れてみると、県の教育委員会に連絡を取るよう勧められました。温の場合、親が一緒に帰国しないため、「受験資格があるかどうかわからない」と言うのです。
「おっ、親の帰国?!」
これこそ寝耳に水の話で、夫婦で仰天してしまいました。

その後も右往左往、七転八倒があり、最終的に温は受験資格を得ることができ、今日の帰国となりました。日本側との折衝もさることながら、NZ側もこの手のことを実行するには最悪のタイミングでした。時は夏休み。在校証明等をもらおうにも学校は閉まっています。「25日からは事務が再開する」ということを聞きつけ、それまでにできるだけの準備を済ませ、個人的に連絡の取れる先生方には紹介状をお願いし快諾をいただきました。

私は私で付き添いのために3週間も家を空けることになり、スケジュールの調整、取引先との連絡など、通常の仕事を抱えながらも突っ走り、お土産の用意に冬服の準備。果ては植物の植え替えや剪定まで、前倒しで進めておかなければならないことばかりでした。次男・善(12歳)もこの2月からカレッジ(5年間の中高一貫校でNZでは高校の位置付け)に入学するというのに、してあげられたことは文房具と制服を揃えるぐらいでした。

ここまで来たら後は夫に託し、とにかく親子で飛びます!

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「マヨネーズ」
あっという間の2週間でした。「受験できる!」と決まった日にJAL倒産。 翌日から激安チケットの販売が始まり、渡りに舟ならぬ、渡りに飛行機でした。差額でノートパソコンとお土産代が出たと思います。ありがとう、JAL?!

いつも香港経由で帰国していたので、直行便での帰国も機材NZ航空というのも初体験。
飛んだら寝ます!

(子どもたちが帰国して約40日でまた帰国。あのときのお土産はクリスマス・ラッピング。今回はバレンタイン・ラッピングでした^^;→)


西蘭みこと 

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