「西蘭花通信」Vol.0502  生活編  〜水の意思〜                   2010年1月26日

お気に入りブログの一つ、masaharu1932さんの「私の見た自然」を覗かせていただいていると、美しい氷の結晶の写真に遭遇しました。長年の南国暮らしの果て氷点下にならないオークランドで暮らし始め、この目で氷の結晶を見た記憶がない私は、「きれいなものだな〜」と、食い入るように見てしまいました。    

その時ふと思い出したのが、香港時代にいただいた録画テープでした。日本の民放の番組を録画したもので、番組の中で一つの実験をしていました。いくつかのガラスのシャーレに水を入れ、二手に分けます。片方のグループのシャーレの一つ一つに出演者が「バカ」「被害妄想」といった否定的な言葉を掛けていきます。もう一方のグループには「きれい」だったか「愛してる」だったか(忘れましたが)、いずれも肯定的な言葉を掛けていきます。  

次にすべてのシャーレを同一条件で凍らせます。できた結晶を拡大してみてみると・・・・
否定的な言葉をかけたシャーレの結晶は歪んでいたり、結晶を結ばずばらばらになっていましたが、肯定的な言葉をかけたシャーレの結晶はどれも見事に六角形を描いていました。写し出された結晶は美しいばかりでなく、私には堂々と誇らし気にさえ見えました。  

実験の言わんとしていたことは、「水にも意思がある」ということでした。出演者も「人間の身体は70%が水分だから、ネガティブな言葉には気をつけたいですね」と、いうようなコメントをしていました。そのときは子育て真っ盛りで、ついつい子どもを叱ってしまう頃だったので、「叱るにしても言葉使いには気をつけよう」と、自分が置かれた状況に"翻訳"してメッセージを受け取っていました。  

あれから6年以上経った今、気が付けば「水の意思」を前より実感できる日々を送っていました。それは植物を通してです。一昨年あたりから見よう見まねでガーデニングを始め、家を買ったときから庭に放置されていた植木鉢や柑橘の老木を世話するうちに、漠然と「植物には意思がある」と感じ始めていました。それはいつも予想外なもので、世話をする対象への愛着や思い入れという自分の感情の投影とは違うもののようでした。  

黙々と植え替えをしているときに、ふと「木が喜んでいる」と感じるときもあれば、バケツの水を撒こうとして、まるで呼ばれたかのように1本の木に目が行ってしまうなど、最初は不思議に思うことも度々でした。そのうちすっかり慣れてしまい、
「はいはい、お待たせ。喉カラカラだよね」、
「ちょっと床屋さん(=剪定)するけど恐がらなくていいよ。さっぱりするよ」
と、心の中で声をかけるのが習慣化してしまいました。  

そのうち、やはりお気に入りブログで長年楽しませてもらっている、みみねっとさんのブログ「オーラ日記」 の「植物テレパシー 植物の神秘生活」という記事 で、
「しば刈りが職業の男性がドアからはいってくると 植物は恐怖の感情をだす」
とか
「植物はいつも世話してくれるひとを覚えていて、そのひとが旅行にいっても感情的につながってる」
ことなどを科学的に検証したという、「植物の神秘生活」(ピーター・トムプキンズ著)という本が紹介されているのを読み、
「これだ!」
と衝撃を覚えたものです。

「植物の反応」は「語る」などという複雑なものではなく、
「嬉しい」
「恐ろしい」
「弱っている」(ときには「淋しい」「疲れている」と感じることも)
と非常にストレートなもので、電動トリマーの音には明らかに怯えている気がするので、「恐怖の感情をだす」という表現はストンと胸に落ちます。

特に大きな木の下に立つと、メッセージが受け取りやすいようです。鉢植えの小さな植物でも、近づいて行ったときにそれまで皆で囁き合っていたお喋りがピタリと止み、一斉にこちらを見ているような気になるときがあります。

今まではこれら「植物の反応」を「植物の意思」だと思ってきましたが、結晶の写真を目にしてから、
「もっと根本的な、植物が大量に含有している水の総意だったら?」
と思い当たりました。少なくとも「水の意思」はテレビ番組を通してこの目で見ることができました。水が支配する「植物の意思」がその代弁であっても不思議はなさそうです。

さらに話を飛躍させれば、70%が水分で成り立つ人間も知らず知らずのうちに「水の意思」を持っているのではないでしょうか?しかし、人間の状況は複雑で、
「顔で笑って体内の水で泣いて」
ということが日常茶飯になり、なにが本当の意思なのかわからなくなっているのではないかと思います。

例えば、部下が立派な企画書を上げてきて内心舌を巻いても、ここで甘い顔を見せたらつけ上がると、「まだまだ詰めが甘い」と否定的なことを言う人がいたり、かけっこで2番になった子どもに「自分はいつもビリだった」と感心しながらも、「なんで1番ではなかったのか?」と言ってしまい、子どもの顔を曇らせてしまう人がいたり・・・・

突拍子もない発想かもしれませんが、「水の意思」を信じて言葉や態度を選ぶことは、悪くなさそうです。部下を信じきれない自分、子どもを心から褒められない狭量の自分を手放し、
「スゴい!」
という最初の感情を素直に言葉や態度にできたら、何かが変わっていきそうです。

70%の自分を信じて、一歩前へ。

(淡水では世界一の透明度を誇るというモトゥエカのテワイコロププ・スプリングスの水。人々の賞賛を浴び続ける“幸せな水”→

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「マヨネーズ」
動植物がお好きなら、masaharu1932さんのブログはたまらないと思います。
優しい視線に膨大な知識。庭先から世界各地に至る内容は親しみ易く、格調高く。

スゴい!

西蘭みこと 

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