「西蘭花通信」Vol.0437  生活編  〜12年目の試練Y〜            2007年3月5日

「アンタ、誰に何言ってのか、わかってんだろうな!」
私たちがわずかばかりの資金を融資していた社長は、返済を求める私に掌を返したように凄んできました。
「動揺している。」
私は冷静でした。長い間働いてきて良かった、とも思っていました。自分より年上の男性に大声を出されても、さしてひるみません。「買った株が下がった」といってはねじ込まれ、「成りゆき買いの値段が高い」と言っては怒鳴られ、ずい分鍛えられたものです。

「わかりました。残念ですが返済のご意思がないようなので、ここから先のご連絡は弁護士を通して行うことにいたします。一時的にでもお助けできればと思ったことが浅はかでした。御社のますますのご発展と○○社長のご健勝をお祈りいたします。」
私はそう言い、電話を切りました。感情に身を任せてしまった人にそれ以上言うことはありませんでした。最後の一言は嫌味でもなんでもなく、彼らが一刻も早く信用不安を克服し通常の経営状態に戻り、返済してくることを念じていました。銀行家は常に債務者の健康を祈るものです。

試練の36歳が終わっていいはずの37歳と1ヶ月目にして、私たちは生涯初めて弁護士に手紙を依頼しました。相手は私たちが本当に弁護士経由で話を進めてくるとは思っていなかったらしく、慌てて香港で弁護士を雇い反論してきました。依頼主の説明だけを元に書かれた反論の手紙は、
「これだけ慇懃な英語でここまで口汚く罵れるものなのか。」
と感心してしまうくらい、文面全体が叫んでいました。故意に問題の的を外し、
「返済を求めて訴える。」
と脅しをかけてきました。
「借りてもいないものをどうやって返すんだろうね。」
夫と2人苦笑いをしながら、その後の展開への覚悟を決めていました。

私たちは弁護士に指示された通り、相手との関係、融資までの経緯、その後のやりとり等、その時点に至るまでの記憶にある限りのことを書面にまとめていました。私がかけた社長への最後の直談判の電話以外、すべての交渉は夫が行っていたため、彼が話し私がパソコンに打ち込んでいくという作業が夜な夜な続きました。記憶の裏取りのために銀行口座の残額や振り出した小切手の確認など細かい作業もあり、灯りをこうこうことつけ、ダイニングテーブルいっぱいに書類を広げては、日中の仕事のように淡々と進めていきました。

「私たちまで感情に飲まれてしまったら相手の思う壺。仲違いをしたらとても裁判など闘えない。何があっても私たちは一枚板。そうでなければあのお金はドブに捨てたと思って諦めよう。諦められないうちは自分たちが持てるすべてを総動員してがんばろう。」
私たちは諦めませんでした。インターネットへの悪意ある書き込み、相手から夫への聞くに堪えない物言いや嫌がらせ、相手弁護士の手紙、友人だと思っていた人たちの心無い言葉など、はらわたが煮えくり返るようなことは多々ありましたが、毎回その感情こそをドブに捨てることにしました。

今振り返えると、あの12年目の試練の年に一番試されていたのは、『夫婦の絆』だったかと思います。私にとり、話を持ってきた夫に対し、
「あなたが余計なことに首を突っ込まなければこんなことにならなかったのよ。あんな会社、潰れようがどうしようか関係ないじゃない。」
と白を切り、自分だけ安全地帯に避難し、そこから彼をなじっては自己防衛を図ることは可能でした。しかし、そんなことが何になるでしょう?自分可愛さに夫婦関係を崩壊させる本末転倒です。

(あらゆる状況下でたくましく生き抜いていくさノウハウを教えてくれた街、香港。あの街で最悪の年女を迎えたのもまた運命です。香港人は温かかったです→)

問題の泥沼化が明白になったごく初期に、やり場のない後悔を夫にぶつけたことがありました。非難の言葉は、自分にも向けていたつもりです。銀行の共同口座から小切手を振り出すことに同意したのは私自身なのですから。しかし、その時の夫の傷心ぶりは私を深く反省させ、それ以降、彼を非難することは一切止めました。それからも私の言葉に彼が傷ついたことはあったかもしれませんが、私に彼を責める意図はまったくありませんでした。数百万円のために夫婦関係どころか家庭を崩壊させるなど、とんでもないことです。

吐き出すことも飲み込むこともできない胸の支え。あの苦しさを分かち合えるのは夫だけでした。私たちは仲違いをするどころか、苦しみに導かれ、結婚以来初めて、これ以上ないほどに固く結ばれました。お互いの迷い、逃げ、苦しみ、希望、絶望、自信、不信が手に取るように、わかるようになったのです。ここまでバレてしまえば、言い訳も、嘘も、相手の顔色をうかがうことも無意味でした。逆に言えば生半可な部分を残しておけないほど追い詰められていたとも言えます。
「考えていることがわかる!」
辛いながらも、それはささやかな感動であり、希望でした。

信じるのは夫だけ。彼は、それが切れたら2度と立ち上がれないアキレス腱そのものでした。19歳から自活してきた独立独歩な私にとり、誰かをそこまで受け入れることは初めてのことでした。結婚後も自分の経済力を手放さず、
「結婚は『1+1=2』。『2』はいつでも元の『1』と『1』に戻ることができる。」
と信じていた私にとり、『1+1=1』となり得ることを実感したことは、かけがえのないことでした。
「私たちは本当の夫婦になった。」
夫の重苦しい言葉をパソコンに打ち込みながらも、私の心は軽くなっていきました。36歳を経て、初めて心を開くことを学んだのです。(つづく)

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「マヨネーズ」
「早く続きを〜」というメールがポツポツ入るこの連載。チンタラやっててすいません。でもでも、ここオークランドでは毎日感動の連続で、腹を抱えて笑ったり、涙が止まらなくなったり、その涙も乾かないうちに目がテンになったり、いろいろあって話はついつい脱線がち。
「そのアップダウン、ひょっとして更年期?」
って言われそう><;

西蘭みこと