「西蘭花通信」Vol.0458  NZ・経済編  〜眺めのいい部屋U〜             2008年3月11日

若いハンサムなキウイの青年は、パートナーと8ヶ月前に買ったレンガ造りのアパートを買値と同じ値段で売ろうとしていました。明るく眺めのいい部屋でしたが、私の率直な意見は「安くないな」でした。彼らがその物件を買った去年の3、4月は、毎月のようにニュージーランド準備銀行(中央銀行)が政策金利を引き上げなければならないほど物価が上昇し、不動産も含めモノの値段に先高感のある時期でした。しかし、経済の見た目の過熱感とは裏腹に、多くの企業や個人が高金利に苦しんでいました。そんな中、不動産市場は危うい均衡を保ちながら、不気味なほどジリジリと上昇を続けていたのです。

そして迎えた7、8月。アメリカのサブプライム・ローン問題に世界中が震撼し、金融市場はパニックに陥りました。株が暴落し、為替が急騰落し、クレジット市場が大混乱をきたし、各国で一斉に信用収縮が始まりました。市場の風景が一変してしまったのです。これはもう水準調整などという生易しいものではなく、シナリオを一から書き直さなければならない大転換――と、私の目には映りました。そうであれば、外れてしまった今までのシナリオが一番危険です。様子見と称して現状維持を続ければ、命取りになりかねません。

「ワルくない値段だと思いますよ。それが8ヶ月前なら・・・」 という私の返答は真意でした。しかし、私が彼に会っていたのは去年の12月初旬。アメリカから始まった不動産の下落は住宅ローンの構造が非常に似通っているイギリス、オーストラリアへも飛び火し始めていた頃で、私にとりNZが崩れるのは「時間の問題」でした。


(NZでは標準的な家を不動産屋経由で売却すると、国民の平均年収ぐらいの手数料を取られるため、最近は持ち主が自力で売る傾向が強まっています。この物件もネット上で売りに出ていました。こうした傾向も相場が下向きになってきた証の1つでしょう→)

「ボクたち、そんなに焦ってはいないんです。海外に行くのは1月終わりの予定なので、それまでに売れればいいわけで。今はクリスマス前だし年明けにずれ込んでも構いません。」
彼は笑顔が消えた表情を再び緩め、そう言いました。不安が4割、自信が6割、そんな印象です。この国の住宅販売の平均所要日数は約30日。いくら年末年始を挟むとはいえ11月初旬に売り出した物件が1月まで残っていたら由々しきはずですが、私は黙っていました。

「私たちも焦ってはいません。投資物件として検討しているので、条件が合わなければ見合わせます。これからの相場を考えると待った方が得策かもしれないし・・・」
私は物件の一下見客でした。インターネットで何かを検索していた時、偶然その物件に目を止め、立地と眺望の良さから一目で気に入りました。挙句に不動産投資など考えてもいなかったにもかかわらず、連絡を取ってみたのです。眺めの良さは想像以上でした。

冷やかしだったはずが、銀行を回ってローンの確約を取り付け、外貨しか持っていないので真剣に為替を見始めと、価格が合えば購入するつもりで下準備を進めました。その日は2回目の下見で、私たちは「オファー」と呼ばれる希望価格を提示するつもりでした。先方も当然、それを期待していました。会話の中では何人も下見客があることになっていましたが、質問への対応ぶり、彼らが準備している書類の数からみて、私たち以上に話を進めている相手はいなそうでした。私たちが唯一の見込み客だった可能性もあります。

会話が途切れ、その時が来ました。私はさらに声を低め、ゆっくりと話しました。
「オファーを入れます。でもこれはクリスマスまでの期間限定です。それ以降は海外から友人も来るし、弁護士も休みに入ってしまい都合がつかなくなるので・・・。」
控えめながらも期待のこもった視線を受けながら、私が口にした金額は彼らの希望価格をちょうど15%下回っていました。

「クリスマスまで検討する必要はなさそうですね。その値段では受けられません。損をしてまで売るつもりはないので・・・」
彼は力のない笑顔を浮かべながら、即座に言いました。
「わかりました。では年明けにでも機会があればまたお話しましょう。メリークリスマス。」
私はソファーから立ち上がりました。 オファーを受けたら、彼らが銀行に納めた頭金は戻って来ないでしょう。8ヶ月の不動産投資で彼らは虎の子を失うことになります。私も上値を追うつもりはなく、それ以上の交渉はしませんでした。

ただ、自分たちが彼らにとっての終バスのような気がしてなりませんでした。この機会を見送った後、彼らが次の夜明けまで長い長い夜を過ごさなければいいと、心の中で真剣に思っていました。いったん返済に行き詰まれば頭金を失うどころではなくなります。銀行に家を差し押さえられ、競売にかけられ、それでも足りない残金が借金として残ってしまいます。
「グッド・ラック――」
声には出さなかったものの、私はそう彼に告げアパートの階段を下りていきました。

ここ最近、不動産の下落が新聞記事にならない日はなくなりました。彼らのアパートは売り出してから5ヶ月目に入っていますが、いまだに同じ値段で売りに出ています。一銭も引く意思はないようです。海外に出るはずだった1月末をとうに過ぎ、2人で返済を続けているのでしょう。あの眺めのいい部屋で私たちはまったく違う風景を見ていたようです。好印象だった彼らとあの部屋に、改めて、
「グッド・ラック! 」

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「マヨネーズ」
連載がいつも未完になってしまうので(すっ、すいませんTT)、今回は上下を書いてから送信を始めました。ですからこの話は無事「完」です〜´。`A 

ニュージーランドの景気は確実に悪化していると思います。エネルギー価格の上昇だけでも半端ではありません。今のところ労働市場が安定しているので表面的には落ち着いているように見えますが、リストラが始まればここの風景も一変しそうです。しかし、永遠に上昇し続けるものも下落し続けるものもありません。山あり谷ありですね。人生と同じです。

西蘭みこと

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