「西蘭花通信」Vol.0457  NZ・経済編  〜眺めのいい部屋〜     2008年3月5日

明るい眺めのいい部屋でした。目の前には若くてハンサムな金髪の青年がいます。彼は高く低くもない心地よく響く声で、優しく穏やかに話しています。笑顔を絶やさず、こちらの一言一言に軽くうなずきながら、ゆっくりとしかし淀みなく話を続けていきます。物腰も洗練されていて、投げかけてくる興味深そうな視線は、正直でありながらガツガツしたところがなく、好感が持てるものでした。

私はゆったりとソファーに腰を下ろし、自分より一回り以上は若そうな彼を見上げながらいつもより低めの声で淡々と話していました。無意識のうちに、若く軽く前向きな彼の反対側の立場に回っていたのでしょう。ある程度経験を積んだ、重みのある慎重な役回りを自然に演じていたようです。

「どう思いますか?」
「いい家じゃないですか。明るいし、風通しもよさそうだし。眺めも素晴らしいですね。」
「ボクたちもそう思ってて。一目見て気に入ったんです。便利だし、静かだし、緑も多いし。」

確かにその家はグルりと高い樹木に囲まれ、階下はむしろ薄暗いくらいかもしれませんが、私たちがいた2階のリビングは何ひとつ視界を遮るものがなく、うねうねと続く家々の屋根の向こうに青々とした小高い丘を望む素晴らしい眺望でした。疲れて帰宅したときに、部屋からこんな視界が広がるのは幸せなことでしょう。きっと夜景もきれいなはずです。

ハンサムな青年とパートナーはその家、正確にはユニットと呼ばれるレンガ造りのアパートの2階の1戸を8ヶ月前に買ったところでした。知り合いの不動産屋から声がかかり、市場に出る前に割安な価格で購入できたと満足そうに語っていました。若い2人は力を合わせて住宅ローンの返済を続け、将来に向けて資産形成に励みました。気に入った家。一緒にがんばってくれるパートナー。何もかもが上手くいっているようでした。

しかし、彼らは家を売ることにしたのです。

「どうしてもいい仕事が見つからなくて。今、ボクたちは2人とも2つのバイトを掛け持ちしながらローンを返済してるんです。このまま続けてもいいけれど、なかなか先も見えなくて。海外で働けばもっと稼げるので、若いし外の世界も見てみたいし、思い切ってオーストラリアか香港にでも行こうかと思っています。この家は気に入っているので手放すのは惜しいんですが、落ち着くまではローンが負担になるだろうから売ることしたんです。」

青年の言葉は非常に率直でした。定職のない2人によくぞローンが付いたものだと思いながらも、初めてのマイホームに心を躍らせ、その後に返済負担の重みを知り、今、それを諦めようとしていることもよくわかりました。彼らが頭金をいくら納めたかはわかりませんが、30年ローンが組めていたとしても、1週間の返済額は4万円を下回ることはないでしょう。25年ローンであれば4万5千円以上になっているかもしれません。いずれにしても日曜日も働くアルバイトの2人に月18万円の負担は少なくないはずです。

「返済に行き詰った」とは言えないにしても、それが時間の問題であることを本人たちはぼんやりながらも自覚しているようでした。4つのアルバイトのどれが欠けても立ち行かなくなってしまうのでしょう。ニュージーランドの労働市場は失業率3%台という経済先進国の中では突出した良好さを誇っているものの、その数字は彼らのような非常に流動的な立場の大勢の人たちに支えられているのです。現状は未曾有の好景気という表面張力に支えられているものの、いったんその緊張が破られればたくさんのヒト、モノ、カネがコップから溢れ出てしまうかもしれない、危うい均衡。彼らは何かを嗅ぎ取っていました。

「どう思いますか?」
彼は満面の笑顔に自信と好奇心を忍ばせて、再び聞いてきました。
「ボクたちはいい値段だと思ってるんですが。決して高くはないでしょう?」
彼らは自分たちが買った値段でその家を売ろうとしていました。その間に銀行に支払った金利は諦め、とにかく納めた頭金を回収しようとしているのです。値上がり益で儲けることはとうに諦めていましたが、買値よりも安く売った場合は穴埋めに頭金の一部を失う、つまり損をすることになるので、その点だけは絶対に譲れないようでした。

「そうですね。ワルくない値段だと思いますよ。」
私の同意を得て彼の整った顔がパッと明るく輝きました。まるで褒められた子どものようです。しかし、返答はそれに止まらず、忍びないながらも私は言葉を続けました。
「それが8ヶ月前なら・・・」
彼は言葉を失い、身体は自然と後に引いていました。会話の間中、 絶えることのなかった笑顔が消え、表情は硬く平たく変っていました。(つづく)  

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「マヨネーズ」
2008年ももう3月。メルマガもホームページも年越ししておらず、2007年のままで申し訳なく思っていました。ずっと気にはなっていたのですが、やっとメルマガのためにパソコンに向かうことができました。どうもブログとは書く時に必要なエネルギーレベル、というか気合が違うようです。大げさですかね?(笑)

今年も先が読めない配信になりそうですが、時間の隙間を見つけてはなんとかやっていこうと思っていますので、よろしかったら気長にお付き合いください。数々の未完の連載に関しては申し訳ない限りですが、完結を諦めてはいないので、いずれがんばります。通信が絶えないようブログの日記「さいらん日和」だけは定期更新していますので、よろしかったらのぞいてみてください。今年も超〜遅ればせながら、よろしくお願いいたします。
 
西蘭みこと

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