「西蘭花通信」Vol.0468  NZ・生活編  〜学校チャチャチャ:デシル〜        2008年11月12日

ニュージーランドの公立校は各校が独自に運営されており、日本とは様子が異なります。教育省は"デシル"と呼ばれる公立校のランキングに基づき、小学校から高校ますべての学校を十段階で評価しています。各校にはデシルに応じて国から補助金が支給され、デシル1なら経費のすべてが国持ちですが、デシル10であれば施設費(校舎の維持費等)と一般教員の給与が支給される程度で、あとは寄付を募るなどして自前で賄うことになります。

デシルに関しては2005年のメルマガ「学校チャチャチャ」にも書いたので、長いですが引用してみます。
『ランキングはその学校に子どもを通わせている家庭の社会的経済状況を反映したもので、学校の施設充実度、ましてや子どもの学力とは一切関係がありません。恐るべきことに、各家庭の世帯収入、子どもの数、親の学力・職業、社会保障を受けている親の構成比が算出基準になっているのです。

そうなると子どもの数が少なく、経済的に裕福な中流層が集まる場所は高ランク、子沢山で生活保障を受けている人が多く集まる場所は低ランクとなります。自ずと前者は白人やアジア人の多い場所、後者はマオリやアイランダーなどポリネシアンの多い場所となりましょう。しかし、公立校ですから学区が指定されている以上、好むと好まざるとにかかわらず、学校は自然に決まってきます。5歳の誕生日を迎え心躍らせながら入学してくる子どもにとり、自分の学校が "デシル1"の最低ランクという烙印を押されていたとしたらどうでしょう? 数字には彼らの期待や入学後の努力を映し出す余地はないのです。』

このようにNZには官製の「良い学校」「悪い学校」があるわけです。デシルが高くなれば政府からの補助金が減るため、不足分は寄付として保護者から徴収されます。デシル10なら追加の補助金が一切出ないため、音楽や体育の教師も学校持ちとなり、保護者が寄付を通じて彼らの給料を負担することになるのです。政府は高デシル地域の住人であれば自分たちで必要経費が負担できると判断しているわけです。

西蘭家も2人の子どもの学校に年間それぞれ数万円を支払っています。「公立育ち・公立大好き♪」の夫婦としては、公平・平等を旨とするはずの公立校を親の懐具合で色分けし、お互いの偏見と誤解を助長するようなデシル制度には憤懣やるかたないのですが、子どもにとってはデシルが何でもそれが自分の学校であり、親がいくら負担しているかなど知ったこっちゃありません(金額は伝えていますが)。しかし、そんな子どもたちも実は学校の資金集めに借り出され、直接間接にデシルの影響を受けているのです。

例えば次男・善(11歳)の学校が実施した、「ナリッジソン」(知識のナリッジ+マラソンの造語)。これは100問からなる一般常識テストで、生徒はテストの前に正解1問につき特定の金額を支払ってくれるスポンサーを探しておきます。テスト後、スポンサーは正解数に合わせて約束した金額を支払います。具体的に言えば、1問につき10セント(約6円)の約束で生徒が90点をとれば9ドル(約540円)が学校への寄付となるわけです。スポンサーを10人見つければ5,400円となり小額ではありません。

子どものスポンサーですから親、祖父母、近所の人、親の友人などが中心ですが、通常は生徒が自分で探してきます。強制参加ではないのでスポンサーがいなくてもかまいません。スポンサーにはならなくても寄付をしてくれる人もいます。長男・温(14歳)はこの手のことにまったく興味を示さないのですが、チャレンジ精神旺盛の善は放課後に記入用紙を携えて近所を1軒1軒まわってきました。

果たして、集めたスポンサーは20数名。中には日本語補習校の先生まで混じっています。大半がテスト結果を問わない寄付で金額は2〜10ドルまでさまざま、平均5ドルといったところでした。善の得点は96点で(注:資金集めが目的のせいか高得点が出るような出題らしいです。学校も抜かりありません)、最終的に100ドル60セント(約6,000円)を稼ぎ出しました。スポンサー探しにかけた時間はせいぜい小1時間。時給6,000円@@;

       (集めに集めたり20数名のスポンサー!親でもできません→)

この金額はクラスで3番だったそうです。1、2番は祖父母からポーンと大枚の出たキウイだったので、親類縁者のいない新移民としては大奮闘だったと思います。でも本人はケロっとしたもの。資金集めの趣旨はともあれ、これだけ見ず知らずの人(スポンサー中で既知の人は5人のみ)を訪ね、話をし、賛同を得て財布を開いてもらうことは、子どもへの温情を差し引いたとしても、そうそうできることではないでしょう。たいしたものです。

テスト結果を報告し集金に行ってきた善は再びスポンサーと話をし、聞かれるままにテストの内容などを説明してきたそうです。こうして知らず知らずのうちに磨かれる社交性や人を見る目、恩を受けるありがたみや達成感は貧弱な学校財政とは裏腹に子どもたちの豊かな経験となりそうです。そう思うことで制度への不満に対し、少しは溜飲を下げられそうです。

「与えられた環境の中で常に幸せをみつける」――いつもそれを「目指して」いますが、子どもはとっくに「実践」して先を行っていました。

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「マヨネーズ」
3年前に連載にするつもりで考えに考えて書き始めたメルマガ「学校チャチャチャ」。しかし、2回目で一頓挫。当時はまだ子どもがその学校に通っていたこともあり心境は複雑でした。今は2人とも卒業し学校とも縁が切れホっとしています。この国の学校運営や教育の問題はいすれも深刻だと思っており(どの国も問題アリでしょうが)、事あるごとに記録に残していければと思います。まずは国民党新政権下でどう変わるか?

西蘭みこと

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