「西蘭花通信」Vol.0436  NZ編  〜誰かの誰かに〜            2007年2月28日

毎年この季節は、私が勝手にそう呼んで楽しみにしている「オークランド秋の三大祭り」があります。3つのお祭りとは、
難民支援団体主催の「インターナショナル・カルチュラル・フェスティバル」
中華系移民の一大イベント「ランターン・フェスティバル」
パシフィック・アイランダーの祭典「パシフィカ」
です。(詳細はコチラをどうぞ)
(パレスチナからの難民。ダンスの前のスピーチが印象的でした→)

先週の日曜日は、皮切りとなった「インターナショナル・カルチュラル・フェスティバル」に行ってきました。生活の中であまり見かけない、スタイル抜群のアフリカ系移民を大勢目にするのもここなら、普段はインド系、中国系と外見だけで判断されてしまう移民が、スリランカ系やパキスタン系、またはベトナム系やカンボジア系と本来の姿に立ち返り、民族料理をふるまったり、伝統芸能を披露したりするのもここなのです。

私は骨の髄から人種の坩堝(るつぼ)と言われる場所が好きで、肌の色も宗教も文化も生活習慣も貧富も言語も何もかも違う人が普通に行き交い、言葉を交わし、学校や職場で机を並べる光景こそ、狭くなった現在の地球の真に平和な姿だと信じています。(自国民だけであればどこにでもある光景でしょうが、本当の多民族となるとなかなか数少ない光景かと)このフェスティバルは心に描く理想の平和を垣間見せてくれます。特に難民という最も厳しい環境の中でこのニュージーランドにたどり着いた人たちが、楽しそうに歌ったり踊ったり、自国語で話したり流暢な英語を操っているのを見聞するだけでも感動します。

私もまたこの国を選び、たどり着き、永住することを認められた者であり、事の経緯は違ってもここで次世代を育み、彼らの将来をこの国に託し、彼らにこの国を、自由を、緑を託していく者でもあります。それまでの生活を手放し、愛する家族とそれまで培った経験と、持って来られたわずかの物だけを頼りに新しい生活を築いていく移民第一世代として、肌の色が違っても言語が違っても、心は自然に彼らに駆け寄ってしまいます。

今年は会場が広くなり、大きな公園を借り切っての開催でした。ステージも3ヶ所に増え演目もまちまちなので、どこに行くか迷うところでしたが、私は一番奥のステージの正面に座り込み、目の前で次々と繰り広げられる音楽やダンスを堪能していました。そのうち難民の子どもたちによるパフォーマンスが始まりました。ほとんどがティーンエイジャーでしたが、中には息子たちくらいの小学校高学年から中学生くらいの子もいました。

本国のシーン。小さな黒人の男の子が目を閉じ、棒のように硬くなって横たわっています。わらわらと集まってきた人たちはおろおろと慌てながら、真っ赤な長い長い布で彼をくるんでいきます。一重、二重と一人一人が巻いていきます。赤は血潮、巻いていく過程は埋葬を表しているのでしょう。ミイラのように包まれた男の子はそのまま棺のように静々と運ばれていきました。一枚の布だけを使った素朴ながら鮮やかな場面でした。

「この子たちは今よりずっと小さかった時か父母の時代に、こんなシーンをかいくぐってきたのね。人が死んでいくところばかりか、屍を乗り越え乗り越え、ここまで逃げてきたのかもしれない。この年で親や兄弟を亡くしている子もいるのでしょう。」
そう思った瞬間、目の前のステージにグンと引きつけられていくのを感じました。
(国旗を見ただけでは簡単にはどこの国かわからないほど→)

空港のシーン。到着ゲートで飛行機から降りて来た人が次々と迎えの人と抱き合い再会を喜んではステージから消えていきます。最後にひとり残ったあの黒人の男の子。彼は観客に背を向けて立っています。待っていても誰も来ません。彼だけが取り残されてしまったのです。屍を越えてきても待ち受けていたのは冷たい現実、なのでしょうか? しかし彼はクルリと振り返り、観客に向かって力強く叫びます。

"I have somebody."(ボクには誰かがいる)

"I have somebody. "
"I have somebody. "
"I have somebody. "
彼の叫びに呼応してステージから消えていった人たちがだんだん戻ってきました。みな口々に叫んでいます。
"I have somebody. "
"I have somebody. "
"I have somebody. "

見つめあい、肩を抱き、知らない同士が、誰かの誰かになる瞬間。こみ上げてくる想いがサングラスの奥を幾筋もの生暖かい涙となって流れていきました。
"I have somebody. "
"I have somebody. "
"I have somebody. "

何度も繰り返される言葉を聞きながら、
「そう、あなたたちには誰かがいる。少なくとも私はここにいる。毎年来るよ。私にもあなたたちがいる。こんなにも感動を与えてくれる、あなたたちがいる。」
と心の中で答えていました。

この国はさまざまな面で、経済先進国としては下から数えた方が早い国です。日本人を含め上位国から来た人が、
「こんなこと自分の国じゃありえない。」
「だからこの国はダメなんだ。」
と否定的に言っているのをよく耳にし、自分も些細な交渉で目が点になる思いを何度もしてきました。

しかし、この国が難民受け入れを国是とし、官民それぞれが積極的にかかわり、多大な時間や資金を費やしては、国を追われて来た人々が
"We are Kiwis!"(私たちはキウイ)
と胸を張るまで支えていることは、やはり尊いことだと思います。

「誰かの誰かでいたい・・・」
そんな想いを強くして、夏の終わりの1週間が始まりました。(つづく)

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「マヨネーズ」
こういう催しに行くと、
「この国は本当に移民国家なんだなぁ。自分たちもモザイクな国家を構成しているほんの小さなピースの1つなんだなぁ。」
と思います。いろいろな場所に出かけていくと、その組織や仲間にとって"初めての日本人"となることも少なくありません。居合わせた人が私を基準に日本を判断するのかと思うと、思わず背筋が伸びる思いです。日本人であることをこれほど意識して暮らすのは初めてです。

西蘭みこと