「西蘭花通信」Vol.0469  生活編  〜DNAの旅〜                  2008年11月16日

先日、香港と日本へ里帰りをしていたとき、友人の1人が興味深い知人の話をしてくれました。その知人は日本人ですが長年ロシア語を習いたいと思っていたそうです。しかし遠い国の遠い言語、なかなか機会がなかったようです。ある日、その人はDNA鑑定を受けました。自分の来し方を科学的な方法で探ろうとしたのでしょう。その結果、自分のルーツが「バイカル湖の畔(ほとり)」だったことが判明し、本人は迷うことなくロシアに飛び、今では現地で結婚しすっかり落ち着いているそうです。

話を聞いてとっさに、
「日本人がバイカル湖?」
と思いましたが、同時に数年前に読んだ新聞記事が思い出されました。黒人ばかりが住むスラム街で生まれ育ったアメリカの黒人男性が自分のルーツを知りたくなりDNA鑑定を受けたところ、彼にはアフリカ人の血は流れておらず、インドやマレーシアをルーツに持つことがわかりました。ずっとアフリカ系のブラックだと信じてきた彼はアイデンティティー・クライシスに陥り、母親さえも信じられなくなってしまったという内容でした。揺るぎない結果ゆえに印象に残る記事でした。

また最近の話として、NZを代表する2人のコメディアン、サモア系のオスカー・カイトリーとマオリのネイサン・ラレレがDNAを基に自分たちのルーツを辿るドキュメンタリー・フィルム「メイド・イン・タイワン」を製作し話題になったことがありました。2人はNZから北上を続け最後は台湾に辿りつきます。あまり知られていないことですが台湾の先住民(中国語では「高山族」、植民地時代に日本人が勝手に付けた名称は「高砂族」)は、かつて首刈りの習慣を持っていた褐色の肌のポリネシアンなのです。

こうした逸話には鑑定の基になる人種や民族のサンプルの精度がどこまで高いか、という論議もありましょうが「自分のルーツを知りたい!」と思う人が鑑定に臨めば臨むほどその精度は高まっていくのでしょう。全人類の先祖は東アフリカに住んでいたたった1人の女性「ミトコンドリア・イブ」にまで遡れるという話もあるくらいですから、鑑定がねずみ講のように広がっていったら戦争がなくなったりしないでしょうか?ユダヤ人とアラブ人など殺しあっている場合じゃないくらい親しいのでは?

では、自分のDNAを辿っていったら私はどこへ行きつくのでしょう。もちろん鑑定してもらったことがないので皆目わかりませんが、
ズバリ!ポリネシアン♪
ではないかと思っています。生涯初のポリネシアンとの遭遇は先の台湾先住民でした。大学生のときに彼らの存在を知り、交通の大動脈である台湾の西側に比べあからさまに未開発の東側を何度か旅行しました。しまいには数人しか乗れない小さな飛行機で緑島という名の先住民族の島にまで足を延ばし、大きな耳輪をした裸足の老人と日本語で話をしてきました。(その世代は自分たちの言語と戦時中に強要された日本語を話し、戦後に入ってきた中国語はほとんど話せません)

次の遭遇は24歳で初めてフィリピンに行ったときでした。有名なマニラの渋滞に巻き込まれタクシーの中からうんざりしながら外を見ていると、道端で上半身裸の男性がつるはしを振るって道路工事をしている姿が目に留まりました。
「おとうさん?」
ふとそう思いました。

日に焼けた汗で輝く褐色の背中が、子どもの頃の夏の日に上半身裸になっては庭いじりをしていた父のものと瓜二つで、完全に忘れていた遠い日の記憶が一気に蘇ってきました。私は何度その背中に向かって
「おとうさん、ご飯だよ。」
と声を掛けたことか。

あまりの不思議さに私は食い入るように見ていました。手を休めて立ち上がった男性の背格好もまた父にそっくりでした。身長160cm台。引き締まった筋肉に浮き出る肩甲骨、硬く丸みをおびた肩、そして上腕。そのとき男性の横顔がチラリと見えました。それは父とは似ても似つかぬ「若い外人さん」のものでした。
「まさかね。」
横顔を目にしてさすがに現実に立ち返りましたが、それまでは我が目を疑うほどだったのです。あの旅行のことはほとんど思い出せないのに、あのときに受けた衝撃は今でも思い起こすことができます。

3回目は本格的な遭遇でした。ここでも何度か取り上げてきた香港時代の住み込みのお手伝いさん、ジーナの登場です。彼女とは狭いマンションで9年間もそれはそれは仲良く暮らしました。労使関係などというものを突き抜けた、かといって友だちでも家族でもない、一言では言い表せないなんとも親密にして礼儀正しい関係で、それは今も続いています。彼女を通じて知ったポリネシアン的な考え方や文化は非常に新鮮なものでした。
                             (こんな子たちや→)

そしてニュージーランド移住。最大都市オークランドではどこへ行ってもポリネシアンが風景の一部として目に入ってきます。彼らやその暮らしぶり、価値観を知れば知るほど興味が湧いてきます。今までの自分の生活と接点がないことばかりなのに惹かれるのです。とにかく身体の大きな褐色の彼らを見ていると、老若男女を問わず抱きつきたくなるような衝動に駆られ、クリクリの目の子どもは抱き上げて頬ずりをしたくなることもしばしばです。まったくわからない彼らの言葉も妙に耳に心地よく、何でもかんでも大のご贔屓でいつのまにか自他ともに認める大の"ポリネシアンLOVE"になっていました。
              (こんな小母さんや→)

だから何なのか、それがどうなるのか、今はまったくわかりません。でもいつかどこかで自分のルーツを知ることがあったらここでまたご報告しましょう。今は家に大きな身体の彼らが頻繁に遊びに来て、狭い廊下をのっそりのっそりと入ってくるような光景が日常化したらいいな〜と思っています。

(こ〜んな人たちと、ナゼかど〜っぷりとお知り合いになりたいのです♪ 2008年のポリネシアンの祭典「パシフィカ」にて→)


西蘭みこと


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