「西蘭花通信」Vol.0424  生活編 〜12年目の試練 U〜            2006年11月11日

「干支は12年で完結するため最後の年に当たる自分の干支の年は『試練の年』」
と風水師に教えられ、格別に苦労の多かった年の意味を知ったのは39歳の時でした。ニュージーランド移住を決めた直後で、まさに人生の転機。この一言からたくさんの貴重な示唆を受けました。ここ数ヶ月、深刻な悩みを抱えている身の回りの大切な人たちがみな戌年であることに気付き、あの教えを再び噛みしめているところです。

さて、前回からの続きですが、私の3回の年女の年は最終的にどうなったでしょう?
12歳:中学に入り、周りも自分も大人びてきたはいいものの、今や死語でしょうが"つるむ"のを何よりも苦手とする私は、悪口や仲間外れの温床となりやすい女子特有のグループ化、目的のない団体行動に辟易。「入るも地獄、入らないも地獄」の日々でした。
「同じ地獄なら・・・」
と選んだ解決策は「孤立」でした。本人としては「中立」のつもりでしたが、所属を明確にしない私はクラス中の女子の顰蹙を買い、孤立しました。

「どうせ1年でクラス替え。トイレくらいひとりで行くわよ。」
と突き抜けたころ、わらわらと身の回りに男子が現れ始めました。
LPを貸してくれる子、
「新聞記者になりたい」と夢を語る子、
ラブレターをくれる子、
バカ話で死ぬほど笑わせてくれる子、
「なんかあったら言えよ」と言ってくれた横浜南部一円の番長一族の子など、
クラスの内外を問わずいろんなきっかけで彼らと知り合いました。男子にはグループがなく、興味が赴くままの一本釣りの友情。誰もボーイフレンドではなかったので気楽なものでした。あの時期、彼らは女子を追い抜いて大人になっていきました。変わっていくことを恐れていないのです。

孤立にも慣れた頃、本人が望まないかたちで孤立してしまう子、つまりグループの中で仲間外れになってしまう子を見分けられるようになりました。他のグループが誘いに来る時もありましたが、大概はみんなでその子を遠巻きにしながら静観していました。私はそういう子と進んで話をしました。グループ化のエアポケットに落ち、動転している子にとり、ひとりでマイペースにやっている私は数少ない話し相手でした。

一方で、高校への進路が決まり始め、受験校組、商工業校組、それぞれがまた公立・私立と細分化される中、そのどこにも所属しない子たちが出てきました。私のクラスからは女子2人だったと記憶していますが、中卒の就職組です。受験しないことがはっきりすると、彼女たちに声をかける子も少なくなり、いつも2人でいるようになりました。私は15歳で社会に出ることを決めた彼女たちをある意味で大人に感じ、よく2人に加わって話をするようになりました。

多感な頃の1年に学んだことは、どれも人生を掘り下げるのに大いに役立ちました。
「世の中は男と女で成り立っている。そのどちらを欠いてもいびつになってしまう。」
男女はお互いの結婚相手を見つけるために出会うのではないことを、身をもって学びました。友だち、同僚、趣味や興味を共通する者などいろいろなかたちで出会い、お互いを理解し、関係を豊かにする過程は、自分と違うものを受け入れることの連続であり、共通のものを見つけたときの喜びを分かち合うものであり、許容量や包容力を高め、視野を広げるものになると思います。それはまた、今の結婚生活にも大いに活かされています。

意に反して仲間外れになってしまった子、自分の意思で中卒という社会的マイノリティーになることを決めた子たちとの出会いもまた、大いに学ぶところがありました。有名受験校に進学した前者よりもソニーの工場に就職した後者の方が、遥かに強く、しっかりと自分を持っていました。
「誰をも仲間外れにせず、立場の弱い人のそばへ行き、外見、学歴、噂で人を判断しない。」
というのも、この時の教訓です。

そして、何よりも学んだことは、
「1人を恐れない」
ということ。 「気の進まない仲間と無為な時間を過ごすくらいなら。」 と、進んで1人になった結果、 「人と比べない」(比べた結果に奢ったり、ひがんだりしない) ことが身に付き、どんな美人でも秀才でも裕福な人でも、その逆の人でも、私の態度は変わらず、その人自身を見るようになりました。

今から32年前に経験を通じて身に着けたことは、今の価値観、暮らし、子育てにも脈々と受け継がれています。それが正しいことであったからこそ、時間を経ても色あせず、ますますその時の教えを鮮やかに思い浮かべながら今日に至っています。「かわいくない」「生意気」「変わってる」と周囲の子どもならず、親にまで「素直じゃない」と言い切られた私の姿勢は、妙に冷静で、時にはふてぶてしくも見えたことでしょう。 それを承知の上で、「1人でも正しいと思うことをする勇気と行動力」を持ったことは、苦しかった最初の『12年目の試練』を乗り越えた結果だと信じています。

あの年でなくても後年に同じことを学べたかもしれませんが、少しでも早く、感受性の豊かな時に知ったことはかけがえのないことでした。長男・温はまさに今年の年男。彼もまた苦悩多き年を送っていますが、親としてこの年の意味を報せることが最大のエールになったのではないかと自負しています。あとは自分で考え、乗り越えていくのです。がんばれ!(つづく)

(悩み多き12歳。「若い頃の苦労は買ってでもしろってさ!」とは本人の弁。今年ももうすぐ終わるよ、がんばれ!伊勢神宮にて。身長は170センチを越えました。→)

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「マヨネーズ」

「孤立して初めてわかる世の情け」
なんて一句詠みたくなるほど、当時の男子のフェアな態度は身にしみ、声をかけてくれることに感謝していました。いろいろな子がいましたが、番長Tくんは別格。噂では少年鑑別所帰り。学期の途中に忽然と現れ、誰も彼と話しませんでしたが、私は、
「お前、鑑別所と少年院の違いがわかるか?」
など説明を受け(?)けっこう話をしていました。おかげで誰かに体育館の裏に呼び出されたことは一度もありません(笑)

西蘭みこと